先斗に置いて来た男

【本文】

 人の心ほど変はり易きは無し。静かなる浦に家の風を吹かし、浪の騒がしきも「身を治めぬが故。」と世間より指さされけるは、口惜し。殊に泉州の堺は、よろづに古風残りて、物事内端に構へ、律義を本として、人皆華奢に世智賢く、灸箸にて目を突く如く、そのせはしさ、息も鼻もさせぬ所なり。
 ここに大道筋の南向き二十七、八間、檜木造りの台格子に二重座の鋲釘を打ち輝き、奥深に豊かなる住居、見るさへ羨まし。何を世渡りとも知れ難し。昔、唐へ投げ銀して仕合せ、次第分限となつて、今この金銀儲けにくい世の中に、「仕舞うた屋殿の八五郎。」と言はれぬ。されども、「親に不孝。」と取り沙汰する程の事、悪人なり。不断の仕業、塩肴も目にかけて値段をし、計り芋も百を何程と数読みて買ひ、夢にも十露盤を忘れず、銭溜める分別ばかりして、袋町、乳森の遊女を知らず、夷嶋の常芝居見た事もなくて、世帯持ち堅むる鑑にも成りぬべき人なり。
 或る時、小家に集まり賀留多の勝負を始めける。かやうの人の、小判を二十両づつ先斗に張られしを見て、近所の人、これを驚き、「こなたには気が違うてや。かかる博奕業をあそばしける事、思ひも寄らず。」と言へば、かの吝き人、うち笑ひ、「その方の不思議、尤もなり。今時、何商ひをしても、一倍になる事、これより外になし。長崎へ銀を下すは、長々の気遣ひなり。これは、一思ひの早業。千両が忽ち二千両に成るものを、この年まで知らぬ事の残り多し。舟荷を積みて、住吉大明神に祈誓を懸けんより、金銀置きかけて、歌留多大明神を祈るが近道。」と真実からの顔つき。さりとは、知れぬものは人ぞかし{*1}。
 「これ皆、欲心よりの思ひ立ち。やむまじき。」と推量しけるに、案の如く親にうとまれ、この事、異見を聞かず。これに身を染め、おのづから人柄も賤しく成りて、世上の付き合ひも欠き、妻子を見捨て、人の物を只取る事面白く、この道のすつぱの皮に出合ひ、そろそろ取り上げられ、いつとなく、「内蔵、から大名。」と言ひ立てられ、互に貸し借りも成らず。久しき家に伝はりし諸道具を、夜市に出すは、「惜しき事ではないか、ないか。」と売り立てられ、銀目になる程の物は、年々の茶の湯振舞に出、親代に人も見知りて、眼前の恥をさらしぬ。
 後には一門も見限り、合力をせず。縁者に憎まれ、女房を取り返され、下々も暇貰ひ捨てて、季時を待たず出て行けば、伽藍の如くなる家居に灯一つ立て、正月に餅を搗かず、盆に鯖食はず。親子三人暮らし兼ね、屋敷を売りて、又その銀をその日より打ち出し、十日も立たぬに負けて、その後は、安立町の中程に借家住まひ。昔の名残、紫縮緬を着ながら、母親の手馴れぬに朝夕の飯を炊かせ、父親に水仙の早咲きを作らせ、又は山刀豆、胡瓜の種売らせ、己は勝間辺の街道端に出、渋紙を敷きて、曲げ物に一から十五までの木札を入れ、右の手に錐を持ちて、「天狗頼母子」と名付け、道行く人をたらし、馬奴、古着買ひ、味噌漉売りを招き、これも博奕業にて相取りを拵へ、愚かなる人の銭を取りて、仕合せなれば、すぐに出茶屋の女に戯れ、酒にその日を暮らし、宿には帰らず。年寄られし親には、浜近き塩さへ与へず。折節の寒空、霰松原の荒神の前も淋しく、割木の絶えて悲しき事思ひ詰めてや、夫婦、同じ枕に心元を突き刺し、遠里小野の霜とは消えぬ。隣に近き櫛屋、針屋、筆屋の駆け付け見しに、はや事切れて是非もなく、各々、不憫に思ひぬ。
 かかる時、一子の八五郎帰り、この有様を見ても更に歎かず。人々これを憎み、死骸の取り置きにも構はず、野辺に送る人もなし。八五郎一人して、空き葛籠二つに二人死骸を入れて、一荷にかつぎ、鳶田の墓に急ぎしに、岸の姫松のほとりにて、夜も明け方なるに、この所暴れ組、後ろより八五郎を切りて、葛籠を手毎に持ちて、安倍野に隠れぬ。
 この盗人の仕合せ、開けて悔しかるべし。

【訳】

 人の心位、変はり易いものはない。「静かな海辺に住んでゐながら、家庭に風波を起こして騒ぎのできるのも、その主人が、よくその身を治めないためだ。」と言つて、世間から指さし笑はれるのは、誠にその人にとつて遺憾千万な事である。どこでもさうであるが、殊に泉州の堺は、万事に昔風の残つてゐて、物事を内端にし、正直を元として、人は皆風流で、しかも世智に富んで居り、灸箸で目を突くほど忙しくして、息もさせない位の所である。
 ここに、堺の大通り筋に南向きで間口二十七、八間、檜造りの普請で、表は台格子になつて居り、その格子には二重座に鋲釘を打つてあつて、その鋲釘が光り輝いてゐる。間口の広いばかりか、奥行きも深くして住みなしてゐる。只見てさへ羨ましい住居である。この家、何を商売にしてゐるか、外観だけでは知り難い。昔、外国へ手付け打つて、仕入れをして金を儲け、それから次第に富裕になり、かく大金持ちとなつて、現今の金銀の儲けにくい世の中に、「仕舞うた屋」と言はれる八五郎といふ人がある。この人は、家は富んでゐても、「両親に不孝な人だ。」と世間に噂されるのであるから、悪人である。この人の平常の仕打ちを見ると、塩を買ふにも一々秤目に掛けて買ふ位で、夢の間も勘定の事を忘れずに、銭を貯める工夫ばかりして、かつて袋町の乳森の遊女も見た事もなく、又、夷嶋の常芝居を見た事もない。世帯を持ち固むる者の手本にもさるべき人である。
 或る時、或る小家に仲間と集まつて、歌留多遊びの勝負を始めた。かかる堅い人が、その平常にも似合はず、大金二十両の小判を賭けて勝負したのを見て、近所の人が驚いて、「お前は狂気でもしたのか。どうしてかういふ博奕をなさるのか。思ひがけもない事。」と言へば、かのケチな人が笑つて言ふ。「お前の不思議に思はれるのも、尤もな事であるが、今時、何の商売をしても、元銀の二倍に当たる大利を得る事は、博奕以外にない。これまでのやうに舶来品の商売しても、商品の仕入れに手付銀を遣はして、その結果を待つ長い間の気遣ひをしなければならない。この博奕は、只一思ひの、勝つか負けるかの瞬時に決する仕事で、幸ひに勝ちを続ければ、千両の元銀が二千両となる。誠に利の早いものである。この年まで、かういふ事のあるのを知らなかつた事が、残念だ。商品を船に積んで送れば、『海上の災難のないやうに。』と、船魂様の住吉大明神に祈らねばならないが、そんな事をするよりは、むしろ一思ひに金銀を博奕に賭けて、歌留多の神様に祈る方が、金儲けの近道である。」と、真実の心から言ふ顔つきで言つた。さりとは人の心の変はり易き、将来どう変はるものか分からぬものである。
 「これと言ふも皆、欲心から起こる考へであるから、とてもやむ事はあるまい。」と推量してゐたところが、案の如く、この道楽やまず、後々は両親にも見限られ、人の異見も用ゐず、この遊びにその身を浸した。そのために、これまでの人品も賤しくなり、世間との交際もなくなり、妻子も見捨ててしまひ、人の物を只で取る博奕の事が面白くて堪らず、さうしてゐる内に、博奕仲間の詐欺賭博者にかかつて、段々金銀を取り上げられ、いつとなく財産を費消し尽くして、内蔵も空になつた。「あの男もカラ大名だ。」と世間に噂され、これまでのやうに貸し借りをしてくれる者もなくなり、久しくその家に伝はつた諸道具を持ち出し、これをせり売りの夜市に出して売り払つた。「惜しい事ではないか。ないか、ないか。」と言はれて売り立てられ、銀目の物は皆売られたが、これらの道具の中には、親の代に年々催した茶の湯の振舞に用ゐて、世間の人達の見知つてゐる物もあるので、眼前に我が恥をさらす事となつた。
 その後は、親類中でも見限りて、誰も金銭を恵む者もない。縁者には憎まれて、妻も実家から取り返され、下男下女も暇を貰ひ捨てにして、出替はり時を待たずに出て行つてしまへば、家は伽藍堂になり、家中に灯火たつた一つ灯すやうになり、正月が来ても餅も搗かず、盂蘭盆が来ても鯖も食べず、親子三人の糊口をなしかね、とうとう家屋敷を売り払つて、その金銀でその日から又博奕を打ち出し、十日も経たぬ内に負けてすつてんてんになつた。
 その後は、安立町の中程に借家住まひの身となり、昔の名残に紫縮緬の着物は着てゐながら、母親には馴れない朝夕の炊事をさせ、父親には早咲きの水仙を作らせたり、又は刀豆や胡瓜の種を売らせたりして、自分は勝間辺の街道端に出て、大道に渋紙を敷いて、その上で曲げ物に一から十五までの木札を入れておき、道行く人に、右の手に錐を持たせて、この木札を突かせ、これを「天狗頼母子。」と名付けて、馬方や古着買ひや味噌漉し売り等を寄せ、相棒を設けておいて、人々を騙して銭を取つた。もし幸ひに利益を得れば、すぐに出茶屋の女に戯れ、酒にその日を暮らして、銭を持つて家に帰る事はなかつた。
 年寄られた親達には、海近い所であるのに塩さへ舐めさせず、丁度寒い季節で、霰松原の荒神様の前も寂しく、薪もなくて、焚く物にも事を欠く悲しさを思ひ詰めたのであらうか、両親は、胸元を突き刺し自殺して、遠里小野の霜と消えてしまつた。近隣の櫛屋、針屋、筆屋などから駆けつけて見ると、もはや二人共に事切れて、何とも仕方がなかつた。人々は、「可哀さうな事。」と同情した。そこに丁度、一人息子の八五郎が帰つて来て、この有様を見たが、一向歎く様子もない。これを見た近所の人達は、八五郎の仕打ちを憎み、死骸の処置も構はず、野辺送りをする人もなかつた。
 八五郎は、只一人で空き葛籠二つ持つて来て、二人の死骸をこれに納め、それを一荷にして担ぎ、鳶田の墓場に急いだ。すると、岸の姫松の辺で夜も明け方になつたが、この地の暴れ組の者どもが後からつけて、八五郎を切り殺して、その葛籠を手毎に奪ひ取つて、逃げて阿倍野に隠れた。
 この盗人どもは、葛籠を開けて、その不仕合せを知つて、さぞ悔しく思ふであらう。

前頁  目次  次頁

校訂者註
 1:底本は、「しれぬ物ぞかし。」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。