二 同じ子ながら捨てたり抱いたり

【本文】

 江州姉川合戦、永禄十二年六月二十九日に、敵味方、暫く矢留めをして、疲れを晴らす時、陣小屋の片蔭より、夕日の移りに見る人の目を忍び、落ち行く面影。遠見の役人木田丹後、旗下よりこれを見付けて、笹茂れる野道を横手に追つ掛け、その程近くなれば、逞しき女の一つ刀を差して、七つばかりの男子を歩ませ、又一人は、いまだ乳房をくはへし子を懐に抱いて、走り行きしが、若者急に見えし時、抱いたる乳飲み子を用捨もなく投げやりて、歩む子を肩にひつかけ、二町余りも逃げ延びし。捨てられし子の泣くを、この中にも憐れみ、取り上げて見しに、美しき娘なり。この子を抱く者あれば、先を追つ掛くるもありて、険しくなる時、柳の葉隠れにかの子を下ろし、刃物抜きかざし、男まさりの勢ひ、さりとては健気なり。されども大勢駆け合はせければ、逃るべきやうなし。中にも物に馴れたる人の下知して、「その女の命を取る事なかれ。」と声掛くる。いづれも少しの手は負ひながら、終に生け捕り、「いかさま、子細あるべき女。」と荒く当たらず。
 主人の陣所に引き出し、段々初めを申し上ぐれば、丹後、この女に向かひ、「いかなる者の子なるぞ。ありのままに申せ。」とひそかに尋ね給へども、只、「口惜しや。」とばかり言ひて、さしうつぶきて涙をこぼし、とかくの事を申さねば、いよいよ不思議に存じ、「もし大将の子息の事も。」と暫し試して見る内に、七つばかりの子が母の袖にすがりて、「とと様の所へ往にたい。」と言ふにぞ、「さては、末々の子。」とは知れける。「汝、何者の妻なるぞ。心ざしに優しきところあれば、了簡して一命を助くべし。殊更二人の子を、捨てやうに聞く事あり。不憫はいづれか変はらざるものなるに、乳を飲めるを捨てて、歩めるをいたはりしは、やがて用にも立つ身のため思ふ故か。」と問ひ給へば、時にこの女、顔さし上げ、心にありのままを語りける。
 「我が夫は、竹橋甚九郎とて、昔は小知も取れる者なりしが、浪人して後、この里の野夫なり。以前の乗り馬を牛に引き替へ、鑓は鍬の柄となして物作りせしに、この度、御下の百姓までも駆り込まれしが、夜前、夫の言ひ聞かせけるは、『この軍、とても勝手に成り難し。我は最期をここに極む。汝、一緒に命を捨てて、何の詮なし。急ぎ立ち退き、我と思ひ替へて、二人の子を随分成人致させ、名跡を継がせよ。』と再三頼まれけるに、是非もなき別れて、かく虜とは成りける。
 「又、妹を捨てて兄を助くる子細は、二人共に夫婦の仲の子には{*1}あらず。年月重ねても、子孫のなきを物侘びしく、親類の内より養ひ得たり。兄は夫の甥なり。妹は我らが姪なれば、相果てし後にても、身を思ふ取り沙汰にあへるは、女ながら口惜しき。」と。義理詰まれる心底を深く感じ、人知れず脇道より下人に送らせ、命を助け給へり。

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【輪講】

三田村  江州姉川の合戦のございました、永禄十二年六月二十九日に、敵も味方も暫く休戦致しまして、戦ひの疲れを休めてゐる。この時分の人は、戦争が商売になつてゐるから、「休戦しようぢやないか。」といふ事で、休戦する。軍書なんぞを見ましても、「年の暮だから休戦する。」なんていふ事が書いてあります。その休戦の時、陣小屋の片蔭から、夕日の光に人目を忍んで逃げて行く者のあるのを見つけて、さういふ方を見張つてゐる遠見の役人――木田丹後といふ人の陣営から、小笹の茂つてゐる野道を横手に追つかけた。捕まへられる程に近づいて参りますと、逞しい一人の女でありまして、刀を一本差してゐる。七つばかりの男の子を歩かせ、乳呑み子を懐に抱いて駆けて行つたが、後から追ひ駆けた若者が、追ひつきさうになつた時、抱いた乳呑み子を無造作に捨てて、大きい方の子を肩にかけて、二町余りも逃げ延びて行つた。かういふ戦ひの場でも、打ち棄てられた子供の泣いてゐるのを、可哀さうに思ふ者もあつて、抱き上げて見ると、綺麗な女の子であつた。「この子を抱いてゐる者もあれば、女の方を追ひ駆けて行く者もある。」といふから、これは大勢だつたと見えます。いよいよ追ひ詰められた時、女は肩の子供を道端の柳の葉蔭におろし、刃物を抜いて、男も恥づかしいやうな様子に見えた。さりとては、健気な事である。けれども大勢に追ひ詰められたのですから、もう逃げる事はできません。さうすると、追手の中に物馴れた人が居て、「この女は助けてやれ。」といふ下知をした。その声をかけられたものだから、皆が刃物三昧をするのをやめて、少々手傷を負ひながらも、命には別條なしに生け捕りにした。「いづれ、文句のあるやうな女であらう。」と大切にして、主人の所へ引つ立てて行つて、段々とこの女を捕らへた一埒を申し上げる。一営の大将である丹後が、この女に向かつて、「どういふ者の子であるか。包まずに申せ。」と言ふと、女は、「残念な事でございます。」と言つて、涙を流して、とかくの御答へをしない。益々不思議に思つて、「この連れ出した子が、大将の子ではないか。」といふ疑ひを起こして居ります内に、その子供が母親の袖を引いて、「とと様の所へ行きたい。」と言ふので、下々の子である事がわかつた。「親の所へ行きたい。」なんて言ふのを見れば、勿論、大将の子ではない。「お前は、どういふ者の家内であるか。前後の処置が士に似合はしいところがあるから、一命は助けてやらう。殊に二人の子供の捨て方について、聞きたい事がある。子の可愛いに、大きい小さいは無い。どれに変はりあらう筈もないが、普通に言へば、小さい方が猶可愛い筈だ。然るに、小さい方を捨てて、大きいのを連れて逃げたのは、早く役に立つといふ、身のためを考へたのか。」と尋ねた。その時、女は顔を上げて、自分の心に思ふままを申し上げた。「私の夫は、竹橋甚九郎と言つて、以前は少しばかりの知行も取つてゐた者であるが、浪人して後は、この姉川の傍の村落に、農夫になつて居りました。以前の乗馬は牛に見立て替へ、槍は鍬の柄にしてしまつて、耕作をしてゐたが、今度は地下の百姓も皆徴発されて、戦争する事になりました。昨晩、夫が申しますには、『この戦ひは、とても勝つ事はできない。自分はこの戦ひで、死ぬであらう。お前は一緒に死んだところで、何にもならぬから、急いでここを立ち退いて、自分の代はりに二人の子供を成人させ、自分の家名を継がせるやうにしてくれ。』と再三頼まれました。さう頼まれて見れば、死ぬわけにも参りませんから、是非なく夫に別れまして、遂に生け捕りになつた次第でございます。小さい子を捨てて、大きい方を連れて立ち退きましたのは、これは、どつちも私ども夫婦の子ではありません。連れ添ひましてから、相当年月は経つてゐるが、子といふものがありませんので、物足りなく思つて、親類から子供を貰つて育てて居ります。只、大きい方は主人の甥で、小さい方は私の姪でございます。私が死んで後も、自分の身を思ふやうに考へられては、女ながらも残念なので、夫の血縁の方を連れて逃げたのでございます。」といふ事であつた。聞いてゐた丹後を始め、誰もがこの義理立てをする心底に深く感じて、敵方の人間であるから、表向きに逃がしてやるわけにはいかないけれども、人知れず家来に命じて、脇道から送らせて、その命を助ける事にした。――姉川合戦は、信長、家康と、浅井、朝倉の戦ひです。
野々村  土地は、浅井の方ですな。浅井の領内の戦争だ。「木田」と書いて「モクタ」と読んであるが、これはどつちでせうか。
三田村  織田方でせう。これは、「キダ」と言ひさうなものですがね。あまり有名な人ぢやない。
山崎  「少しの手は負ひながら」は、女の方では無しに、追手の方でせう。殺さない事にしたから、生け捕るのに骨が折れて、幾らか負傷したんでせう。
三田村  さうですな。中々強かつたと見える。この時分は、只の百姓でも徴発されたんだから、以前小知を貰つてゐた人なんぞは、無論でせう。
野々村  しかし、兵農は別れてゐたんでせう。
三田村  別れてゐました。けれども、かういふ場合には、「十五以上六十以下。」といふやうな事で、徴発するのです。
木村  この前にも、こんな話がありましたね。
  信長なども、百姓を使つたらしいです。
三田村  この時分だから、百姓だつて、連れ出せば槍位は振り廻しますよ。
木村  「小栗栖村の十兵衛」ですな。
三田村  あれは、もう少し甲羅を経たやうだ。
仙秀追記)「この話は『左伝』にある。」と、穂積以貫が「難波土産」の「北条時頼記」の註に引用してゐます。西鶴ばかりでなく、かうした作品には、大分、翻訳物が入り込んでゐるやうです。
水谷追記)この話は、木村君の御説の如く、諸書に載つて居るやうです。その原話が「左伝」であるかは知りませんが、かのソロモンの話と共に、支那説話の中にも、色々翻案されて居るのでせう。了意作「本朝女鑑」(寛文元年版)「馬飼歌依の妻」も、同巧異曲の筋で、歌依が冤罪で殺され、更に二人の子に及び、廷尉が兄弟を捕らへて火中に投ぜんとすると、歌依の妻が狂気の如く走り出、廷尉を支へて、「どうか兄だけを助けてくれ。」と哀願する。「幼い弟の方を助けると言ふなら、母の情として聞こえてゐるが、兄を助けろと言ふのは、どういふ理由か。」と質すと、「弟は実子であるが、兄は継子であるから、兄を殺しては、義理ある先妻に対して申し訳がない。」と言ふのであつた。無論この話も、翻案に相違ありますまい。
鳶魚副書)この頃は、鉄砲もあつたのですが、言ひ慣れた言葉の「矢留め」を使つてゐた。双方から射出さない、それが「矢留め」です。それで休戦、もしくは停戦のわけです。「一つ刀」――女ですから、武士の妻でも「一つ刀」なのです。所謂、「守り刀」といふやつです。「男まさり」といふ言葉も、この辺のが分かり良い。いかにも男まさりだ。

校訂者註
 1:底本は、「子にあらず。」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。