三 具足着てこれ見たか

【本文】

 武士は、人を侮る詞、仮にも言ふまじき事ぞかし。
 或る時、嶋原の後陣を西国の大名に仰せ付けさせられ、人数を揃へられしに、五十五歳より老人、十五以下の少人は赦免ありて、この外、物忌、病人は格別、残らず出陣の御供触れありしに、ここに中小姓四人、同じ部屋住まひして勤めし中に、一人長病にて、今日を浮世の限りと見えしが、いづれもいかめしく、「軍立ちの用意。」とて勇むを聞きて、頼りなき枕を上げて、「我、この節、かく患ひけるは、武運の尽きしところなり。先祖具足は譲り置かるる槍一筋引つ提げて、あつぱれ御馬の先に立ち、御目通りにて、高名、感状取るべきこの度、さてもさても口惜しや。」と、この事、言ひも止まざれば、各々耳かしましく思ひながら、一所に住めば、これを聞かぬ顔もなり難く、「今も知れぬ病人の、無用の願ひ言はれずとも、息の通ふ内に念仏申し、後世の一大事を心掛け給へ。具足は重き物なれば、これ着て死出の山越え、御大儀なり。軽き経帷子を着給へ。」と、三人ささやきて笑へるを聞きて、いよいよ無念重なり、今一度の命を諸神に立願せしに、不思議に快気して、手も働き足も立つ程になりぬ。
 時に、いつぞやの遺恨やめ難く、段々筆に残し、具足、兜を着ながら鑓取り廻して、「相手は三人。」と名乗り掛け、「鎧着ながら死出の門出。」と言へば、皆々是非なく抜き合はせども、思ひ込みたる一念の鑓先、「嶋原に行きての働き見せん。」と、三人共に突き留め、その死骸の上に腰を掛けて、潔き自害。
 書置の子細、道理至極に沙汰して、この人を惜しみぬ。さる程に、「三人は雑言ゆゑに、あたら身を失ひ、大事の前の用に立たず。」と、これを笑ひける。

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【輪講】

木村  士といふ者は、滅多に人を侮辱するやうな口をきくものではない。寛永十四年の九州嶋原の切支丹戦争の時、後陣(予備隊)を西国大名に仰せ付けられて、割り当ての人数を揃へられた。五十五歳以上の老人、十五歳以下の少年は免除されたが、その他は、「物忌(忌服のかかつてゐる人)、病気の人は格別、それ以外の男子は出征しなければならない。」といふ御触れがあつた。その時、中小姓が四人、同じ部屋に住まつて勤めてゐたが、中に一人、長患ひの人があつて、「もう、この世も限り。」といふふうに見えた。他の者は、いづれもいかめしく出陣の用意をして、勇み立つてゐる。様子を聞いて、頼りない枕を上げて言ふには、「かういふ時節に自分が患つてゐるのは、武運の尽きた事である。先祖の具足は譲られてある。その鑓一筋を提げて、御馬前に働いて高名を立て、感状をも頂くべきこの度の戦争に、かういふ事になつてしまつたのは、実に残念だ。」と繰り返し繰り返し言つた。他の三人は、世迷言位に思つたが、同じ所に住んで居れば、知らん顔をしてゐるわけにもいかない。それで、病人を慰めようともせずに、悪口を言つた。「今にも死ぬかも知れないやうな病人が、そんな無用な願ひをしないでも、息の通つてゐる内に、念仏を唱へて後世を願ふやうにしたらいいだらう。具足は重い物だから、そんな物を着て死出の山を越えるのは大儀だ。軽い経帷子にした方がいい。」と、悪口交じりに三人が呟くのを聞いて、病人はいよいよ残念でたまらない。同じ所に住まつてゐる者なら、同情してくれるべきところを、そんな悪口を言はれては、我慢できない。「今一度、この命を延ばしてたび給へ。」と神様に御願ひしたところが、不思議に病気が治つて、手も働けば足も立つ位になつた。その時、いつかの悪口雑言に対する遺恨、やみ難く、その子細を筆に書き残して、「重いから。」と言はれた具足をつけ、鑓を取つて、「当の相手は三人。鎧を着て、死出の山を越える道連れにしよう。」と言つたので、三人も仕方なく抜き合はせました。けれども、一方は思ひ込んだ一念の鑓先ですから、とうとう三人とも、一人のために突き留められてしまつた。それから、自分もその死骸の上に腰掛けて、潔く自害をした。書置の子細を読んで見ると、「いかにも道理至極の事である。」と、皆評判しまして、あたら、かういふ人を失つた事を惜しんだ。三人は、「つまらない悪口を言ひましたために、自分の身を失つて、殿様の大事の役に立たない。馬鹿な事をした。」と言つて笑はれた。「志を傷つけられた。」といふ事が残念さに、かういふ事をしたんだらうと思ひます。あたら若い士が、四人とも死んでしまふといふのは、大局から見たら、いかがなものでせうか。大きいものを忘れたやうな気もしますが、当時の若き武人の意気としては、やむを得なかつたのかも知れません。
三田村  これは、事前に死んだのだから、君臣の義理を欠いてゐる。肝心の戦争前に死んでは、君が臣を養つて居られる事に対して、義理が欠ける。けれども、この話は、義理の欠けた方から書いたんぢやない。
佐藤  「抜き合はせども」は、文法が可笑しいですな。「抜き合はせたれども」とあるべきでせう。この章の終はりでは、「むやみに命を捨てては主に済まん。」といふ意味が伺はれますが、「武道伝来記」のどこかにも、既にこの意見があつたかと思ひます。
三田村  この「義理物語」の第一にもありました。只あれは、個人同士でやつたんだが、これは戦争だけが違ふ。
佐藤  「義理にとらはれては弊を生ずる。」といふ作者の皮肉がありやしませんか。
三田村  ありませう。戦国時代には、君臣といふ事よりも、一己の武勇、一己の義理を重んじたが、君臣といふ方から見ると、かういふ事になつて来る。
木村  同僚といへども、主人の家来ですからな。
三田村  今日の言葉で言ふと、個人的義理と社会的義理だ。
木村  かういふ間違ひは、昔もよくあつた事なんでせう。
三田村  「これまでは、武勇の優れた者のみ賞翫したが、これからは、忠義な者を賞翫しなければいけない。」といふやうな事が、「豊内記」に書いてありました。