三 松風ばかりや残るらん脇差
【本文】
人の心ざしほど、格別違ひあるものは無し。
信長公の御時、墨俣の川屋敷とて、夏を宗と造らせられ、風の松涼しく、御通ひ舟、御寝間のほとりまでさし入り、御物好きの面白く、絹もぢの障子の中に、京女臈の美しきをあまた召し寄せられ、折節の御遊興所にあそばしける。中にも月の夜、雪の夜とて二人の女郎、美形によつてひとしほ御不憫の掛かり、両の御手に花、紅葉の御寵愛。春秋もこれ故、御楽しみ深かりき。これを思ふに、両人、姿を争ひ、御奉公しがちの心もあるべき事なるに、世間とは格別の事にして、中々御機嫌のよろしきを恥ぢ合ひ給ひ、殿、度重なりて御入りましませば、俄に作病して、雪の夜は、風騒々しく申し上ぐれば、これをいたはり給ひ、月の夜に入らせ給ひ、明け暮れ御前よろしければ、「身に障りある。」などを申して取り籠り、わざと御機嫌を背き、両人共に、同じやうに年を重ねて御奉公を仕る。女のかかる事は、ためしもなき心底、前代未聞の名女なり。
さすが俗姓卑しからず。雪の夜は、西国の国守の娘、月の夜は、さる貴人の息女なるが、二人共に子細あつて、町人の子分になりて、御奉公には出でられしとなり。これを見るに、筋目ほど恥づかしきはなし。卑しき者の娘は、無用の悋気に我が気を悩まし、人の身を痛め、又の世の苦しみも構はず、悪心、胸に絶えず。これらは、情けを掛けてもうるさきところあり。
又、松風とて、尾州鳴海あたりの浜里に、漁人の娘なるが、浦育ちには面妖麗はしく、古代須磨の海人の松風の女には劣るまじき風儀なれば、卑しくも御前勤めを望み、これも川屋敷にありしが、近くは召されながら、終に御枕を直さぬ事を恨み、「とかく雪の夜、月の夜が、悪しくも申しての事ならん。」と女心に思ひ込み、この二人を狙ひ、時節待つ内に、「年珍しき曙、御謡初め。二日の夜、又、川屋形に御成り。」とて、嶋台飾りて、御酒宴重なり、女中も常よりはささ過ごして、前後知らざりき。
松風、「今宵。」と思ひ定め、萩の戸の蔭にて身を固め、打掛け姿は人並に、国尽くしの間に居流れて、夜の更け行く首尾伺ひけるに、この女の立ち振舞、灯し火の影に見させられ、局頭の梅垣をひそかに召され、「あの菊流しの衣装の女、懐中に子細あり。捕らへて詮議仕れ。」との上意を請けて、松風といへる女をばたばたと取り巻き、懐中を探しけるに、案の如く肌刀を差してあり。
「これは、曲者なり。いかなる存念あつて、かく御吟味の御前へ刃物は差し給ふぞ。是非言はせずしてはおかじ。身の難儀に遭ひ給はぬ先に。」と色々責めても、「無念。」とばかり言ひて、中々申さるる気色はなし。「これには様子あるべし。」と、この女の局を探して見しに、乱れ箱にうち入りて書置あり。次第を詮索すれば、月の夜、雪の夜、二人の女臈に恨みを含み、命を取るべき思ひ立ち。「さりとは恐ろしき女。」と沙汰極まりて、見せしめのため、御仕置になりぬ。これ、我が心からの悪事にて、一命を捨てける。
その後、かの女の執心通ひて、人を悩ませ、女中は難病請けて、これを歎きぬ。いづれの女臈にも、額に鹿の袋角のやうなる物生ひ出で、美形、可笑しげになりて、外科、本道も、伝へ聞きたるためしもなく、この療治にあぐみぬ。表向きの番組の役人は、残らず取り殺されて、その後は久しく空き屋敷にあそばされ置かれしに、或る時、仰せ出されしは、「この川屋敷の内に、一夜を明かして見て参れ。」と、世に隠れなき武辺者大平丹蔵といへる男と、紛れもなき臆病者柳田久六、この二人を同役に仰せ付けられ、申し合ひて一夜を勤めしに、かの松風の女、昔の形は顔ばかりに残し、身は三丈余りの蛇体となつて、二人に取り掛かれば、久六は前後忘じて死に入りけるに、丹蔵、組み伏せて、正しく捕らへたりしが、そのまま消えてなかりき。
その跡に松風が小脇差ありて、これをしるべに両人立ち帰り、御前へ右の段々言上申せば、御機嫌よろしく、手柄せし丹蔵に千石の御加増。又、死に入りたる久六に千五百石御加増下し給はれば、御年寄中、この上意を合点仕らぬ様体、御覧あそばし、「丹蔵は、これ程の儀、仕りかねまじき者なり。又、久六は、かねて知れたる臆病男。主命を重んじ、一夜を勤め、死なずに帰る事、丹蔵には増したる武辺者。」と仰せられけるとなり。
その後はこの御屋形、子細なく、女中の難病も、常の面になりぬ。
【輪講】
木村 人の志ほど、各々異なつてゐるものはない。織田信長の時、墨俣の川屋敷は、夏の暑さを凌ぐために作られたので、松を吹く風も涼しく、川には舟も浮かべて、それが寝間近くまで差し入れられる、大変贅沢なもので、御物好きの様も面白く、京都から美しい女達を大勢召し寄せられて、折節の遊興にされた。その女達の中にも、月の夜、雪の夜といふ二人の美人が、両手に花、紅葉といふ御寵愛で、「春秋も、これ故お楽しみ深かりき」。二人の美人は互に姿を争ひ、「自分が勝たう。」といふ事があるべきなのに、これは又、世間とは格別に異つた事で、殿様が一方を御寵愛になるのを恥づかしい事に思つて、仮病を使つて、「風騒々しく」、雪の夜は月の夜に譲り、月の夜は又、雪の夜に譲るといふふうで、御寵愛が自分一人にのみ返る事を御遠慮する。さういふふうで、長年奉公して来たが、これは、女としては誠に珍しい心底で、前代未聞の名女である。さすがに俗性卑しからざる者だけあつて、雪の夜は西国の国主の娘、月の夜は、さる貴人の息女でありますが、二人とも子細があつて、町人の娘分になつて奉公に出たのである。これを思ふに、筋目ほど恥づかしいものはない。卑しい者の娘は、さういふ心がけがないから、無用の悋気に自分の心を悩まし、人を苦しめ、世間に迷惑をかけるのも構はず、悪心が胸に絶える事もない。さういふ心がけの悪い女には、情けをかけてもうるさいところがある。尾州鳴海の漁師の娘に、松風といふのがあつて、浜育ちには珍しく綺麗で、「昔、須磨に居た、行平卿に恋ひ焦がれた松風にも劣るまい。」と思はれる程の様子でありましたから、卑しい身ながらも御奉公を望み、これも同じ川屋敷に居りました。けれども、遂に枕席に召される事のないのを、「これは、雪の夜、月の夜が邪魔をするからの事だらう。この二人がなかつたら、自分が御寵愛を受けるやうになるに相違ない。」と女心に思ひ込んで、「二人を亡き者にしよう。」と時節を待つて居りました。丁度、正月二日の謡初めに、殿様は川屋敷へ御出になつて、御酒宴があつた。女中方も、いつもより酒を過ごして、前後も知らず眠つてしまひました。松風は、「今夜こそいい機会だ。」と思つたので、萩の戸の蔭で身を固め、特別の支度でなく、いつもと同じやうに、人並に打ち掛け姿をして、国尽くしの間に居流れて、夜の更けて行くのを待つてゐると、殿様が、この女の立ち振舞を灯影に御覧になつて、梅垣といふ局頭をそつと呼んで、「あの菊流しの着物を着てゐる女は、懐中に訳があるやうに思はれる。捕まへて詮議をしろ。」と言はれた。その御言葉に従つて、松風を取り巻いて懐を探して見ると、案の如く肌刀を差してゐる。「これは曲者である。どのやうな存念があつて、御前へ刃物を持つて出られたか。子細を言はさずにはおかぬ。身に難儀のかからぬ前に、白状してしまつたらよからう。」と言つて、色々責めたが、「無念、無念。」と言ふばかりで、中々あからさまに言ふ様子はない。「これは、子細があるに相違ない。」と言つて、その女の部屋を探して見ると、乱箱の中に書置がある。それには、月の夜、雪の夜の二人に恨みを含み、「命を取らう。」と思ひ立つた事が書いてあるので、「さりとは恐ろしい女である。これは、諸人の見せしめのために、御仕置にした方がいい。」といふ事になつて、心からの悪事によつて、一命を棄てました。けれども、その怨霊といふものが、この世に残りまして、あまたの人を悩ます。殊に女達は、難儀な病気を受けて、どの女の額にも鹿の袋角のやうなものが生えて来た。美しい姿も、妙な事になつて来たが、外科、本道も、これまでそんなためしを聞いた事がないので、その療治に困つた。表向きの番組の役人は、残らず取り殺される。とうとうその屋敷は、化け物屋敷といふ形で、久しく空けて置かれた。それから程経つて、殿様の仰せ出されます事には、「その屋敷の内に、その後もやはり怪しい事がある。」といふ評判があつたと見えまして、「一晩明かして正体を見届けて来い。」といふ事で、世に隠れもない武辺者の大平丹蔵と、これも又、間違ひのない臆病者の柳田久六、この二人を同役にして、空き屋敷で一晩勤める事になりました。さうすると、かの松風といふ女が、昔の形は顔ばかりで、身体は三丈余の蛇体になつて、二人にかかつて来た。久六は臆病者の事ですから、忽ち人事不省に陥つてしまつた。大平丹蔵は、偉い男なので、その蛇体を組み伏せて、確かに捕へたんですが、何しろ相手は化け物ですから、そのまま消えてなくなつて、後には松風が昔差して居つた小脇差が残つてゐる。それを印に二人が立ち帰りまして、殿様に右の段々を申し上げますと、大変御機嫌がよろしく、手柄を立てた丹蔵に千石の御加増、気絶した久六には千五百石の御加増がありました。つまり、化け物を仕留めた方よりも、何の役にも立たない方に、より以上の御加増があつた。御家老達も不思議に思つて、この思し召しが合点できないやうな様子をしてゐるのを、殿様が御覧になつて、「丹蔵は、元よりこれ程の事をしかねまじき剛の者である。久六は、有名な弱虫であるが、主命を重んじて一夜を無事に勤めて帰つた事は、大平丹蔵以上の武辺者だ。」と言はれました。その後は、川屋敷にも何の子細もなく、女達の顔も、昔のやうに治りました。――この義理といふのは何ですか。
三田村 月の夜、雪の夜、女二人の奉公ぶりが、義理ですな。「風騒々しく申し上ぐれば」は、雪の夜だから「風」と言つたので、うるさく申し上げる事でせう。これに対して、一方は月の夜だから、「身に触りある。」などと言つた。
木村 なるほど。洒落ですな。
三田村 信長に「二日の謡初め」なんていふものがあつたかどうか。これは、幕府の事でせう。
(楽堂付記)御説の通り、全く江戸幕府の式例を持ち込みたるものなり。「二日」と言へるもしかり(後に「三日」となる)。「島台飾り」とあるもしかり。殊に島台の事は、江戸以前の謡初め式には無し。
三田村 「外科、本道」。本道は、今の内科です。臆病者と強い人と一緒に行く話は、『常山紀談』か『武家閑話』かにありましたね。
森 物見に行く話があります。「松風ばかりや残るらん。」といふのは?
間 謡曲「松風」の終はりの文句です。
佐藤 「御年寄中」。
三田村 老臣老女共に、「御年寄」と言ひます。これは、一種の人心収攬だね。
佐藤 しかし、この理由は少し屁理屈ですよ。不審に思ふのが尤もです。
コメント