枕に残す筆の先
【本文】
都には今、四十の内外を構はず、法体して楽隠居をする事、専らに、はやりぬ。頭丸めしとて、金さへあれば、色里の太夫もそれには構はず自由になる。川原の野郎も猶。遊山に変はる事なし、世のむつかしき目に逢はぬがこの徳。何にかは替ふべし{*1}。されども、女心は愚かにして、嫁子に家を渡す事、いつまでも惜しみぬ。京も田舎も、見るに聞くに、その通りなり。
土佐の畑と言ふ所に鰹屋の助八とて、漁船を仕立てて出す者ありしに、賢く世を渡る海の上を心に治め、次第に分限になりて、助太郎と言へる子を持ちける。「一人も一人から。」と、利発にして親の気を助け、諸人の褒められ者。親の身にしては、一しほ嬉しかりき。十九の時、同じ所の美なる娘を見立てて、何に不足なく嫁に取り、この上に思ひ残せし事もなく、母屋の裏に座敷造りて{*2}、助八、これに引き込み、よろづの鍵を助太郎に渡し、商売は律義なる手代二人、後見させければ、この身代、鬼に金持たせ根強い事、隠れなし。
助太郎、夫婦合ひのよき事を、二人の親、限りもなく嬉び、この上に孫の顔見る事を願ひ、いまだ振袖の身なれば、下々も我が儘出して、台所そこそこに、始末の事も心もとなく、母親、幾度となく見舞ひて、末々まで気を付け給へば、あまたの下子ども、奉公を大事に、蔭なく働きぬれば、万事、艫の廻りて、「舟問屋の勝手は、これで持つた。かみ様の御飯貝。」と言へり。「朝夕可笑しき事ばかり仰せられ、御年は寄られても、御心ざしわつさり。」と、いづれも行く末頼もしく身を任せ、骨を惜しまず働きける。
されども、嫁の習ひとて、これ程悪しからぬ姑をそねみ、春雨の降り続き、物の淋しき曙に、「久々の部屋住まひ。今といふ今、気を凝らしぬ。御愛しさ限りなきに、思ふ仲の別れ路。浮世とは、かかる事ならん。」と、長枕の端に書き残し、「男の夢に、もしも見られぬ内。」と、寝間着ばかりの乱れ姿にして、この宿を忍び出、身の行く末は定めずなりぬ。
助太郎目覚めて、枕に筆の形見。「これは。」と男泣き、大方ならぬ歎き。各々驚き、尋ねけるに、山本近き比丘尼寺に駆け込み、「この身、出家の望みは無くて、只世を捨つる。」と言ふにぞ、「子細あるべし。」と様々詮議の折節、皆々、ここに尋ね逢ひ、庵の主によくよくこの人を預け置き、宿に帰りてこの事を申すにぞ、二人の親達安堵して、その後、迎ひを遣はしけるに、更に帰る気色なし。
助太郎、この女を恋ひ焦がれ、親の事は外になして、かの寺に行きて、「夫婦は二世。」と戯れ、日数を重ね、宿に戻らず。科なき母親、邪慳の名を立てける。
それにも構はず、「一人の子なれば不憫。」とばかり思ひ込み、「とかくは嫁、我をうるさく思ふ故ぞ。」と夜もすがら物案じて、「我さへ身を捨てければ。子の命の替はり。」と思ひ詰めて観念し、「心地悪しき。」と言ひ出し、その日より湯水も飲まず。十九日目に、はかなく世の夢と成り給ふ。
助太郎は、「時節の死去。」と歎かず。女房は悦び、それより宿に帰り、昔の如く世間を勤め、一人の親仁をも、耳の遠きを幸ひに、あるに甲斐なく押し籠めて、顔見る事もなかりき。
一年余りも程過ぎて、書き置きせし枕、取り出し見れば、母親の筆にして書き付けおかれし。「世を見るに、嫁、年寄りて姑となる。人の心の恐ろしきに、優しき狼を恐れる。子の可愛さ余りて、惜しからぬ身なれば、千歳も散らぬ花、嫁子に命を参らす。」と書き残されし。これを聞き伝へ、人の付き合ひ欠けて、おのづから取り籠りてありしが、夫婦刺し違へて果てける。
【訳】
京では目下、四十歳内外の若さをも構はず、髪を剃つて出家姿になり、楽隠居をする事が大変流行してゐる。坊主頭でも金銀さえ持つて行けば、遊里の太夫も、そんな事は構はず身を任せて自由になる。又、四條河原の野郎役者も同じ事で、遊びといふ事に少しも差し支へはない。世間の面倒な事に遇はないで済むのが出家の一得で、この一得は、何物にも替へられぬものである。しかし、これは男の事で、女心といふものは愚かなもので、嫁に譲る事を惜しんで、いつまでも家事の面倒を見ようとするのが母親の常で、京も地方も全てその通りである。
土佐の国幡多といふ所に、鰹屋の助八と言つて、漁船を所有し、それを仕立てて漁労に出す者があつた。海上の事をよく知つて、賢く世渡りをしたので、次第にその家富み栄えた上に、助太郎といふ子宝までも持つてゐた。諺に、「一人も一人柄。」と言ふが、この一人子の助太郎は、利口に生まれつき、親の心助けとなり、世間の人達からは褒め者にされたので、親の身にしてはひとしほ嬉しく思つてゐた。十九歳の年、同じ幡多の見目美しい娘を見立てて、何の不足もなく助太郎の嫁に迎へた。父親は、「この上に思ひ残すところはない。」と言ふので、母屋の裏に隠居座敷を造つて、自分はそこに引つ込み、家督を助太郎に譲つて、全ての鍵を引き渡し、商売の事は、正直に勤めてゐる二人の手代に後見させる事にした。それで、この鰹屋の身代は、鬼に金銀を持たせて保管させるやうなもので、その根強さは、世間によく知れ渡つてゐた。
助太郎夫婦の仲の良さを見て、両親は限りなく喜んで、「この上には、一日も早く孫の生まれるやうに。」と願つた。「嫁は、まだ振袖を着る程の若さであるから、下々の雇ひ人達が我が儘心を出して、勝手向きの事に身を入れず、倹約を忘れるやうな事があつてはならぬ。」とそれを心配して、母親は日に幾度となく台所の方に出て来て、瑣末の事まで一々気をつけて注意されるので、沢山居た雇ひ人達は皆、「奉公大事。」と蔭日向なく働いたので、家事万端よく行き渡つて、「この舟問屋の勝手元は、このお上様の飯杓子で持つてゐる。」と世間では言つた。この母親は、朝夕人の面白がるやうな事ばかり言はれ、歳は取られても、性質がいかにもさつぱりしてゐるので、雇ひ人達は皆、将来を頼もしく思つて、この家に身を任せて、少しも仕事に骨惜しみをせず、よく働いた。
しかるに、嫁の習ひとして、姑をうるさがるものであるから、この家の嫁も、これ程に良い姑をそねみ、春雨の降り続いて物寂しい日の曙に、長らく部屋住みの身をつくづくと退屈して、今といふ今、いよいよ厭になつてしまつた。そこで、「お愛しさは限りないが、かく思ひ合うた仲に別れねばならなくなつたのは、いかにも辛う思ひますが、これが浮世といふものでございませう。」と、長枕の端に、夫に宛てた書き置きを書き残しておいて、「万一、夫の目に触れてはならぬ。」と、寝間着ばかりの乱れ姿でこの家を忍び出て、行方知れずなつてしまつた。
助太郎は目が覚めて、枕に残してある妻の書き置きを見て、「これは。」とばかり驚き呆れて、男泣きに泣いて、一方ならぬ歎きやうであつた。人々、これを見て驚き、処々方々を尋ね、探しに出た。ところが嫁は、或る山里近き所の尼寺に駆け込んで、「出家になりたい望みはないが、只、世を捨てたい。」と言ふので、尼達が、「これには何か理由があるのであらう。」と、色々詮議をしてゐるところであつた。丁度そこに、追手の人々が駆けつけて、庵主の尼に、よくよく嫁の身を頼み、預けておいて、引き揚げて行つた。家に帰つてこの事を話すと、両親も安堵して、その後で迎への使者をやつたが、嫁はさらに帰らうとする様子もない。
助太郎は、この妻を恋ひ焦がれて、両親の事をさらに思はず、かの尼寺に出かけて行つて、「親子は一世だが、夫婦は二世の契りだ。」と言つて、ここに泊まり込んで、夫婦の戯れをなして、日数を重ねて一向家に帰つて来なかつた。そのために、何の罪もない母親に、世間では、「邪慳の母故に、若夫婦は家を逃げ出した。」と悪評を立てた。
世間の悪評にも構はず、たつた一人の子だから、「倅、不憫。」とばかり思ひ込んで、「とかうは言ふまい。結局は、嫁が私をうるさがるためだ。」と考へて、母親は、夜もすがら色々思案に耽つた末、「自分さへ命を捨ててしまへば、後は丸く収まるに相違ない。子の生命に替へて、我が生命を捨てよう。」と決心し、「気分が悪い。」と言ひ出して、俄に作病し、その日から湯も水も飲まず絶食して、とうとう十九日目に儚くこの世を去つてしまはれた。
助太郎はこれを、「天寿尽きて死なれたもの。」として、歎かない。嫁は、邪魔な姑の死を喜び、それから夫婦共に我が家に帰つて、以前の通り世間の交際などをした。さうして一人の父親をば、その耳の遠いのを幸ひにして、ある甲斐もないやうに隠居所に押し籠めておいて、めつたに顔を見る事もなかつた。
一年余りも過ぎて、偶然、かの母親の書き置きを、入れておかれた枕を取り出して発見し、見ると、間違ひなく母親の筆跡であつた。「世間の様を見ると、年若い嫁が年を取つて姑となるもので、嫁はいつまでも嫁であり、姑は初めから姑であるものでない。優しい嫁も、姑となると、とかく嫁に邪慳になるものであるから、優しい自分でも、嫁はそれを狼のやうに恐れるのであらう。私は、我が子の可愛さの余りに、もはや年取つて惜しくもない我が身であるから、千年も若さの散らないやうにと願ふ嫁に、我が命を参らす。」といふ意が書き置いてあつた。
この事を世間でも聞き伝へて、若夫婦を憎み、誰も交際する者もなくなつたので、夫婦は自然と家にばかり閉ぢ籠つてゐたが、或る日、とうとう刺し違へて、二人とも死んでしまつた。
校訂者註
1:底本は、「かゆべし」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「造(つく)りして」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
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