二 表向きは夫婦の中垣
【本文】
文禄の頃、都の西、東寺のほとりに、常に変はりて不思議なる夫婦の人あり。縁ほど可笑しきものはなし。その男は七十余にして、頭に黒き筋なく、浦嶋がいにしへを今見る親仁なるに、その女は、二八に未だしき春の山、花の唇より物言ふかと誤たる程の艶女。少し物腰に小訛りあつて、四国育ちとは知れける。「京の女ならば、形慢じて男憎みをすべきに、田舎人の律儀さ、見苦しき人に添うて月日を送られける。」と、これを感ずる人はなく、その美形をせめて見る事を歎きしに、この男、年は寄れども、行儀に暫時も油断せず、鮫鞘の中脇差、常住反り返して、目に角を入れ、命を何とも思はぬ有様、人おのづから恐れて、そのうちに頼る者なかりき。朝夕の営み、何するとも見えず。米を炊き釜の下焚くまでも、その女の手には掛けず、男の業には似合はざる事をもして、女をいたはりける。
そもそもこの夫婦と見えし人の生国は、予州の武士なりしが、金子合戦、天正の乱れに、この息女の父、柳井右近討死し給ひ、御妻子流浪あそばしけるを、我、腰抜け役の留守番頼ませ給へば、せめての働きに人々隠国致させ、世静まつて後、播州人丸の里に知るべありて、一年を暮らしける内に、この母、御病死。憂き世とは存じながら、これ程悲しき事。身を思ふ日蔭者の、いづくへも道狭く、この姫子を連れて、老いの浪の寄る辺定めず廻国して、やうやう今の都に来て、憂き住まひ。世間は夫婦分に致せしも、恐れなれども、姿すぐれさせ給へば、諸人の執心うたてく、恋をやめさせんがために、かく夫婦とは申し習はしける。昼は、「女房ども。」と言へば、息女も賢くて、「旦那、旦那。」と言ひなし給へり。この心安きより、姫、いつとなく、誠の妻の如く思ひなして、打ち解けさせ給ふも、この男、身を固め、武士の心底を立て、ゆめゆめそれに気を移さず。さりとはむつかしき相住みの年をふりぬ。
折節、夏の雨しきりに、宵より鳴神響き渡りて、常さへあばら家、殊更に毀れて、軒の雫もいたく降り込み、南風激しく、板戸も掛け金外れて、外の光の恐ろしく、内の灯し火影消えて、女心にはひとしほ物悲しく、頼む人とて親仁なれば、豊かに伏したる懐に駆け入らせ給ひ、「恐や。」としがみつかせ給ひ、やごとなき御肌の身にさはれば、観音経を読誦して、随分心を移さざりしが、神鳴も落ち方知れず治まり、雨もをだやみて、壁下地の忍べ竹に白玉の取り添ふも、物哀れに優しく見えて、「昔男の女を騙し、鬼一口に噛み殺されたしと思ひ入りたる闇の夜も、正しくこんな面影ならめ。」と親仁、老いを起こして、「人の知る事にはあらず。律儀も物によれ。」と、左の足をうちもたせけるが、「弓矢八幡、誤つたり。いかにしても、道を背けり。さても浅ましき心底かな。」と、我と悪心翻して、それよりむく起きにして立ち去り、観念の明かり窓のもとにして、その夜を過ごし、その後はいよいよ恐れて、この御息女を見奉りしに、その頃、高家の方より美女御尋ねあそばされしに、都の事なれば、美君あるべきものなりしに、いづれも少しづつの障りありて、宮仕ひの望み絶えける。
然るに、かの息女、御尋ねの年の程なれば、装ひ繕ふまでもなく御目に掛けしに、「これに続きて、又あるべからず。」と詮議極まりての後、筋目を正し給ふに、父母共に歴々の武士なれば、これに子細はなかりき。されども、「この親仁、夫婦の語らひなしける。」との取り沙汰、第一の障りとなり、この首尾変はりて、かの息女を帰させ給ふに相見えし時、この親仁、所存の段々言上申せど、「これぞ、縁者の証人。」と、誰か取り上げ給ふ御方もなかりし。「身に誤りのなき事は、後日に相知るる御事あり。この度、官女にそなはらざりしは、縁づくなれども、下人の不作法とは、世の聞こえ、迷惑至極のところなり。是非に今一度、御取り持ち頼み奉る。私なき誓文なり。」と左の腕を自ら打ち落として、涙に沈みぬ。この心ざしを感ぜさせ給ひ、御疑ひ晴れさせられ、この美女、御寵愛の御枕の朝、猶々身の曇りを去つて、月の都の只中に住み給ひぬ。
【輪講】
間 文禄の頃、京都の西、東寺のほとりに、世の常とは変はつた夫婦が居た。縁といふもの程、不思議なものはない。男の方は七十余りで、頭に黒い髪の毛はなく、まるで玉手箱を開けてからの浦嶋太郎を目の当たり見るやうな老人なのに、女の方はまだ二八にもならぬと見える。さういつた綺麗な女であるが、少し物腰に訛りがあつて、四国育ちである事が知れる。京生まれの女ならば、自分の容貌を誇つて、男をくさすべき筈であるのに、律儀な田舎人だけに、かういふ見苦しい人に添ひ遂げてゐる。本来は感心すべきだけれども、一向皆、感心しないで、せめてその美しい形に恋ひ焦がれてゐた。男は、歳こそとつて居ますけれども、少しも油断してゐない。始終、鮫鞘の中脇差に反りを打たせ、目に角を立てて、命などは何とも思はぬ様子に見える。それですから、人は自然とこれを恐れて、話しかけたりする者もない。しかしその女は、朝夕の仕事も何もせず、米を炊ぎ、釜の下を焚くやうな事までも、不似合ひな男がやつて、女を大事にしてゐる。そもそもこの夫婦と見える人は、元伊予の国の武士であつたが、「金子合戦」、この女の父親柳井右近といふ人が討死して、その妻子は流浪する事になつた。自分は年を取つてゐるので、腰抜け役に御留守居をさせられてゐたが、せめてもの御奉公に、一家の人々を敵に見つからぬやうにし、世の中が静まつてから、播州人丸の里(明石)に知つた人があるので、御妻子を連れて行つて、一年程暮らす内に、母親は病気で亡くなられた。これ程悲しい事はない。人目につかないやうにしてゐる日蔭者には、どこへ行つても住みいい所はない。一人遺つた主人の息女を連れて、老いの浪の寄る辺なく、国々を廻りまして、やつと今の京都に来て、侘び住まひをしてゐる。世間には、「夫婦。」といふ事にしてゐるのは、申し訳ないけれども、息女は容色が優れてゐるので、色々な人が思ひをかける。それがうるさいので、さういふ恋をやめさせるために、夫婦といふ事にしたのです。昼間は世間体があるから、「女房ども。」と言ふと、息女も利口な人で、「旦那、旦那。」と言つてゐられる。その心安さから、息女の方では、本当の妻のやうな気がして、打ち解けて居られるが、男の方はいよいよ身を固め、武士の意気地を立てて、それがために心を移すやうな事はなかつた。間違ひが起こりさうで起こらない。さういふ難しい二人住みで、何年か経つた。或る時、夏の雨が頻りに降つて、宵から雷がひどく鳴る。元来、あばら家の事ですから、特に雨が漏りまして、軒の雫もひどく降り込む。南風が烈しく、板戸の掛け金が外れたので、外の電光も恐ろしい。女心のひとしほ物悲しく、頼りにするのは老人だけですから、駆け入つて、「怖い。」と言つて、すがりついた。道心の揺らぐのを、観音経を読誦して心を移さなかつたが、その内に雷も去り、雨も小降りになつて、壁下地のしのべ竹に、雨の名残の白玉を結んでゐるのも、何だか風流めいて面白く見える。「業平が女を連れ出して、鬼一口に噛み殺されたいと思ひ入つて食はれた晩も、こんなであつたらうか。」若返つて、「どうせ人の知る事ではない。ままよ。」と思つたが、「弓矢八幡、誤つた。いかにしても、これは道に背いてゐる。浅ましい心底であつた。」と思ひ返して、そこを起きて立ち去り、「観念の明かり窓」。その後は、いよいよ恐れてこの息女に対して居りましたが、その内に、或る身分のある方が、美人を捜して居られる。都の事ですから、随分美人がありさうなものだが、どれにも少しづつの難があつて、宮仕へができない。然るに例の息女は、丁度註文通りの年配であるから、特に着飾つたりする事もなく、御覧に入れたところが、「これに続く者はない。」といふ事で、詮議が決まりました。筋目を糺すと、父母共に歴々の武士であるから、一向差し支へない。けれども、「前の老人と夫婦になつてゐた。」といふ評判があつたので、それが第一の故障になつて、返される事になつた。老人は、色々所存を申し上げたけれども、これは所謂「縁者の証人。」といふやつで、「出世させたいために言ふのだから、当てになつたものぢやない。」と言つて、取り上げる者がない。そこでこの老人が、「自分に誤りのない事は、後日に必ず知れる事がある。今度、官女になれないといふのは、何事も縁づくのものであるから、致し方もないけれども、『下人である自分が、主君の息女に恋慕した。』などと言はれては、世間の聞こえも迷惑至極である。是非もう一度だけ、御取り持ちを願ひたい。私の無い誓文は、この通りである。」と言つて、左の腕を打ち落として、涙に沈んだ。この志に御感じになつて、今までの御疑ひも晴れ、この美女を御寵愛になつた。老人の方は、これで身の曇りも取れ、都の真ん中に住む事になりました。
木村 「月の都の只中に住み給ひぬ。」は、御姫様の方でせう。爺さんは、それで相済みになつてゐるので…。
三田村 金子合戦は、「安西軍策」の中にあつたと思ひます。何でも、余り小さい戦争ぢやなかつた。
佐藤 「縁者の証人。」は、諺です。
(山崎追記)「宵より鳴神響き渡りて…」以下、「…こんな面影ならめ。」の辺まで、源氏物語夕顔の巻を思はしむる文体なるが、実は謡曲「夕顔」及び「浮舟」の文句を踏まへたるなり。その二、三。「宵より鳴神」――宵の間過ぐる。「軒の雫」――もとの雫。「南風烈しく」――風烈しう。「板戸も」――妻戸を。「外の光の恐ろしく、内の灯し火影消えて」――松の響きも恐ろしく、風に瞬く灯火の、消ゆると思ふ心地して。「闇の夜も正しくこんな面影」――闇の現の人も。等。
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