旅行の暮の僧にて候
【本文】
「雪こんこんや、霰こんこん。」と小褄に溜めて、里の小娘、嵐の松蔭に集まり、脇開けの寒けき事は厭はず、夕暮を惜しむ所へ、熊野参詣の旅僧、山々の難所を越え、漸々麓にさがり、この童子の方に立ち寄り、息も絶え絶えの声して、「人の住みかは、遠いか。」と、足腰ここを立ちかねしを見て、皆々、宿に走りぬ。
その中に、岩根村の勘太夫が娘、小吟と言へるは、いまだ九歳なりしに大人しく、「今少し行けば、我が方なり。湯をも参らすべし。」と御出家に力を付け、道しるべして宿に帰れば、夫婦立ち出、小吟が心ざしを思ひやり、又、「旅人、哀れ。」と萩柴折り焚き、様々もてなしける。
法師、くたびれを助けられ、喜び限りなく、心静かに油単包を改め、肩に掛けて、「某、国里は越前福井の者なるが、過ぎし年、二人の親に別れ、それより世を捨て、かく墨染の袖に涙は暫しも干し兼ねて、せめては死に跡の供養に諸国を巡りける身なれば、重ねて又もや。」と手を合はせて拝み、夜を籠めて立ち行く後にて娘、申しけるは、「今の坊様は、風呂敷包の中に小判のかさ高く、革袋に入れさせ給ふを見付けたり。御一人なれば、人の知る事にもあらず。殺して金を取り給へ。」とささやきけるに、思はざる欲心起こり、山刀を差して枕鑓ひつ提げ、後を慕うて追ひかけ行く。
いまだこの娘、九歳の{*1}分として、かかる事を親に勧めけるは、悪人なり。殊更、熊野の山家なれば、干鯛も木になる物やら、唐傘も何のためになる物をも知らざる所に、小判といふ物見知りけるも不思議なり。
かの出家、広野に枯れし草分衣の裾高にとりて、霜月十八日の夜の道、宵は月もなく、推量に辿り行くに、脇道より人の足音怪しく、立ち止まりけるに、大男、鑓の鞘外して飛びかかるを、これは悲しく、逃げざまに顧みれば、最前情けに預かりし亭主なり。言葉をかけて、「我、出家の身なれば、命惜しきにあらず。しかれども、何の意趣ありて、かく害し給ふぞ。路銀を取るべき望みあらば、命に替へて惜しまじ。」と小判百両、ありのままに投げ出せば、これを請け取り、「銀が敵となる浮世と思へ。」と脇腹を刺し通せば、苦しき声を上げ、「おのれ、この一念、幾程かあるべし。口惜しや、口惜しや。」と言ふ息の次第に弱り、野沢の汀に倒れしを、押さへて止めを刺し、死骸を浮藻の下に沈め、ひそかに宿に帰れど、世間に知る人もなく、その後は家栄えて、牛も一人して持ち、田畠も求め、綿の花盛り、米の秋、思ふままなる月日を重ね。
小吟も、十四の春になりて、桜色なる顔を作れば、山里には殊更に目立ち、これを恋ひ忍ぶ人、限りなし。姿の自慢より男撰びして、終に夫を定めず。身をぞんざいに持ちて、浮名の立つ事、うたてし。様々異見するに、かつて親のままにもならず。「この富貴は、自らが智恵付けて、かやうに成りける。」と折々大事を言ひ出し、子ながら持て余しける。或る時、我と男を見立て、「あれならば。」と言ひける程に、「とかくは心任せに。」と人頼みして橋を架け、「世を渡る稼ぎに愚かならぬ婿なり。」と一しほ喜び、契約の酒事まで済みて後、この男の耳の根に、見ゆる程にも無き出来物の跡を嫌ひ、和歌山の伯母の方へ逃げ行きしを、所に置きかね、屋敷方の腰元使に遣はしける。その身いたづらなれば、奥様の手前を憚らず、旦那に戯れを仕かけて、いつとなく我がものになしける。さすが武士の息女なれば、「世にある習ひ。」と知らぬふりし給ひて過ぎぬ。
小吟、募つてこの恋やめず。家も乱るる程になれば、世上の取り沙汰思し召して、この事、隔てぬ夫婦の仲に語り給へば、旦那、「今までの誤り」、至極の心になりて、それよりこの道堅くやめさせ給ふを、小吟、奥様を深く恨み、或る夜、御番の留守を見合はせ、御寝姿の夢の枕元に立ち寄り、御守刀にして心臓を刺し通しければ、驚き給ひ、「おのれ、遁さじ。」と長刀の鞘外して、広庭まで追ひかけ給ヘども、かねて抜け道拵へおき、行き方知らずなりにき。色々御身を揉み給ヘども、深手なれば弱らせ給ひ、「小吟めを討ち留めよ。」と二声三声目より幽かに、早、命は無かりき。御次に臥したる女ども、事過ぎて起き合はせ、「これは。」と歎くに甲斐なく、小吟が逃げ延びし道筋に追手をかけしに、女には健気に立ち退きし。
「小吟が出るまでは、その親ども、籠舎。」とありて、憂き目を見せける。いよいよ出ぬに極まり、「霜月十八日に成敗。」と仰せ出されしに、この者預かりし役人、不憫に思ひ、「子故にかくは成り行くなり。臨終を覚悟して、又の世を願へ。」と夜もすがら酒を勧めけるに、この親仁め、機嫌よく、更に歎く気色なし。「外にも、科ありて命をとらるる者、我が悪は言はで歎きしに、汝は、子の代はりにかかる憂き事に。」と言へば、この者、出家を殺せし因果の程を語りて、「七年目に巡り、月も日も明日に当たれり。この筈。」と思ひ定め、観念したる有様。「悪は悪人にして、今この心ざし」を、皆々哀れに感じける。
とても遁れぬ道を急がせ、首打つての明けの日、親の様子を聞きて、隠れし身を顕はし出けるを、そのままこれも討たれける。「いづくまでか、一度は捜さるる身を隠しぬ。おのれ出れば、仔細なく助かる親を。これ、例も{*2}無き女なり。」と憎まざるはなかりけり。
【訳】
「雪こんこん、あられこんこん。」と歌ひつれて、この山里の小娘どもが、木枯しの吹く日、松の木蔭に集まつて、降り来る霰を、着た着物の褄を掲げて受け溜めてゐる。脇の下から吹き入れる風の寒さも厭はず、日の暮の早きを惜しんで遊び耽つてゐるところへ、熊野参詣に来た旅の坊さんが、山路の多くの難所を越えて、やうやうこの麓の里に辿り着き、小娘らの居る所に近づいて、息も苦しい絶え絶えの声に、「人の住みかはまだ遠いか。」と尋ねて、足も腰も立ち兼ね、ここを立ち去り兼ねた様子を見て、小娘らは恐れて、その家々に逃げてしまつた。
その小娘達の中に、岩根村の勘太夫が娘の小吟といふのがあつた。まだ歳は九つに過ぎなかつたが、大層ませてゐて、「今少し行くと、私の家です。御湯でも上げませう。」と言つて、旅僧に力をつけて、道案内して我が家に帰つた。両親が立ち出て、一つには小吟の心を思ひやり、又一つには、旅僧を気の毒に思つて、招き入れて、萩の小枝の薪を折り焚いて、色々ともてなした。旅僧は、旅の疲れを癒す事ができて、喜ぶ事限りなく、心静かに油単包を開いて、旅の具など調べた上、それを肩にかけて、「私は、郷里は福井の者ですが、去年、親に死に別れて、それから世を捨てる心になつて、かやうに墨染の衣を着る身となりましたが、親の亡き後を慕ふ涙は、暫くもやみ難いので、遂に思ひ立ち、せめては親の亡き後の供養のために、諸国巡礼をしてゐる者です。重ねて又御会ひ申す事もありませう。」と言つて、手を合はせて拝み、夜道を行くつもりで、この家を辞して立つて行つた。
その後で娘が言ふやうには、「今の坊様は、風呂敷包の中に小判といふものを沢山、革の金袋に入れて持つて居られたのを見ました。一人旅の事ですから、誰も知る筈はありません。殺してその金を御盗りなさいよ。」とささやいたので、父親も意外な欲心を起こし、山刀を小脇に差し、枕槍を提げて、旅僧の後を追つて行つた。この娘は、まだ九歳の小娘の分際で、親に対してかくの如き事を勧めたのは、悪人である。殊更に熊野の山家の辺鄙に育つて、干し鯛も木になるものやら何やら知らず、傘も何のために使ふものかも知らないのに、小判といふものを見知つてゐたのも不思議である。
かの旅僧は、広野の枯れ草を踏み分け、衣の裾を高く絡げて行く。霜月十八日の夜道の事であるから、宵の間は月もないので、暗い野道を心推量に辿り行くと、脇道から人の来る足音がした。「怪し。」と思つて立ち止まると、大の男が槍の鞘を外して飛びかかつて来るので、「これは悲し。」と逃げざまに後ろ振り返ると、先刻もてなしの情けに預かつた家の主人である。それで、言葉をかけて、「愚僧は出家の身の上だから、命を惜しむのではありませんが、しかし、何の遺恨があつて、かく愚僧を殺さうとなされるか承りたい。もし旅費を盗らうといふ御望みなら、愚僧の命と取り替へて差し上げませう。」と言つて、小判百両をそのままにして放り出した。すると大男は、この金を受け取つて、「金が敵となる浮世だと思へ。」と言つて、旅僧の脇腹を槍に刺し通した。旅僧は苦しい声を上げて、「貴様、この怨みの一念、報いる時節も遠くはあるまいぞ。残念だ、残念だ。」と言ふや否や、呼吸も次第に弱り、野沢の水際に倒れてしまつた。大男は、それを押さへて止めを刺し、死骸は野沢の浮藻の下に沈めておいて、ひそかに家に帰つたが、誰も世間にこの事を知る人なく、その後は家も栄えて、耕作の牛も一人で飼養するやうな身分になり、田畠をも買ひ求め、木綿の花盛りを見せ、又、豊穣なる秋の収穫をも得て、思ひ通りの月日を重ね。
小吟も、十四歳の春を迎へて、美しい顔に化粧するやうになると、山里一郷には格別に目に立つ美人で、恋ひ慕ふ若い男の数へ切れない程であつたが、小吟は、自分の器量自慢して男を選み、とうとう定まつた夫を持たず、引く手あまたに身を任せて、自堕落に身を持ち、悪い評判が立つやうになつたのは、誠に苦々しい事である。親達が、いかに異見を加へても聞かない。そして、「このやうに家が金持ちになつたのも、私が智恵をつけて上げた御蔭だ。」と、時々秘密の大事を口走るので、親も、我が子ながら持て余してゐた。
或る時、自分に男を見立てて、「あの男ならば、結婚しても良い。」と言つたので、親達は、「かれこれ言はぬ。お前の考へ通りにしたが良い。」と言つて、人を頼んで先方との間に橋渡しをして貰ひ、「渡世の事にも愚かでない婿だ。」と、ひとしほ安心して喜び、いよいよ因みの盃事まで済ませて後、小吟は、亭主の耳の根元に、小さい、目に立つといふ程でもない腫れ物の痕のあるのを嫌ひ、和歌山に居る伯母の元に逃げて行つてしまつたので、郷里には置くわけにいかず、屋敷方に腰元奉公にやつた。浮気性の女だから、奥様の前も憚らず、旦那に色事を仕掛けて、いつとなく旦那を我がものにしてしまつた。奥様は、さすがに武士の娘であつたから、「かうした事は、世間にもある例だ。」と思つて、知らぬふりして、そのままにしておかれた。
小吟は増長して、このいたづら事をやめず、そのために、この家に一騒ぎ起こる程になつたので、奥様は、「世上の評判となつては、御家の大事。」と思つて、親しい夫婦仲に、この事を言つて諌められると、主人は、「今までの事は、自身の過ち。」と至極後悔して、この事を固く思ひ止まられた。
それについて、小吟は深く奥様を恨み、主人が御番の勤務に出られた夜、その不在に乗じて、奥様の休んで居られる枕元に近づき、御守刀を取つて、その心臓を刺し通した。奥様は、驚き目覚めて、「おのれ、逃すまい。」と言つて、長刀の鞘を外して、広庭まで追つかけられたが、小吟は、あらかじめ逃げ道を作つておいて、素早く身を隠し、行き方知れずなつてしまつた。奥様は、「追ひ討たう。」と色々身をもがかれたが、深手の事なれば、弱らせられ、「小吟めを討ち留めろ。」と二声三声言はれ、それから声も幽かになつて、間もなく落命してしまはれた。次の間に寝てゐた女達は、小吟が逃げた後で目をさまし、起き出て、「これは大変だ。」と歎いたが、もはや何の甲斐もない。小吟が逃げた道筋に追手をかけたけれども、女としては健気にも、とうとう逃げ延びてしまつた。「小吟が捕まるまでは、その親を獄に入れろ。」とあつて、両親は捕へられて、憂き目を見せられた。
小吟はいよいよ出ないといふ事になつて、「霜月十八日、両親は死罪。」と御上の命令が出た。そこで、この両親を預かつた役人が、子の身代はりに殺される親達を憐れんで、「お前達は、我が子のためにこんな事になつて、命を失ふのだ。最期の覚悟をして、来世の救ひを仏に願へ。」と言つて、終夜酒を飲ませてやつた。ところがこの親仁め、機嫌よく酒を飲んで、少しも歎く様子がない。「この親仁の外に、罪科のために殺される者を幾らも見たが、それらの人は、自分の罪は棚に上げて、殺される事ばかり歎いたが、お前は子の身代はりにされるのに、一向愚痴を言はないのは、どうしたものだ。」と言ふと、この親父、かつて旅僧を殺したので、自分も殺される事になつた因果応報の理を話して、「その旅僧を殺してから、明日がちょうど七年目。しかも、月も日もそれに相当してゐる。自分が殺されるのは当然の事。」と言つて、よく覚悟を決めてゐる様子である。悪人は悪人に相違ないにして、今はかうした見事な心を持つてゐるのを知つて、一同感心した。そこで、到底免れる事のできない死出の道を急がせて、その首を打つてしまつた。
するとその翌日、「親が、我が身代はりに討たれた。」と聞いて、小吟は今まで隠れてゐた身を世間に顕はしたので、すぐに捕へて、この女も討たれた。「いづくまで逃げたところで、罪ある者は、一度は捜し出されて討たれるものである。自分さへ出れば、わけなく助かる親達を殺させたのは、これ、世に類のない悪い女である。」と憎まぬ者はなかつた。
校訂者註
1:底本は、「九歳(さい)のの分」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「ためしなき」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
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