四 神の咎めの榎木屋敷

【本文】

 江州浅井殿の時、屋形町の末に、古代より枝葉の栄えたる榎木あり。「昔は神社立たせける。」と言ひ伝へて、石の玉垣の形残れり。所繁昌なれば、人家立ち続きて、これも「榎木屋敷」とて、蔵の奉行役諸尾勘太夫といへる人、申し請けて新作り致せしに、神の咎めにや、世間は静かなる夜更けて、生臭き風吹き通ひ、人の身に当たると否や、むつける程にくたびれつきて、ここに住居の堪忍しかね、子細を御断り申し上げ、この屋敷を差し上げける。その後、これを望みて住みしに、間もなく病死、又は悪風に退屈して、幾人か替はりて、今は空き屋敷となりて、門は唐蔦閉ぢて、見ねどもこの内すさまじ。
 或る時、若手の武士ども、寄り合ひ語りけるついでに、「榎木屋敷に住む人なき。」と話しけるに、この座に長浜金蔵といへる人の申されしは、「いかに神社跡なればとて、人に祟り給ふ子細なし。それは、住める人の愚かなる故なり。」と、世の人あさましく申しぬ。その座に、以前この屋敷に住みたる人の親類、内縁の方もありて、金蔵言葉を耳に掛け、「いづれ、貴殿はあれに住み、長らへ給はん。」と、少し気を持たせければ、申し出して是非に及ばず、老中へ内意を申せば、望むを幸ひに早速給はりける。
 金蔵、この屋形に移りて、「第一、この榎木、曲者なり。」と枝葉をもがせけるに、神の咎めもなかりき。これを思ふに、「惣じて、かやうの事は、主の気の強きに従ひ、必ず止む事。」と、物に馴れたる人の語りぬ。
 或る雨夜に、金蔵家来集まりて、世に恐ろしき物語にて明かしぬ。この内の一人、雪隠に行くを見かけて、才覚なる小坊主、古き靭を提げ出、壁の崩れより差し入れ、その者の腰を撫でけるに、これに驚き逃げ帰るを可笑しく、その後、度々脅しければ{*1}、誰が言ふともなく、「毛の生えたる手して掴む。」と言ひふらして、暮れては自由に行く人絶えて、これも又、気味の悪き事ぞかし。
 これを知らざる人、外より来りて、かの雪隠へ行きしに、くだんの靭、片隅より躍り出、生きたるものの働き。各々不思議を立て、試し見るに、人さへ行けば靭の狂ひ出るを、段々申し上ぐれば、金蔵、何とも思はず。「さては、これにて誰か、初めの程、腰を撫でける人の怖ぢぬる心魂、これに入りて、かくは動きける。おのれは矢柄を入るる役なるに、無用の働き。その科、今思ひ知れ。」と焼き捨てけるに、煙の中にて最期弁へ、狂ひぬ。「物のあやかし、かやうの事ぞ。」と皆人に安堵させて、この屋敷にて八十余歳{*2}まで堅固に勤めける。
 「金蔵、人中の一言、その義理違へず、ここにすましけるは、あつぱれ武士の一心。」とぞ、世の人誉めにき。

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【輪講】

木村  江州浅井殿(浅井長政)の屋形町が繁昌の時に、町外れに昔から枝葉の栄えた榎があつた。「古くはそこに神社が建つてゐた。」といふ言ひ伝へで、石の玉垣の形が、その時まで残つてゐた。土地が繁昌するので、人家が建ち続きまして、今はその所も「榎屋敷」と言つて、蔵の奉行役の諸尾勘太夫といふ人が申し請け、新たに家を造つてそこに住んで居りましたが、その神様の祟りとでも言ひませうか、世間の静かな夜更けになると、生臭い風が吹いて来る。それが人間の身体に当たると、物の怪でも憑いたといふふうになりまして、くたびれて弱つて来る。さういふやうな怪しからん事が起こりましたので、そこに住んでゐるのが我慢できなくなつて、そのわけをお断り申し上げて、この御屋敷を差し上げてしまつた。その後又、望んで住まつた人もありましたが、病死するとか、病気に罹るといふので、幾度か人が替はつて、誰も住む者がない。今は空き屋敷になつてしまつて、門には蔦葛が這ひ廻り、外からは見えないけれども、内のすさまじさが想像される。
 或る時、若手の武士どもが集まつた時、「榎屋敷に住む人がない。」といふ話が出ましたが、その座に長浜金蔵といふが居りまして、この人が言ふには、「いかに神様の社があつた跡だからと言つて、人に祟られるといふわけはない。それは、住む人が愚かなためである。」と、世間の人を嘲つたやうに大言を放ちました。この広言を聞いた中に、以前榎屋敷に住んでゐた親類、ゆかりの人があつて、金蔵の言葉を聞きまして、「あなたはえらい事を仰るから、あそこへお住みになる事ができませう。」と、気を持たせ加減に言ひますと、前のやうな大言を吐いたものですから、「私には住まへない。」とも言へない。この話を老中に申したところが、「丁度幸ひだ。」といふので、この屋敷を下さる事になりました。
 金蔵は、ここに移るや否や第一に、「この榎が曲者だ。」といふので、その枝葉をもぎ取つてしまつたが、別に神様の咎めもなかつた。「すべて、かやうな事は、住んでゐる主の気が強ければ、従つて物の怪の祟りは止むものだ。」と、世情に馴れた人が語りました。
 或る雨の降る晩に、金蔵の家来が集まつて、百物語のやうに恐ろしい話をして語り明かしましたが、その一人が雪隠に立つて行くのを見かけて、小利口な小坊主が、矢を入れておく靭の古いのを、便所の壁の崩れた所から差し入れて、その者の腰を撫でたものですから、大いに驚きまして、這ふ這ふの体で逃げ帰りました。これを面白がつて、その後も度々、便所に入る人を脅かしたので、誰が言ふともなく、「毛の生えた手で掴まれる。」と言つて、日が暮れると便所へ行く人がなくなつた。これも又、誠に気味の悪い事である。
 そんな話を知らない人が、よそから来て、例の雪隠へ行つたところが、くだんの靭が生きたものの如く片隅から躍り出たので、大勢の人が不思議を立てて、様々にこれを試して見まするに、人さへ行けば、この靭が狂ひ出して来る。さういふ事がしばしばあつたので、この次第を金蔵に申しますと、榎さへも平気で枝葉をもがせた位の金蔵ですから、別に何とも思はない。「さては、最初に誰か、この靭で人の腰を撫でた。それで人がびつくりする、その心持ちが靭に入つて、かういふふうに動くのである。おのれは、矢柄を入れる役目なのに、不思議に働くのは無用の事である。さういふ今まで人を脅かしたところ、思ひ知れ。」と言つて、靭を焼き捨ててしまつたところが、主人の言葉に服したといふふうに見えたんでせうか、便所で狂つたやうな事もなく、焼かれてしまつた。見て居つた人達を安堵させた。
 金蔵は、かういふ大勇な人でありましたから、この屋敷で長生きして、八十余歳まで丈夫で奉公を勤める事ができました。一篇の要点は、「『金蔵が、大勢の中で、榎屋敷に住まへないでどうするものかと言つた言葉の義理を違へず、ここにすまして居た事は、武士の一心である。』と言つて、世の人が褒めた。」といふのです。
  「煙の中にて最期弁へ、狂ひぬ。」は、いよいよ焼かれる段になつて、最期だと覚悟して狂ひ出したんだらうと思ひます。
間  金蔵が知つて居て、当てつけて言つたんぢやありませんか。
三田村  森君の御説でよからうと思ひます。
  「あやかし」は「物の怪」で、謡にも、「あやかしがついて候。」なんて言ふ、あれでせう。「悪風」は、前に「生臭き風」とあるやつで、「気味の悪い風が吹くので厭になつて」といふ意味でせう。
  「世の人あさましく申しぬ。」は、「世間の人は下らないものだ。」と言つて、軽蔑したんでせう。「むつける」は分かりませんね。
三田村  こいつはわからない。
  この義理は、ずいぶん変な義理ですな。
木村  「武士の一言、金鉄の如し。」で、金蔵が前言を守つて榎屋敷に住み通したのが、主眼でせう。
三田村  この話には、外聞とか体面とかいふものが加はつてゐる。前の義理とは大変違ひます。

校訂者註
 1:底本は、「おとしければ、」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「八十余蔵(よさい)」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。