四 丸綿かづきて偽りの世渡り
【本文】
「房付き枕も定めず、昨日夢、今日は又、思ひ川の瀬に変はりゆく流れ。」とて、愛しからぬ男に身を懲らし、まんざら偽りの涙。待つも別れもそれからそれまで、いづれの女か勤め初めて、憂き年送るさへ苦しきに、この程の遊女は、昔の如く、かぶき者にはあらず。貧しき親の渡世の頼りに身を売られて、身を売る女郎とは成りぬ。すべて卑しき女にもあらず。これに定まる筋目にもなく、時節に従ひ、かくこそ成れ。
過ぎにし関ケ原陣に高名その隠れなき、何の守とかやの孫娘。父、浪人の身となり、今の都北の山里、物の侘びしき住まひ。煙の種に拾ひ集めし落葉の宿。名も埋れ木の風に痛み、程なく病死あそばしての後、母のいたはりにて、十二の春の花に譬へて小桜と名に呼ばれ、里の総角に結びし金水引も、今の風儀の髪形になれば、鄙びたれども都の人も見返る程になれり。
或る時、諸国へ人肝煎りのかか尋ね来り、「この息女、常ならねば、あたら美形をかくいたづらになし給ふも由なし。幸ひ、難波の大名の御母儀様より、麗しき御側仕ひ御尋ねにて、昨日もさる方より、烏帽子装束を着させ給ふ人の息女さへ、行く末思し召して遣はされける。この御子も、いかなる武家の御前にかならせ給ふも知れまじ。」と、物馴れが言葉に事を含ませて言ひければ、母人、同心ましまして、「娘が後の身のためとや。それをこそ願ひなれ。万事は御主様、頼む」由。「こつちへ任せ給へ。」と、その明けの日、早く乗り物差し向け、「御供申す。」と物事重く言ひなし、「これは当座の御心付け。」と小袖に金判十両、母に渡して、隣家の野夫を招き、代筆に証文書かせ、別れは親子の涙なるを、「やがての正月には薮入とて、会はせらるるも程なし。」と息女を引き取り、すぐに伏見の川舟に移し、岸根続きの里珍しく、浪の流れの身となる事は、浮鳥語らず。かかも黙りて、大坂の色町、佐渡嶋屋の何がしの宿にこれを渡して、その女房は京に帰りぬ。
小桜は、何の差別もなく、遊女、禿の大勢見え渡りて、洒落たる姿を嬉しく、勤め帰りの気晴らしに、貝合はせ、歌歌留多取るに、華奢の交じはりよろづに賢く、しかも心ざし憎まれず。「とかくこの子は松に、極めて成るべき者。」と末頼もしく思ひ、身の欲ながら、外より大事に掛けしに、それまでは遊女に成るとも思はざりしに、小林といへる禿を、「松山様。」と言はせて天職に仕立て、「明日より水揚に出す。」と言ふより、「我が身の事。」と覚悟して、遊女に成るべき事口惜しく、それより作病起こし、与ふる{*1}薬を飲まず。まして食物を断つて、親方の歎きを顧みず。無言になつて、人見る事もうるさく、眼を塞ぎ、卯月の末より床に伏して、五月闇の頃、誠に心も暗くなりぬ。人々、これを悲しく、「その身、流れにはなさじ。無事の姿を見立て、親里に送り参らせん。」と言へど、今更それをも聞き入れずして、「我も、武士の子なる者。」と、これを名残の一言にして、太夫に成る子を惜しや、さて。
【輪講】
山崎 房付き枕に臥す人を誰一人と定めず、毎日、川の瀬の変はるやうな流れの身ゆゑ、別に愛を感じない男にも懇ろにして、心にもない偽りの涙を流す。さうした、客を待つのも又別れるのも、それからそれと、その時々の人に任せて行くといふ遊女の生活を、誰が始めたものか。今では、遊女はさうして憂き年月を送つてゐる。遊女といふものも、今では昔のやうな「かぶき者」ではなく、貧乏な親の世渡りのために、自分の身体を色里に売られ、自分が自分の身を売る女郎となつた。それは、遊女の全てが悉く卑しい生まれと限らず、又、遊女になるべき筋目があるわけでもなく、時勢に迫られて、仕方なく落ち行くのである。以前、関ヶ原の戦ひに名高かつた、何の守と言はれた人の孫娘がここにある。父親は浪人の身となり、都の北山の里に侘びしい住まひをして、日々、竈の焚き物に落ち葉を集めるやうな生活で、祖先の名も世間には表れない埋もれ木のまま、父なる人は死んでしまつた。父が亡くなつて後は、母の養育で、その娘が十二になつた。春の花に譬へてよろしい姿で、名も小桜と呼ばれ、まだ子供の事であるから、里の総角に結んでゐるが、その金水引きも、今の世間風に見習つた髪形にしてゐるので、鄙びてはゐるけれども、都の人も見返る程になつた。或る時、諸国に人の周旋をする嬶が訪ねて来て、頻りに小桜を褒めそやし、「これ程美しいのを、片里に朽ちさせてしまふのも惜しいものだ。幸ひ、難波の大名の御母堂が、美しい側仕へを求めてゐられる。現に、昨日もさる方から一人出した。それは、烏帽子装束をつけるといふ、歴とした身分の娘であるが、これも将来の事を考へて、側仕へに出られた位である。この御子さんも、どうかして武家の奥様にならぬとも限らない。」といふふうに、物馴れた言葉でうまく言ひ廻したものだから、つい母親もそれに賛成して、「娘の将来のためとあれば、結構な事。」と、一切その嬶に頼んだ。嬶は、一任されたその翌日、早速乗り物を差し向け「御供致します。」と、いかにも大仰に体裁を作つて、その家を連れ出す事にした。さうして、「これは、当座の御心付け。」といふ名目で、小袖と小判十両を母親に渡し、隣の男を呼んで来て、その男の代筆で証文を書かした。親子が別れに涙を流すのを、「正月になれば、間もなく藪入りもする事ゆゑ、今暫くの辛抱。」と、うまく言ひくるめて、伏見の川舟に移し乗せ、やがて流れの身となる事は、水鳥も語らない。嬶は無論それを隠して、そのまま大坂の色町、佐渡嶋屋といふ所へ娘を引き渡して帰つた。小桜は、まだ何の分別もつかないから、遊女や禿が大勢、綺麗な姿をしてゐる中に交じつて、自分も綺麗ななりをしてゐるのを只嬉しく思ひ、「かへりの」貝合はせをしたり、歌歌留多を取つたりする。華奢仲間でさういふ遊戯をするにも、万事利口で気立ても優しいから、誰にも憎まれない。かやうに利発で素直な性質は、「将来、太夫に成る筈の者。」と見込まれて、色町の宿では、自己の打算でもあるけれども、他の者よりは大事にした。小桜はその頃まで、遊女に成るとは知らなかつたところ、小林といふ禿を「松山様。」と言はせて天神に仕立て、明日から水揚げに出すと聞き込み、「やがて自分も同じ事。」と悟つた。自分も遊女に成る事を、今気がついてみると、はなはだ口惜しい。それから覚悟を極めて、作病を起こし、薬を貰つても飲まず、その上、食物を摂らなくなつて、宿の親方の歎きも更に顧みない。物も言はず、人に逢ふのも嫌がり、眼をつぶつてゐるばかり。卯月の末から床に就いて、五月闇の頃には、本当に心も昏くなつてしまつた。周囲の人々もそれに同情して、「そなたを遊女にはすまい。もう一度本復するやう養生するがいい。その上で、親里へ帰さう。」と言つて慰めたが、今になつてはそれも聞き入れない。「私も士の子だ。」との一言を最期に、太夫にも成り得る子を、惜しくも死なせてしまつた。
三田村 「里のあげまき」は、髪の形があつたやうに思ふが、これはどつちでせうか。
山崎 「あげまき」は、子供の事も言ふが、これは、髪の形、田舎風なのぢやありませんか。
三田村 「取り上げて髪を結つた」といふふうにも取れる。「大名の所へ奥女中の奉公に出す」と言つて、騙して連れて行つたんですね。「金判十両」といふのは妙な字だが、小判の事は小判なんでせう。
(鳶魚副書)「金銀通用記評判」。「後藤光次、墨にて書き判有るに依つて、『判金』と言ふ。」これにて金判の意義、明らかなり。
森 実際、こんな事はあつたんでせうな。
三田村 「佐渡嶋屋」は、「澪標」にもある。新町にある有名な遊女屋です。
野々村 その頃、大阪の色町は、どの位ありましたか。
木村 新町のできたのは、寛永です。
野々村 その外にはありませんか。
三田村 ありますまい。
野々村 「かへり」は、分かりませんね。
三田村 分かりません。或いは、揚屋から帰つたんぢやないでせうか。それを「かへり」と言つた例は、あつたと思ふ。
森 「歌がるた」は、いかがですか。
山崎 もうありましたらう。
三田村 「今更それをも聞き入れずして」。この「今更」は、どういふ事になりますか。
森 親方に義理を立てたんぢやありませんか。
山崎 一旦ここまで来た以上は、既に半ば泥水に浸つたわけだから、「今更うちへ帰られもせぬ」といふ、その「今更」ぢやありませんか。
木村 武士の面目と、親方と、両方に対する義理ぢやないですか。
三田村 そこで、大変いいですな。
森 「かぶき者」。
(鳶魚副書)「かぶき者」といふ名称が、盛んに出て参りますのは、慶長年間であります。元気任せに少壮者どもが、思ひ切つた風俗をする事は、大分早くから行はれたので、それが流行の姿になつたのは、慶長度なのです。「かぶき」は「傾き」で、今の言葉の「傾向」といふのと同じだと思はれる。その「傾き」は、強味、力味といふ方へ傾いたのだ。やがて、強がり、乱暴に移つて行く道程を辿ります。
三田村 「かぶき女」といふものがあります。「一代男」にも、「昔は博多小女郎と申して、歌舞伎者ありける。」「歌舞伎者」は、男にも女にもあります。
森 当時のモダンガールみたいなものです。
山崎 当たり前の道を行かない。逸れ者ですな。結局、「かぶき者」と言ふより仕方がない。西鶴は、よく関ヶ原を持ち出しますが、芝居でやたらに「千葉家」を使ふやうに、差し障りがないからでせうか。
三田村 それに、最後の大戦争だからでせう。
野々村 今、大衆文芸の手合ひが、やたらに幕末を出すやうなものですな。
山崎 明治には、よく「士族の落ちぶれ」と言つたものだ。
森 「女衒」といふ職業は、まだありませんか。
三田村 当時、さうした稼業はあつたとは思へるが、「女衒」といふ文字を書いてゐたか否かは、傍証が欲しうございます。しかし、「ゼゲン」といふ唱へはあつたのでせう。
木村 一種の人買ひですな。
野々村 女がかういふ事をやつたと見えますな。
山崎 この標題は、それを言つてゐる。
木村 周旋して、身売り金の十分の一取るといふ事が、「一代女」だかにありました。
山崎 これは、正式の取引ぢやないから、向うへは幾らで売つたか、分かりやしません。
木村 全くこんな話がありましたらう。
三田村 芝居の種だね。
山崎 尤も、この時分の遊女は、今の女郎みたいなものぢやない。太夫にまで成るなら、或る意味から言へば、出世ですがね。
校訂者註
1:底本は、「与ゆる」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。
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