一 なるほど軽い縁組
【本文】
武士の身ほど定め難きは無し。生国備中の松山を離れ、和州郡山に行きて、「昔召し使ひし小者、今は町家に住まひして、世を心安く暮らしける。」と、その噂伝へ聞きて、ひそかに訪ねしに、縁は尽きず、巡り逢へば、この男驚き、「これは、いかなる御首尾にて、かく御一人、ここには御越しあそばしけるぞ。」と申す。「されば、是非もなき義理にて御暇申し請け、妻子は国方に預け置き、身代稼ぐ内に、世無常の習ひ、二年の内に妻子相果て、今は長らへても甲斐なし。いづれの僧にても頼み、長剣をもやめて、山居の心ざしも起こりしが、浪人の時節、世を捨てなば、人の沙汰すべき事も口惜しく、何とぞ先知にありつき、その後は思案もすべし。少し存じ寄る子細もあれば、一両年もこの所に借宅をもして、世間を見合はせたき願ひなり。その才覚頼む。」と言へば、段々聞くに、涙をこぼし、「以前に変はらせ給ふ御事、さりとは見るにさへ痛まし。とかくは御心任せに。」と、まづ笹の屋の狭き住まひを御目に掛け、夫は煙草切りさし、徳利提げて酒屋に行けば、女は麻布織り捨て、茶の下焚き付け、心一杯もてなしけるに、一夜を明かして見しに、中々気遣ひ絶えねば、「何とぞ我が宿と定めて、少しの内も暮らしたき」願ひ申せば、幸ひ近所に、この程まで針立ての住まれし空き家、南受けに菱垣の綺麗に、侘び人に似合ひたる宿なれば、これを借り継ぎて、奈良団扇の細工を勧めて、かつかつなる渡世も哀れに、足らぬ所は合力して、半年余りも過ぎ行けば、所の人も馴染みて、住み憂き事も忘るる程になりぬ。
「いつまで一人は、寝覚めも淋しかるべし。」と春日の里に通ひ商人、申し出して、「良き事あり。後家の娘、二十二、三なるが、その形美しく、しかも利発者にて、母にも孝を尽くせば、人皆夫妻の望みあれども、『浮世は飽き果てし。』と、この事を取り合へず。『さては、一度男持ちけるか。』と聞くに、さもなくて、花の盛りをいたづらに、振り袖留めて人に見られたき風情なかりき。然れば、『わけなき病気もありや。』と内証穿鑿するに、さもなく、あたら日数をふる程に、こなたの事を語り出して、『当分は浪人衆なるが、末々頼みある御方。』と言へば、母人よりは、その娘聞き届けて、『その落ち目なる侍衆ならば、望みなり。先様に御合点あらば、身を任せ、御茶の通ひ、仕り申すべし。』と親しく我に語りける。手前よろしき人の言へるは取り合へず、貧家を好み、『参るべし。』とは縁なり。」と、押し付けわざに取り持ち、夫婦に語らはせけるに、この女、男の気を取りて、何事も背かざれば、今の身にして嬉しさ限りなく、小升、横槌並べ、枕の契り。錦のしとねにまさり、楽しみ。二人が仲に、何か包む事なく、折節、春雨静かに{*1}降りて、外より尋ぬる人もなく、寝酒呑み交はして、詰まり肴に塩鯛の頭を、鉈振り上げて打ち割り、潔き顔つきして、「この如く、いつぞ見付け出して。」と呟かるるを聞き咎め、「何事ぞ。」と女に問はれて、今は隠さず、「親の敵、この所に立ち退けば、それを討つべき大願。」と詳しく語れば、「さては、大事の御身。」と猶々懇ろに仕へて、心中に春日へ立願して、易々と討ち給ふ事を祈りぬ。
それより二十日も過ぎて、亭主、忍びて「南都の方へ行く。」とて、夜の明け方に宿を出しが、暫しあつて立ち帰り、「くだんの相手を今日見付け出したり。これは、天理にかなふと
ころ。」と躍り上がり、肌に着込み、鎖の鉢巻。女は刀の目釘を改め、口に人参を噛ませ、盃事してうち笑ひ、「本望遂げ給ひて、追つ付け帰宅を待ち請くる。」と、この時に至りて、
常とは格別変はりて甲斐甲斐しく、亭主、これに力を得て、勇み勇みて立ち出しが、程なく立ち帰りて、「首尾残るところなく、敵はこれぞ。」と、その首、手桶に入れて、割蓋にて隠し、辺りの人、この事を知らず。
夫婦、さし覗けば、撫でつけ頭の大男、渋面つくり、目を見開き、無念、顔に含ませける。「これ、門田番蔵とて、日頃は武の達者なるが、利の剣に留めける。先祖蔵人殿へ手向け奉る。」と、血刀添へて観念するを見て、この女、涙に袖を浸しぬ。亭主、この有様、合点行かず。「さては、この首によしみありと見えける。ありのままに語れ。」と、男は俄に心置きて、夫婦の間、異なものに変はりぬ。女は少しも動転せず、「只、何心もなし。手ばしかき御働きを、嬉しさの余り。」と不断の機嫌に直せど、男、一円同心せず。「その子細を、是非に申せ。」と聞きかかる。
女、迷惑して語りける。「私も、親の敵を眼前に見ながら、女の身の悲しさは、無念の年月を送りぬ。この度、かく御主様と語らひをなしけるも、御心底を見定め、『嬉しや。この事を頼み、討ちて貰はん。』と思ひ入りし折節、『敵あり。』との御物語。それにさし合はせては申しかねしに、今日、御首尾よく討たせ給へば、『我が敵もあの如くに討ち取りたきよ。』と心底、外に顕はれ、御目に余れる涙の袖。かかるめでたき折節、万事は御許し給はれ。」と言ふ。
男も、聞きも敢へず、「今は、我がためにも親なれば、そのままに置くべきや。」と、この初めをつどつどに語らせて聞き届け、「その者は、今ほど西の京といへる所に紛れ、白坂外記といへる名を変へ、天原流波と呼びて、表向きは手習ひの指南して、今も武芸怠らぬ」由語れば、亭主、様子を呑み込み、茶漬飯を喰ひて、つい宿を出でて行きしが、その日の七つ下がりに、この首も討ちて帰り、女に見すれば、「これぞ。これよ、左の方の額に切り疵。昔に変はらぬ顔ばせ、憎や。」と、死に首ながら、守刀を切り付け、又、「この恩、忘れ難し。」と喜び、今は誠、涙にくれぬ。
一日に敵二人まで討ち取る事、前代ためしなき働きなり。「この親類の咎めもあるべし。」と、後の事は最前の煙草切りに任せ、奈良にまします母をも一緒に引つ越し、その夜の内に所を立ち退き、本国に下りぬ。
【輪講】
佐藤 武士の身ほど定め難いものはない。生国備中の松山を離れて、和州郡山へ行きまして、「以前召し使つた小者が、今は町家に住んで、気楽に暮らしてゐる。」といふ話を伝へ聞いたので、ひそかに尋ねて参りました。縁が尽きなかつたと見えて、巡り逢ひますと、その男は驚きまして、「これは、いかなる御首尾で、かうやつて御一人で、ここへは御出になりましたか。」と言ふ。「それはと申せば、是非もない義理で御暇を申し請け、妻子は国方へ預けて置き、生計のために稼いでゐる内に、世の中は無常である習ひで、僅か二年の間に妻子は亡くなつてしまつた。今は長らへても甲斐ない身の上である。いづれの僧にでも頼んで、武士生活をやめて山居しようとの志も起こつたが、浪人が多い時節、今、世を捨てたならば、人に噂されるだらうが、それも残念だと思つて、何とかして以前取つた知行にありつき、その上で何とか思案しよう。少し存じ寄る子細があるので、一、二年はここに家を借りて、世間の様子を見合はせたい願ひである。その才覚、頼む。」と言ふ。その男は、段々話を聞く内に、涙をこぼして、「以前とは御変はりになつた御様子。さやうな次第とは、見るさへ痛ましい事であります。とにかく、御決心のやうになさい。」と言つて、まづ笹葺の狭い住居を御覧に入れる。そして、夫は煙草を切りかけたまま、徳利を提げて、酒屋へ酒を買ひに行く。女房は麻布を織つてゐたのをやめて、茶釜の下を焚きつけるといふ調子で、心一杯もてなしたので、一晩はここで明かしましたが、「どうもここに厄介になつてゐるのでは、気遣ひでいけない。何とぞして、自分のうちといふものを定めて、少しの間も暮らしたい」願ひを言ふと、「幸ひ、近所にこの間まで鍼医者の住んでゐた空き家がある。南受けに菱垣が結つてあつて綺麗で、侘び人が住むにはふさはしい家ですから。」と言つて、これを口をきいて借りてやる事にして、士には、奈良団扇の細工を勧めて、やつとの事で、みじめつたくはあつたが、足らないところは補助して、半年余りも過ぎて行つた。その間には、段々土地の人にも馴染んで、住みづらい事も忘れるやうになりました。「いつまでも一人では、寝覚めも淋しいだらう。」といふので、奈良の春日の里に通ふ商人が、「良い事がある。」と申し出して来た。「といふのは、後家の娘に二十二、三になるのがあつて、器量がいいし、しかも利口者で、母親にも孝行であるといふので、人が皆、縁組の望みをかけるのに、『浮世は飽き果てた。』と言つて取り合はない。『それでは、かつて男を持つた事があるのか。』と聞くと、さうでもないのに、花の盛りをいたづらに振袖を詰め袖に留めて、人に見られたいといふ風情もあつたものでない。『これは何か、人に言はれぬ病気でもあるか。』と内証で探索するのに、そんな事もない。あたら惜しむべき日数を送つてゐる内に、こなた――『今のところは浪人衆であるけれども、末々は頼みある御方だ。』と言ふと、母親よりは、その娘の方が聞き耳立てて、『さういふ零落した侍衆ならば、私も望むところである。もし先方で御承知下さるなら、身を任せて、御茶の給仕なりと致しませう。』と、親しく私に話した事である。工面のいい人の言ふ事には取り合はないで、貧家を好んで『参りませう。』と言ふのは、縁といふものである。」と言つて、押し付けるやうに取り持つて、結婚させましたところが、この女は、夫の気をよく呑み込んで、何事も言ひつけに背かないので、浪人も、今の身にして嬉しさ限りなく、「小升、横槌並べ、枕の契り。」さうした楽しみは、錦の夜具の楽しみにまさり、二人の仲に何も包む事なく暮らして居りました。折節、春雨が静かに降つて、外から訪ねて来る人もなく、寝酒を飲み交はして、詰まり肴(有り合はせの物で作る肴)に塩鯛の頭を、鉈を振り上げて打ち割り、小気味良ささうな顔つきをして、「この如く、いつぞ見つけ出して。」と呟くのを、女房が聞き咎めて、「それは何でございます。」と言ふ。尋ねられて、今は何も隠さず、「親の敵がこの地に立ち退いてゐるので、それを討たうといふ大願があるのだ。」と委しく話しますと、「それでは大事の御体である。」と猶の事、親切に仕へて、心の中では春日明神に祈願しまして、「敵を易々と討たれるやうに。」と御祈りしました。それから二十日ばかり経つて、亭主は、こつそりと「奈良の方へ行く。」と言つて、夜の明け方に家を出かけましたが、暫く経つて立ち帰り、「例の敵を今日見つけた。これは、天の道にかなふところだ。」と躍り上がつて喜びまして、肌に着込み、鎖の鉢巻をして用意をする。女房は、刀の目釘を検査し、口に人参を噛ませ、それから盃を取り交はして、うち笑ひ、「本望を御遂げになつて、追つ付け御帰宅なさるを御待ち申します。」と、この期に至つて不断とは格別変はつて、甲斐甲斐しく出してやりました。亭主はこれに力を得て、勇み勇んで立ち出ましたが、程なく帰つて来て、立派に遺憾なく討つてのけ、「敵はこれだ。」と、その首を手桶に入れて、割蓋で隠して置いたので、近所の人は誰もこれを知らない。夫婦でその桶を覗いて見ると、撫でつけ頭の大男が、苦しげな顔をして、眼を見開いて、無念の色を顔に含ませてゐる。「これは、門田番蔵と言つて、日頃は武の達者な男であつたが、今日はこの方の利剣で討ち留めた。これを先祖蔵人殿に手向け奉る。」と、血刀を添へて観念するのを見て、この女は涙に袖を浸しました。亭主はそれが合点が行かない。「さては、この首に縁があると見えた。ありのままに語れ。」と、俄に余所余所しい心持ちになつて、夫婦が妙なものになつた。けれども女は少しも驚いた様子がない。「別に何でもありません。手ばしこい御働きが嬉しさの余り。」と言ひ訳をして、常の機嫌に直さうとしたけれども、男は少しも同心しない。「ぜひその子細を言へ。」と聞きかかつて来た。女は当惑して話した。「私も実は、親の敵を眼前に見ながら、女の身の悲しさは、無念の年月を送つて居ります。この度、かやうにあなた様と夫婦の語らひをしたのも、御心底を見定めて、『嬉しや。この事を御願ひして、討つて貰はう。』と見入つたその折節、あなた様にも敵がおありだとの御物語。それにすぐに並べては、同じやうな事だから、申しかねて居りましたのに、今日、首尾よく御討ちになつたから、自分の敵もあのやうに討ち取りたいものですよ。その心底が外に顕はれて、つい涙を流すやうな事になりました。こんなおめでたい時に、万事御許し下さいませ。」と言つた。亭主は、それを聞くと同時に、「御前の親と言へば、今は自分のためにも親である。そのままに置くべきでない。」と言ふので、その子細を細々と語らせて聞き届け、「その者は、今、西の京といふ所に紛れ住んで、白坂外記といふ名を変へ、天原流波と呼んで、表向きは手習ひ師匠をして、今も武芸を怠らぬさうである。」と語るので、亭主は、一切の様子を呑み込んで、茶漬け飯を食つて、すぐ宿を出て行きましたが、その日の七つ時過ぎた時分に、白坂外記の首を持つて帰つて来て、女に見せると、「これです、これです。この左の額に切り疵がある。昔に変はらぬ顔つきである。憎や。」と言つて、死に首ながら、守り刀で斬りつけまして、恨みを晴らしたわけです。さうして又、「この御恩は忘れ難い。」と喜び、今度は本当に涙にくれた。一日に二人まで敵を討つといふのは、前代未聞の働きである。「この親類の咎めもあるだらうから。」と言ふので、後の事は、最前頼つて来た煙草切りに任せ、自分は女房と、奈良においでになる母も一緒に引つ越し、その晩の内にそこを立ち退いて、本国へ下つてしまつた。大変に急いだものですな。
(佐藤追記)目次の小題に、「一日に二度のかけ 梶原増りの事」とあるは、平家物語から思ひついたのでせう。
三田村 「長剣をもやめて」といふのは、武士をやめる事で、小刀の方は町人でも差すからです。「両刀をやめる」と言はないで、「長剣をやめる」と言つたところがいい。「侘び人」は、今の言葉にしたらどうなるか。
森 「世捨人」ぢやありませんか。
三田村 一番初めのところは、「『失職者が多いので、そのために世を捨てた。』と言はれるのが厭だから、先知にありついてから考へたい。」といふ事になつてゐるが、後ろの方を見ると、それは嘘なので、別に本望がある。これが面白い。「小升、横槌並べ」は、並べて枕にするんでせう。
木村 さうでせうな。
三田村 「肌に着込み」。これは鎧ぢやない。
木村 鎖帷子でせう。
(佐藤追記)「肌に着込み、鎖の鉢巻」と続いてゐるが、「肌に鎖帷子を着込んで、鉢巻をした」意でせう。
三田村 この男は、「敵を討つて来たが、手桶に首を入れて、割蓋で隠して来たから、誰も知らない。」と言ふ。これが後で、「上手に立ち退いてしまふ」といふ方に利いてゐる。
木村 手桶だから、差し覗かなければ見えないんでせうな。
三田村 「西の京」は、奈良の事です。
森 「口に人参を噛ませ」。こんな事は、中々しつかりして居ますな。
三田村 これが、夫婦の義理だ。
佐藤 うまい亭主を捜したもんですね。
(佐藤追記)「なるほど軽い縁組」と題にはあるが、女から言はせれば、選りに選つた亭主の事で、その点からは、決して軽率な縁組ではない。
校訂者註
1:底本は、「しつかふふりて。」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。
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