二 約束は雪の朝飯
【本文】
「石川や老いの浪立つ影は恥づかし。」と詠み捨て、今の都も憂世と見なし、賀茂山に隠れし丈山坊は、俗性歴々の昔を忘れ、詩歌に気を移し、その徳顕はるる道者なり。さるによつて、心にかなふ友もなし。
或る時、小栗何がしといへる人、これも諂ふ世を見限り、形を変へて京都に上り、東武にて親しく語りしゆかしさに、この草庵に訪ねて、過ぎにし事ども、今の境界の気散じなる身の程、心に掛かる山の端もなく、梢は落葉して、冬景色の顕はなる月を、南表の竹縁につい居眺めながら語りしが、この客、何となくふと立ちて、「我は、備前の岡山に行く事あり。」と言ふ。「今宵はここに。」と留めもせず、「勝手次第。」と別れさまに、「又、いつ頃か京帰り。」と聞けば、「命あらば、霜月の末に。」と言ふ。「然らば、二十七日は、我が心ざしの日なれば、ここにて一飯。必ず。」と約束して、立ち行きぬ。
両人共に、世を捨てし心のままなるは、朝を待たぬ旅衣、夜露{*1}を肩に結び、枯野、枯葉の藤の森になる時、海道続きの人家寝静まりて、伏見戻りの馬方の声絶えて、竹田寺の半夜の鐘の鳴る時、丈山、その人の跡を慕ひて、滑谷越に急がれしに、神無月八日の夜の月幽かなる松蔭より、人の足音せはしきに立ち止まりて、「丈山か。」と言へば、「いかにも。見送りに、これまで。」と言ひけるに、「都に友もあまたなれど、心ざしは、その方ならではあらじ。」と、立ちながら暇乞ひして別れぬ。
その後、備前に着きし便りもなく、日数ふりて、十一月二十六日の夜降りし大雪に、筧汲むべき道もなければ、まだ人顔の見えぬ暁{*2}に、丈山、竹箒を手づからに、心はありて、心なくも白雪に跡を付けて、「踏石の見ゆるまで。」と思ふ折節、外面の笹戸を訪れし「嵐の松か。」など聞き耳立つるに、正しく人声すれば、明け渡る今、小栗何がし訪ね来るに、そのさま、破れ紙子一つ前。門に入るより編笠脱ぎて、互の無事を語り合ひ、暫くありて、「この度は寒空に、何として上り給ふぞ。」と言へば、「そなたは忘れ給ふか。霜月二十七日の一飯、食べに罷りし。」「それよ、それよ。」と、俄に木の葉焚き付け、柚味噌ばかりの膳を出せば、食ひしまうて、その箸も下に置きあへず、「又、春までは備前に居て、西行が眺め残せし瀬戸の曙、唐琴の夕暮。昼寝も京よりは心よし。」とて、取り急ぎて下りぬ。
「さてはこの人、いつぞや仮初に申し交はせし言葉を違へず、今朝の一飯喰ふばかりに、遥々の備前より京まで上られけるよ。」と、昔は武士の誠ある心底を感ぜられし。
【輪講】
森 「老いの浪立つ影は恥づかし」といふのは、石川丈山の歌で、丈山は、例の「渡らじなせみの小川の清ければ」といふ歌を詠み捨てて、今の繁華な都も憂世だと見なし、「賀茂山」とありますが、詩仙堂のあるのは一乗寺村です。「丈山坊」は、「男色大鑑」にもあつたと思ひますが、別に頭を剃つてゐたわけではありません。丈山の本名は嘉右衛門。大坂陣に抜け駆けの功を立てたが、軍令を守らなかつたといふので、賞せられず、一乗寺村に隠遁して、詩仙堂を建てた、さういふ風変はりな男でありましたから、心にかなふ親しい友達もない。或る時、小栗何がしといふ人、これも武士らしいですが、媚び諂つたりするやうな世の中を見限つて、武士をやめて京都に上り、丈山とは江戸で仲良くして居つた事があるので、懐かしく思つて、丈山の庵を訪ねて来ました。さうして、過ぎ去つた昔話や、今の境涯の暢気な事を話して、「心にかかる山の端」は、後に月を持ち出すための伏線でせう。山の端から又梢を持つて来て、冬の事で、木々の梢も顕はになつてゐる、南面の竹縁に二人居て、月を眺めて居りましたが、その内に小栗がふと立つて、「己はこれから備前の岡山まで行く。」と言ひ出した。丈山はそれを聞いて、別に「今夜はここへ泊まつたらいいだらう。」と止めもせず、客の勝手次第にする。別れる時に、「いつ頃、京へ帰るか。」と聞いたところが、「命があれば、十一月の末に帰る。」と言ふ。「それでは、二十七日が自分の志の日であるから、その日にここで飯を振る舞はう。」といふ約束をしまして、小栗は発つて行きました。二人とも世捨人で、心のままにしてゐるから、朝になるのを待たない。夜を通して出かける。冬で、葉の枯れてゐる藤の森にかかると、街道続きの人家が寝静まつて、伏見戻りの馬方の声も聞こえない。「竹田寺」といふのは存じません。丈山は、別れたものの、小栗の後を慕つて、滑谷越えに急いで見送りに行きましたが、十月八日の夜の事で、半輪の月の幽かな松蔭から、「人の足音」といふのは丈山の事でせう。「丈山か。」と小栗が声をかける。「いかにも。ここまで見送りに来た。」と言ふと、「都に友達も沢山あるが、さういふ志は、その方を除いては無い。」と、立ちながら暇乞ひをして別れました。その後、「備前へ着いた。」といふ便りもない。十一月二十六日になりましたが、その晩は大雪で、筧を汲む道もありませんので、まだ人の顔も見えない暁に、丈山自身、竹箒を持つて、「心はありて心なくも」は難しい言葉ですが、「無心に」といふやうな事でせうか。踏み石が見える程度に道をつけてゐたところへ、外の笹戸を訪れるものがある。「松の嵐であるか。」と思つたが、風ではなしに、まさしく人の声で、よく見ると、夜明けの今、小栗何がしが訪ねて来たのでした。その小栗の様子は、破れ紙子を一つ着て、庵の門を入ると編笠を脱いで、互に無事を語り合ひましたが、暫く経つて丈山が、「この度は、この寒空に、どうして上られたか。」と尋ねた。さうすると小栗が、「そなたはお忘れになつたか。十一月二十七日に飯を振る舞ふといふ事だから、上つて来たのだ。」と答へましたので、丈山も、「さうだつた、さうだつた。」と言つて、俄に木の葉を焚き付け、柚味噌ばかりの膳を出しました。その飯を食つてしまふと、箸を下に置く間もなく、「又、春までは備前の方に居て、西行が眺め残した」。「瀬戸の曙、唐琴の夕暮」は、備前の名所です。「昼寝をするのも、京よりは岡山の方が、気持ちがいい。」と言つて、小栗は急いで帰つて行きました。「さては小栗は、いつか仮初に約束した言葉を違へず、今朝の一飯のために、遥々備前から京まで上つて来たのだ。昔の武士といふものは、誠のあるものだ。」と、さういふ小栗の心底を、これは丈山が感じたんでせうか。作者が感じたんでせうか。日を決めて、その日に帰る。かういふ話は、上田秋成の「菊花の契り」などとも、多少似通つたところがある。
三田村 今の、感じたのは、どつちでせうな。
木村 佐藤 丈山が感じたんでせう。
木村 「昔は武士の誠ある心底」は、「昔は武士だつた人の心底」でせう。
森 その方がいいですな。
三田村 「心はありて心なくも」
木村 白雪に対して、そこらを掃いてしまふのは、心ない、情けない事である。雪を賞する心はあるのだが、道もつけなければならないから、それを言つたんぢやありませんか。
三田村 何だかこの話は、「色隠者」の面影がある。世は捨てても義理は捨てないといふ事、それがこの篇の主眼であり、身上でもある。
校訂者註
1:底本は、「旅衣(たびころも)、露(つゆ)を」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「また人皃(がほ)の見えぬ曙(あかつき)に。」。『新編日本古典文学全集69』(2000)に従い改めた。
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