心を呑まるる蛇の形

【本文】

 極月十三日の明け方より畳を叩き立て、春待つ宿の煤払ひ。小笹の当座箒も塵に埋もれ、人はなほ埃をかづきぬれば、水風呂を焚いて、入り加減、よしといふ女の言へば、男聞きて、「新湯は人の身に毒なり。まづ隠居の親仁を入れよ。」と、心にある事を口に出次第に言ひける。不孝はこれにてよろづも知れたる人、陸奥宇都宮といふ所に住みし漆屋武太夫といふ商人なるが、初めはわづかに硫黄、灯心を肩に置きて、山家に通ひて世を渡りけるが、未だ四、五年に出来分限、人も不思議立てける。されどもこの男、常々子細なき者なれば、さのみ人も疑はず。「大黒天の袋を拾ふか、狐福ならん。」と沙汰し侍る。
 人の仕合せは知れぬものぞかし。しかれども、分限に品々あり。世間に変はらず、その身相応の衣類を着て、朝夕も折節の魚鳥を味はひ、貧なる親類を取り立て、下々を憐れみ、神を祭り仏の道を願ひ、親に楽しみを与へ他人の義理を欠かず{*1}、万事素直にして富貴なるは、天の恵み深く、人の本意なり。世の有様を見るに、誠ありて世上に住む人、稀なり。それは、当分家栄えても、滅亡するに程なし。只正直にして、なりはひに一生を送らんは、心の取り置き一つなり。この武太夫、俄に楽しければ、昔を忘れ、時得て我が儘を振舞へば{*2}、所に憎み立てられ、人の付き合ひ絶えて、我が内の竃将軍、寒いも暑いも知らず暮らしぬ。
 そもそも有徳に成りけるは、山里に通ふ時、大隈川の水上に細き枝河の続き、その流れの元は谷深く、岩組するどにして、落ちかかる滝の音に耳を轟かしぬ。木立茂みて蔭暗く、葉末に白玉砕き、不断時雨の如し。水底、夏さへ氷を割りぬ。この川に、江鮭の魚住みけるに、武太夫、水練を得てこれに入り、手捕らへにして、度々人をもてなしける。或る時、淵と思ふ所を捜しけるに、黒き物、山の如く見えけるを、一掴み取りて上がれば、峰より年々流れ込みて固まりし漆なれば、忍びて器を拵へ、我が宝にして取りて帰り、これを商売するにぞ、只取る金銀、後には置き所もなかりし。人皆気を付けければ、なほ欲心深き巧みして、細工の上手に龍を作らせ、水中に沈め置きしに、さながら生きてはたらく如く、日数ふりてこれを見るに、口を動かし尾を延べ剣を縮め、それとは知りながら恐ろし。
 この事、宿に帰り親に語れば、「されば、人間は欲に限りなし。この上の願ひ、何かあるべし。平にやめよ。」と様々異見せしに、かへつて親に仇をなし、己が一子に武助と言ひし、十四になるを引き連れて、かの淵に行きて、次第を語り聞かせ、「我が如く取り習へ{*3}。」と親子とも入りしに、最前の龍に精ありて、武助をくはへて振ると見えしを悲しく、藻屑の下に身を沈め、二人共に息絶えて、二十四時を過ぎて体の上がりけるにぞ、見る人、「親の恥なり。」と憎み、「哀れ。」と言ふ者なし。
 この事顕はれ、「数年かやうの事を押領せし科。」とて、この家闕所せられて、親は所を立ち退き、漸々命を助かり、悲しき浮世に住みぬ。女は、親類とても無き者なれば、そのままの乞食と成りて、恥を顧みず人の門に立ちぬれども、「姑に辛く当たりし者。」とて、すたり行く水をもやらず、程なく飢死にあひぬ。

【訳】

 陰暦十二月の十三日の朝早くから、畳を上げ、その埃を叩き立てて、正月を迎ふる家々では、煤掃きといふ事をする。それに用ゐる、笹葉のついたその時限りの竹箒も、塵に埋もれ、煤掃きする人の体は猶更、埃をかぶつてしまふ。それで、据ゑ風呂を沸かして、一同これに入るのが習はしである。或る家で、「丁度湯加減が良い。」と、よしといふ下女が知らすれば、この家の主人がそれを聞いて、「人のまだ入らぬ沸き立ての湯は、人の体に害がある。まづ隠居の親仁に入らせろ。」と、心にある事を口から出任せに言つた。この男の親不孝者たる事は、この一言でわかる。
 この親不孝を以て知られた人は、奥州宇都宮といふ所に住んでゐた、名は漆屋武太夫といふ商人であるが、元は貧乏な、硫黄附木や灯心を担いで行商をして歩いて、山家などの不便な所に通うて世渡りをしてゐた者であるが、僅か四、五年の内に俄分限者になつたので、人々も怪しんでゐた。しかしこの男、別に悪事を働く者でもないので、さして人も深くは疑はず、「多分、大黒天の金袋でも拾つたか、又は偶然の仕合せに遇つたものであらう。」と噂してゐた。
 人の仕合せといふものは、分からぬものである。しかし、世の分限者にも色々ある。世間と違ふところなく、その身分相応の衣裳を着て、朝夕の食物も、時節時節の魚や鳥などを味はひ、貧窮してゐる親類があると、それを取り立ててやり、又、下々の者には憐れみをかけ、神を祀り、仏道を信じて菩提を願ひ、親を楽しませ、他人には義理を欠く事をせず、万事に素直にして、しかも裕福なのは、天の恩寵深い人で、又、人たるものの本意とするところである。然るに、世情を眺めて見ると、かういふ心に誠を蔵して世間に交じはり行く人は、滅多にない。さういふ人々は、よし一時はその家栄えても、遠からず滅亡するのである。人は只、正直にして、なるままに世を無事に渡る事は、その人の心の持ち方一つでできる事である。この武太夫は、俄に富んで楽になつたので、昔の貧しい時の事を忘れて、奢り、我が儘贅沢な行ひをするやうになつたので、所の人々には憎まれ、人の交じはりも絶えて、我が家の竈将軍になつて権威を振るひ、寒い目も暑い目も知らずに日を暮らしてゐた。
 そもそも、この男の富裕になつた原因を尋ぬれば、山里に行商に通つた時分に、阿武隈川の上流に細い支流があり、その水源は渓谷深い所にあつて、山の岩岨立ちたる所から滝を成して落ち、その音、耳を聾するやうであつた。この辺、木立茂つてその蔭暗く、葉末には滝のしぶきがかかつて、常に時雨の降るやうであつた。水底は、夏さへ水が氷のやうに冷たかつた。この川に江鮭の魚が住んでゐたが、武太夫は水泳ぎの上手であつたから、この流れに入つて魚を手捕りにして帰り、度々人に馳走してやつた。或る時、淵と思はれる所に入つて魚を探してゐると、その底に黒い物が山のやうに見えてゐるのを見つけて、それを一掴み取つて水から上がつて見ると、峰の方から年々この谷川に流れ込んで、自然に固まつた漆であつたので、こつそり容器を拵へて行き、漆を採取してその器に入れて帰り、それを自分一人の宝として、売り払つて商売をした。元より只で仕入れた品物なれば、金銀を只取るやうな商売で、後は、金銀積もつて置き所もない程に儲け貯めた。
 そこで、世間でもこれを怪しみ、気をつけるやうになつたが、それでも武太夫は欲心深く、深い巧み事して、細工物の上手に龍の形を造らせ、それを漆のある淵の底に沈めて、人を脅かす事にした。すると、この造り物の龍が、さながら生きて動くやうに見えた。日数経てこれを見ると、口を動かし尾を伸ばし、尾先の剣を縮めなどして、造り物とは知りながら、見ても恐ろしく感じられた。この事を家に帰つて父親に話すと、父は、「さて、人間の欲は限りのないものである。これだけ金持ちになつたから、この上の願ひはもう何もない。必ずこの上に漆を取る事は、思ひとどまれ。」と、色々異見されたが、武太夫は聞き入れないばかりか、かへつて親に仇をして、その一子武助といふ、十四歳になる者を連れて、かの淵に行つて、事の次第を語り聞かせ、「俺がするやうにして、漆を取り習へ。」と言つて、親子共に水中に入つたところが、かの龍に精が入つたと見えて、武助をくはへて一振り振ると見えたので、武太夫は悲しさに堪へず、水底の藻屑の下にそつと身を沈めたまま、両人共に息絶えてしまつた。
 二十四時を経て、自然と二人の死骸は水面に浮かび上がつて、この様を見る人達に、自分の恥ばかりか、親の恥までも晒したので、人々はこれを憎み、「哀れ。」と同情する者はなかつた。この事、世上に顕はれ、役人の耳にも入つて、「数年、かかる天下の宝を自分一人で横領したのは、不都合である。」と、その罪として財産は没収され、親は住所を立ち退き、漸く命だけ助かつて、悲しい余生を送つて世に住んでゐた。妻は、親類の頼るべき者も持たないので、そのまま乞食になつて、身の恥も顧みず、人の門口に立つて食を乞ふ身と成り下がつたが、「姑につれなくした不孝女。」と評判が立つて、いたづらにすたり行く水すら、恵んでくれる者もないので、程なく餓死してしまつた。

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校訂者註
 1:底本は、「かゝさず。」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「振舞(ふるまひ)ば」。底本語釈に従い改めた。
 3:底本は、「取たらへ」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。