【本文】
雪中の筍、八百屋にあり。鯉魚は魚屋の生け船にあり。世に天性の外、祈らずともそれぞれの家業をなし、禄を以て万物を調へ、孝{*1}を尽くせる人、常なり。この常の人稀にして、悪人多し。生きとし生ける輩、孝なる道を知らずんば、天の咎めを遁るべからず。その例は、諸国見聞するに、不孝の輩、眼前にその罪を顕はす。これを梓にちりばめ、孝に{*2}勧むる一助ならんかし。
貞享二二稔孟陬日
【訳】
「昔、支那に孟宗といふ孝子があつて、親のために、雪の積もつてゐる藪に筍を求め得た。」と伝へるが、今日は、筍は八百屋にあつて、たやすく求める事ができ、又、「同じく王祥といふ孝子は、親のために、氷の張り詰めた河に鯉魚を得た。」と言ふが、今の世には、魚屋の生簀に生かしたものがあつて、いつでも鯉は求める事ができる。自然の道理に外れた事を願はずとも、各自の家業に励み、その利得を以て、あらゆるものを求め調へ、人の教への道を尽くして行くのが、今の世の人の常道である。この常道を勤むる人すら稀で、悪人が多い。生きとし生ける人間は、孝道を知らなければ、天の咎めを蒙るものである。その例は、諸国を見聞して見ると、不孝の輩がその罪を顕はしてゐる話が、眼前に沢山ある。これらの話を綴つて、版木に刻して世に出版する。これ、孝を世に勧むるの一助となるであらう。
貞享四年正月
【釈】
(全文につきて)文章、その意を尽くしてゐないところがある。無理な省略を補つて訳しておいた。
校訂者註
1:底本は、「教」。『本朝二十不孝』(1993)語釈に従い改めた。
2:底本は、「孝をすゝむる」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
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