今の都も世は借り物
【本文】
世に身過ぎは様々なり。今の都を清水の西門より眺め廻せば、立ち続きたる軒端の内蔵の景色、朝日に映りて、夏ながら「雪の曙か。」と思はれ、豊かなる御代の例、松に音なく、千歳鳥は雲に遊びし。限りもなく打ち開き、九万八千軒と言へる家数は、信長時代の事なり。今は、土手の竹薮も洛中に成りぬ。それぞれの家職して、朝夕の煙立てける。「千軒あれば、共過ぎ。」と言へるに、ここにて何をしたればとて、渡り兼ぬべきか。
五條の橋、弁慶が七つ道具の紙幟を年中書ける人もあり。又、子を思ふ夜の道、手を打ち振つて当てどなしに、「疳の虫を指先から掘り出します。」と言ふもあり。鉋を持ちて、俎板しらげに廻る。大小に限らず三文づつなり。念仏講の貸し盛り物、三具に敲き鉦を添へて、一夜を十二文。産屋の倚り懸かり台、大枕まで揃へ、七夜の内を七分。餅搗き頃の蒸籠、昼は三分、夜は二分。薬鍋一七日十文。大溝の掃除、熊手、竹箒、塵籠まで持ち来り、一間を一文づつ。木鋏かたげて、立木に依らず、作るを五分、継ぎ木一枝を一分づつ。一時大工六分。行水の湯沸かして一荷を六文。夏中の貸し簾。世智かしこき人の心、見え透きて、始末を所帯の大事と言へり。只居なく手足動かせば、人並に世は渡るべし。
ここに、新町通四條下る所に、格子作りの綺麗なる門口に、丸に三つ蔦の暖簾かけて、五人口を親にかかりの様にゆるりと暮らしぬ。知らぬ人は、「医者か。」と思ふべし。長崎屋伝九郎とて、京中の悪所銀を借り出す男なり。騙り半分。」とも言ふに、これは、元日から人の寄る年を、「若うならしやりました。」と嘘をつき初めて、大晦日まで一つもまことはなかりき。されども、さし詰まりたる時、人のためにもなる者なり。
又、室町三條のほとりに、隠れもなき歴々の子に、替名は篠六と言ふ人、いかに若ければとて、七年この方に、請け取りし金銀を若女二つに費やし、隠居の貯へあるに極まりし分限なれども、ままならず。俄に浮世もやめ難く、手筋聞き出し、長崎屋伝九郎を頼み、死に一倍の借り金千両才覚させけるに、都は広し、これに貸す人もありて、借り手の年の程を見に遣はしける。篠六、美男を俄に逆贅にして、身を見苦しうなし、今年二十六なるを、「三十一になります。」と、知れてある年をまざまざと五つ隠されし。世上の習ひにて、年若に言ふを悦びしに、さりとては不思議晴れざりし。銀貸す人の手代、つくづく見定め、「御歳は幾つにもせよ、こなたの御親父なれば、いまだ五十の前後なるべし。」と言へば、「私は、年寄られましての子なり。もはや親仁は七十に程近し。」と言ふ。
手代合点せず、「この中も見ますれば、店に御腰を掛けられ、根芋を値切り給ふ言葉つき。大風の朝、散り行く屋根板を拾はせらるる心遣ひ。あれならば、御養生残る所あるまじ。まだ十年や十五年に灰寄せは成るまじ。死に一倍は貸されまじき。」と言ふ。「それは大きに思し召しの違うた事。持病に目まひ、殊に次第肥りは中風下地。長うとつて五年か三年、外に仕舞うてやる思案もあり。是非に貸して給はれ。」と言ふ時、諸々の末社、口を揃へ、「我々が思ひ入れにて、長うはあるまじ。これに相詰めし者どもは、あの親仁様の葬礼を頼みに、この大尽に御奉公申せば、時節を待たず、埒の明けさしましやう御座る。」と言ふ。「さもあらば、手形の下書。」と言ひ捨てて帰る。
そもそも死に一倍、金子千両借りて、その親相果つると、三日が内にても二千両にて返すなり。手形は二千両の預かりにして、小判一両月一匁の算用に、一年の利金ばかり、かしらに取るなり。千両の二百両引きて、八百両にて渡しける。
この内、借り次ぎの長崎屋、世並にて百両取つてしめ、手代への礼とて二十両取られ、相判に家屋敷のある人頼みしに、この二人に判代とて利なしに二百両借られ、「この程、この事に入用銀。」とて取られ、「この座に居賃。」と言ふ人もあり。「大分事首尾して、御祝ひ。」と貰はれ、はらりと切りほどきて千両の物を、手取りは四百六十五両残りしを、あまたの太鼓持、勇めて、「これはめでたし。大尽御立ち。」とすぐに御供申し、四條の色宿にて硯紙取り出し、払ひ方の覚え書き、久しく埋もれたる揚屋の届け、野郎の花代、茶屋の捌き。「大尽の御意にて、二階の天井仕りました。万事の払ひ、十両までは要らず。」と、遣ひ日記を御目にかくる。二、三年以前に、旅芝居の時損した事申すやら、覚えもなき奉加帳に取り出し、無縁法界六親眷属までに書き立てられ、悲しや。この金、物の見事に皆になし、一両三歩残りしを、「さもしや。方々、大臣に金子など持たしますは。」と、取つてからりと銭箱に投げ入れられ、うかうかと酒になる時、「あの夢のさめぬ内に。」と一人一人立ち退き、残る者とて、内よりつきし六尺一人。「御宿の戸を閉め時。」と連れまして帰りける。
いよいよ親仁の無事を歎き、江州多賀大明神に参り、親の命を短く祈れど、何をか聞きし、この神は寿命神なれば、なほ長生きを恨み、諸神諸仏を叩き廻し、「七日が内に」と調伏すれば、願ひに任せ、親仁、目まひ心にて、各々走けつけしに、篠六、嬉しき片手に、年頃拵へ置きし毒薬取り出し、「これ、気付けあり。」と白湯取り寄せ、噛み砕き、覚えず毒の試みして、忽ち空しくなりぬ。様々口を開かすに甲斐なく、酬い、立ち所を去らず、見出す眼に血筋引き、髪縮み上がり、身体、常見し五つ嵩ほどに成りて、人々、奇異の思ひをなしける。
その後、親仁は諸息通ひ出、子は先立ちけるを知らで、これを歎き給へり。欲に目の見えぬ金の貸し手は、今思ひ当たるべし。
【訳】
世間に、糊口の道は沢山ある。今の京都の町を、東山清水寺の西の門から眺め廻して見ると、立ち続いてゐる家々の内蔵の景色の見事さ。朝日の映じた白壁の色は、時節は夏であつても、「雪降り積もつた冬の曙か。」と思はれる。今の治世のためしとて、松吹く風の音もせず、鶴は雲居の空に舞ひ遊んでゐる。果てもなく四方に開いて繁昌してゐる町の家数の多さ。「九万八千軒ある。」と言つたのは、過ぎし織田信長時代の事であるから、今日の京都は、それよりは遥か多くなつてゐる事であらう。昔は土手で、竹藪のあつた所も、今は京の町続きになつてゐる。ここに住むおびただしい人々は、皆それぞれに職業を持つてゐて、それで生活を営んでゐる。「千軒あれば共過ぎ。」と諺に言ふ程だから、この京ならば、いかなる仕事をしても、糊口に窮する事のあらうか。五條の橋の上で、弁慶が七つ道具を背負つて牛若丸と戦つてゐる、同じ絵の五月の紙幟を一年中書いて、それで生活を立ててゐる人もあり、又、「子を思ふ夜の鶴。」といふ諺の親心を汲んで、夜道を手ぶらで歩きながら、当てども無くぶらついて、「疳の虫を小児の指の先から掘り出します。」と触れて、小児の疳を癒して商売にする人もある。鉋を持つて俎板削りをして廻り、一枚削つて三文の工銭を得て、糊口をする者もある。念仏講中の講の際に、仏前に供へる御盛り物の菓子、それに花瓶、燭台、香炉、外に敲き鉦まで添へて貸し付け、一夜の損料十二文を取る商売もあり、産室に用ゐる寄りかかり台、それに産婦用の大枕まで添へて貸し、七夜までの損料、銀七分取る商売もある。餅搗く時分に蒸籠を貸して、昼間は銀三分、夜間は二分と定めて、損料を取る人もある。病人の有る家に薬鍋を貸して、七日間の損料十文取る人もある。「大どぶの掃除をする。」と言つて、熊手、竹箒、ごみ取りまで持参して、それで溝一間につき、一文づつの賃銭を取る者もある。木鋏をかたげて廻り歩き、立木の種類に関はらず、何の木でも一本作つて五分、接ぎ木ならば一本に一分づつ、賃銭取る植木屋もある。又、一時雇ひの大工で、手間代六分取る者もある。行水の湯を沸かして、一荷六文づつに売る者もある。ひと夏、簾を貸して、賃銭取る人もある。いかにも当世の世智賢い人達の心が見え透いてゐる。これ程であるから、節倹は、世帯持つ者の大切な事である。いたづらに遊んでゐる事なく、手足を動かして働きさへすれば、人並の暮らしはできるであらう。
ここに、新町通り四條下る所に、格子造りの綺麗な家の門口に、丸に三蔦の紋をつけた暖簾をかけて、五人家族の暮らしを親の仕送りでしてゐるやうに見えて、不足なく暮らしてゐた。その職業を知らない人は、外観だけから、「医者か。」と思ふであらう。この家の主人は長崎屋伝九郎と言つて、京都中の遊蕩者のために、遊蕩費を借り出す周旋を業とする男である。「騙り半分。」とも諺に言ふが、この男は、元日から老ける年齢を、「御若う御成りになりました。」と、世間並みの嘘の挨拶を言ふのを初めとして、大晦日まで一年中、嘘ばかり言つて、まことを言ふ事はなかつた。それでも、金銀に手詰まつた人のためにも成る者である。
又、室町三條辺に、有名な金満家の子に、変名を篠六と言つてゐる人が居た。いかに年の若い無分別時代の事と言つても、七年の間に親から譲り受けた金銀を、男色女色の色遊びに悉く消費してしまつた。猶、隠居の親父の貯へてゐる多額の財産の、有るに相違ない身代であるけれども、それは、思ふやうにはならない。さうかと言つて、急に道楽をやめる事もできないので、縁故を聞き出し、それを辿つて、長崎屋伝九郎といふ男を頼み、死に一倍といふ條件で、金千両借り入れの工面をさせた。ところが、京都は広い所で、かういふ條件でも、「貸さう。」と言ふ人があつて、手代を篠六の年齢調べに遣はした。
篠六は、元来美男子に生まれついてゐたが、俄に髪は逆鬢にして、容姿を見苦しくし、今年二十六歳になるのに、「三十一歳になる。」と、知れてゐる歳をまざまざと、五つも多く言つて騙した。一体、世間では、少しでも歳は若く言ふのを好むのに、篠六が五つも多く言つたのは怪しむべき事で、この疑問は晴れなかつた。「金銀を貸さう。」と言ふ人の手代が、つくづくと篠六の顔を見て、「御歳は幾つにしても、あなたの御親父ですから、まだ五十歳前後でございませう。」と言ふと篠六は、「私は、年寄られてから生まれた子供でございます。親父はもう、七十に間もなうございます。」と言つた。
手代はそれでも承知せず、「この間も、御見受け致しますと、御店に腰を御掛けなされて、根芋を値切つていらつしやつた御言葉付きと言ひ、大風の吹いた朝、落ち散つた屋根の板切れを拾つていらつしやつた御心遣ひと言ひ、あの御様子ならば、平素の御養生も残るところなく、行き届いていらつしやいませう。まだ十年や十五年は、御命に別條はございますまい。死に一倍の條件では、御貸しするわけには参りますまい。」と言つた。篠六、「それは、大きに御見込みが違つてゐます。持病に目まひの病気がございます。殊に、年寄つて次第太りに太られますが、これは、中風に罹る前兆と申します。ですから、長く見積もつても、これから五年か三年の命でございませう。又、外に片付けてしまふ工夫もあります。是非、どうか貸して下さい。」と言ふ時、多くの幇間達も口を揃へて、「私どもの執念で、とても長生きはできますまい。ここに詰めて居ります私どもは、あの親父様の御葬式を当てにして、この大尽に御奉公を致して居る者でございますから、御定命の尽きる時を待たず、早く往生なさるやうに、しやうもございます。」と言ふ。「それならば、手形の下書を持参致しませう。」と言ひ捨てて、手代は帰つて行つた。
そもそも、この「死に一倍」といふ條件の借金法は、「(まだ親がかり、部屋住みの者が、親に隠して)金子を千両借り、その條件として、借主の親が死んだら、三日の間に元金を二倍の二千両にして返済をする。」といふのである。証文の面は「金二千両の預かり。」といふ事にし、利子は、元金の小判一両に対して、月銀一匁を付する計算で、初年の利息金ばかりは、契約の当初に(天引きにして)貸主が取るのである。それで、千両の中から二百両を引いて、残額八百両として渡した。
この八百両の中から、中間に立つた周旋屋の長崎屋が、「世間普通の習ひだから。」と言つて、周旋料百両を取つてせしめた。又、貸主の手代への謝礼として、二十両取られた。保証人に家屋敷を持つてゐる人を頼んだので、その保証料として、利息なしに二百両借りられた。この外に、この件に関する費用として引き去られ、又、「その座に居合はせた人達の立ち会ひ賃。」として要求する向きもあり、「切角、多額の借金に成功した御祝ひだ。」と言つては貰はれ、千両の包みをはらりと切りほどいて、その千両の内、篠六に手に入つたものは、たつた四百六十五両しか残らなかつた。それを又、多くの幇間がおだてて、「これは、めでたい事だ。さあ大尽、御立ちなされませ。」と、すぐに色茶屋へ案内した。
さて、四條の色宿では、硯箱を取り出して、支払ひの方の覚書を作つて、一々支払ひをした。まづ、久しく未払ひになつてゐた揚屋の支払ひ金。野郎役者の花代、御茶代の支払ひ。かつてこの茶屋で、大尽篠六の言ひ付けで、二階の天井の造作をした時の諸事の支払ひ。「十両まではかかりませんでした。」と、その時の入費の日記帳を出して見せた。二、三年前に、芝居の旅興行に出た時の損した事を言ひ出して無心を言ひ、かつて覚えもない奉加帳を出して寄付金を乞ふやら、自分とは全然縁故もない者どもにまで、何やかやと書き立て請求されたので、悲しや、切角借りた金も見事に皆無になつてしまつた。僅かに残つた一両三分は、幇間等が、「少額ではあるし、かたがた又、大尽様に御金を持たせますのは、さもしい。見苦しい。」と言つて、その一両三分は、取つて銭箱の中に投げ入れてしまつた。うかうかと金銀は失くして、さて酒の席となる時分になると、「先刻の良い夢のさめない内に、御暇申さう。」と、既に篠六を見限つた幇間等は、一人一人逃げるやうに退散してしまつた。残る者は、邸から連れて来た駕籠舁一人であつた。この駕籠舁も、「もう御宅では、戸を閉める時分でございます。」と言つて、篠六を促して連れて帰つた。
いよいよ親父は壮健であるので、それを歎いて、近江国にある多賀大明神に、「親父の命を縮めて給はれ。」と祈つたけれど、この神様は、長寿を司る神様であるから、いよいよ親父は長生きをされるので、それを恨めしく思つて、所々の諸神諸仏に参詣し廻つて、「どうか親父の命を七日の内に取つて下さい。」と調伏の祈りをすると、その願ひが叶ひ、親父は目まひを起こされた。家々の人達が駆けつけて行つたので、篠六は嬉しく思ふ一方には、「かねての計画を実行しよう。」と、片手に年頃作つて持つてゐた毒薬を取り出して持ち、「ここに気付け薬があります。」と、白湯を取り寄せて、自分の口に入れて、これを噛み砕いて飲ませようとして、知らず知らず飲み下して、毒薬の試しをして、一瞬の間に死んでしまつた。家の人達が驚いて、色々して篠六の口を開かせようとしたが、とうとうその甲斐なく、親不孝の報いで、天罰たちどころに到り、眼は塞がらず、しかも血の筋が引いて赤くなり、髪の毛は縮み上がり、胴体は平常の五倍にも膨れ上がつた。これを見て、人々は不思議がつた。その後、親父は呼吸の息が出て、快癒された。その子が自分に先立つて死んだ理由は知らないで、その死を歎かれた。
欲に耽つて盲目的となり、この息子に金銀を貸した貸主は、今こそかかる親不孝に金を貸した非に思ひ当たつて、後悔するであらう。
コメント