木蔭の袖口
【本文】
曇りなき身を疑はるる程、世に迷惑なる事は無し。天、誠を照らし給ヘども、その時節を待たず身を失ふも悲し。心の浪風立つも、人の言ひなしにして是非なき事あり。
越前の国敦賀の大湊に榎本万左衛門とて、百姓ながら商人半分の者あり。随分賢く立ち廻り、この所の市に出店。都の春の花をここの秋に咲かせ、馬引き、野人を招き、生き牛の目を抜き、亀井算などは宙括りに、巾着の口を締め、世間の人を腰にさげる程なれども、仕合せは思ふに儘ならず。する程の事、左前に成つて元手を減らし、裸に成りぬ。必ず悪事は続き、田畠も取り目なく、四、五年の荒野となりて、皆、御年貢に売り取り、悲しき中にも、無用の智恵ある顔を日頃出し置き、わりなく頼まれ、「人の公事沙汰にかかりがましき者。」とて、後には親類さへ音信不通になりぬ。猶又、連れ添ふ女房にも思ひをさせ{*1}、気を悩みて月日を過ごし、次第弱りになりて、二十六の五月の末に、浮世を闇と成りぬ。
二人の中に万之助とて、いまだ乳房を忘れぬ一子ありて、歎きも一しほやむ事なく、それより四十九日までは、香花をとりて、万之助が枕蚊帳に寄り添ひ、暫しも夢は結ばず。泣き出す時、殊更に悲しく、摺粉、地黄煎を与へ、膝の上に抱き上げ、「とと、とと。」揺れども泣きやまず、夜は明けず、今の切なさ。「子といふ者、なくてあらなん。」と、嬶が事を思ひ出して、面影に立つ。
男ばかりにして住み憂き事を思ひ当たりて歎き、身の苦しき時、子を捨つる薮垣を忍び出、半道ばかり野末なる念仏寺の門前に行きて、辻堂の内に万之助を捨て置き、立ち帰れば、人の身を離れて板敷の冷ゆるを覚えて、声を上ぐれば、魂も飛び出、又懐に入れて、「捨てねばならぬぞ。」と言ふ時、夜も明け方になりて、軒端なる雀の囀りて、おのが子を様々に育むを見て、「たまたまこの身を受けて、この心ざし。口惜しき。」と、又宿に帰り、五十日の弔ひ、精進をも上げて、その日より里々へ通ひ商ひの糟買ひも、身過ぎの種として、片方のふごに万太郎を入れて行く道すがら、涙を片荷に、漸々一村に入りぬ。
この里、優しくもこれをいたはり、色々、「この子の人なる」事を申しぬ。折節、庄屋の広庭に女ばかり茶事して集まりしが、この中に似合はしき後家ありて、いづれも取り持ち、軽々しく{*2}縁組を急ぎぬ。この女房、見苦しからず、しかもしをらしき心底。夫婦の取り組み悦ぶに非ず。近き頃に子を失ひ、その乳の上がりもやらずあるなれば、人間一人助くる思ひをなして、我が子変はらず万太郎を育て、世の稼ぎを大事に、夕に織りて、朝に売り木綿して、三人共に飢ゑず寒からず。程なく家富みて、その後は下々もあまた使ひ、万太郎も十六になりて、角前髪のとりなりも、これを羨みぬ。
されども形に心は違ひ、不孝第一の悪人。年中、親の気を背きしを、継母よろしく取りなし、ひそかに異見をする中にも、人の嫁など頼るを頻りに申せば、かへつて悪心を起こし、日頃の恩を忘れ、「継母の難を巧み、追ひ出すべし。」と思ひて父に申せしは、「迷惑ながら、言はねば天命を背くなり。母人、我への戯れ、さりとては面目なく、随分堪忍して今までは包みし{*3}。自然、脇から見し人あらば、罪なくて指さされんも無念。」と、満更無い事に涙こぼしぬ。
父親、驚きながら、「よもや、さやうの事あるまじき。」と言へば、「御疑ひ、尤もなり。その証拠を御目に懸け候べし。宿を出給ふ体にて物蔭より見給へ。」と、親仁を外へ出し置き、「庭前の柿の盛りなれば、梢色づくを取るべし。」と言ひけるにぞ、母も立ち出、眺められしに、万太郎、よき首尾を見合はせ、木蔭に入りて、「頸筋、背中にいかなる虫か入りて、身を痛めける。早く取りて給はれ。」と言へば、母親、何心もなく左の袖口より手を差し入れ、暫く探して、「何も手に当たらず。されども心元なし。着物脱いで内を改めよ。」と言はれし。
父親、遥かなる生垣よりこれを見て、「さては、それよ。」と一筋に思ひ定め、年月の恩愛、一度に忘れ、子細は言はで暇の状出され、「俄に飽かせ給ふは、いかに。悪しき事あらば、日頃のよしみに一通り仰せられての上は、恨みもなき。」と歎くに、万左衛門、聞き入れねば、「是非に叶はぬ身。」とて、黒髪切りて家を出、殊勝なる法師と成りぬ。
誠に「悪事千里。」万太郎が仕業、誰言ふともなく所に沙汰して、諸人憎み立て、身の置き所もなく、上方へ立ち退きしに、七里半の道中にて、時ならぬ大雷。落ちたるとも覚えず行く内に、万太郎を乗せたる馬ばかり残りて、口引く男立ち帰り、この不思議を語りける。
【訳】
何の罪咎もない我が身の上について、他人に疑ひをかけられる位、世の中に迷惑に感ぜられる事はない。天は見通しで、善悪真偽を悉く照鑑されるから、いつかは真相の世に顕はるるものではあるけれども、まだその明白にならない内に死んでしまふ事がある。それはその人にとつて、誠に悲しむべき事である。告げ口などから、人の心に疑ひや怒りの波風の立つ事もあるが、それはその人にとつては、やむを得ない事である。
越前の国敦賀といふ大きな船着きの港に、榎本万左衛門と言つて、農業に商売を兼ねた者があつた。随分利口に立ち働き、この港の市場に出店を出し、京の賑はいをここに見せて店を飾り、馬方や百姓の顧客を集めて、生きた牛の目も抜きかねないやうに利口に立ち廻り、亀井算などは、一々算盤を置かずに宙でやつてのけ、巾着の口はしつかり締めて入費を節約し、世間の人々をば腰に提げる程の力量を持つた人であるが、人の幸福といふものは、意の如くならぬもので、する程の事悉く齟齬して、身代も左前になつて資本を減らし、終には無一文になつてしまつた。悪い事はきつと続くもので、田畠の方も不作で、四、五年間といふもの、荒野同然であつた。穫れる程の物は、悉く年貢のために売り払つてしまひ、悲しい境遇になつて、折角の知恵も無用になつてしまつた。それでも、その智恵を看板に世間に出しておいたので、かういふ身の上になつても、人から無理に頼まれては、公事ごとに関係した。が、「いかにも言ひがかりでもしさうな、剣呑な人間。」と見られて、親類の者さへ音信不通になつた。その上に、連れ添ふ女房には、長い間種々心配をさせたので、次第に健康衰へて、終に二十六歳の五月の末に死んでしまつた。
夫婦の間に万之助といふ一人の子があつたが、まだ乳房を離れない年であつたので、女房の死んだ歎きは一層強く、やむ時はなかつた。それから四十九日の中陰の間は、香を焚き花を供へて弔ひ、万之助が眠る時は、その枕蚊帳に寄り添つてやる事にして、暫く安眠する事もなかつた。万之助が泣き出すと一層悲しく、摺り粉に地黄煎を入れたものを与へて、膝の上に抱き上げたり、「とと、とと。」と鶏を呼んでゆすぶつて見ても泣き止まず、夜は明けず。その時の苦しさ切なさは、「いつその事、子供などいふものは、なければ良い。」と捨て鉢になり、死んだ女房の事を思ひ出して、すずろにその面影が眼前に浮かぶ。そして、「男は、独身では世に住み辛い。」といふ事がつくづくと思はれて、我が身の上が歎かれる。
「我が身の苦しさには、可愛い子も捨てる。」と言ふやうに、万左衛門もひそかに我が家の藪垣を忍び出、半里ほど離れた野末の念仏寺の門前に来て、そこの辻堂の内に万之助を捨て子にして、置いて帰らうとすると、子は今までの暖かい父の懐を離れて、冷たい板敷の上に置かれたので、その冷たさを感じて泣き出すので、万左衛門は、魂もその身を離れるやうな思ひをして、再び我が子をその懐に抱き入れて、「可哀さうだが、このままにしては、共に餓死せねばならぬ。必ず共に、捨てられても怨んでくれるな。」と、まだ分からぬ子に言ひ聞かせる時、夜は既に明け方になり、軒端に囀る雀を見れば、我が子のために色々骨を折つて、食を求めて育んでゐるので、万左衛門は、「容易に受け難き生を受けて、たまたまこの世に人間と生まれて来て、鳥にも劣る業をしては相済まぬ。」と考へて、捨て子を断念して我が家に帰つた。それから五十日の新仏の弔ひ事も仕舞ひ、精進上げもして、その日から稼ぎのために村里村里を廻つて、行商の糟買ひを始めて、それを糊口の種とした。片一方のふごには万太郎を入れて、片荷にして、道々泣きながら、漸う或る村に着いた。
この村里の人達は、優しくも万左衛門親子をいたはつて、この子を、「良い子である。」と褒めた。丁度その時、庄屋の屋敷の広庭で、女達ばかり集まつて、お茶を飲んでゐたが、その中に寡婦が居て、「年頃が万左衛門と似合ひ頃だ。」と言ふので、一同、これを万左衛門の後妻に周旋して、極めて手軽に急いで縁組をさせた。この女房は、容色も見苦しからず、しかも優しく、しをらしい心で、別に夫婦の縁組を喜んでしたわけではないが、近頃子供を亡くしてから、まだ乳も上がらないでゐるので、人間一人助けると思つて、万太郎をば、我が産みの子同様に可愛がつて育て、又、稼ぎの事もよく大事に勤めて、夕には機を織り、朝にはそれを売つて金銭にして、夫を助けるので、親子三人が飢ゑず凍えず暮らした。程なく金銀が貯まつて、それから後は雇ひ人も沢山使ふやうな身分になつた。
万太郎も十六歳になり、角前髪の風体も、他から羨むやうに立派になつた。ところが、その心は容貌と違つて、親不孝第一の悪人で、年中、親の心に背き、悪い事ばかりするのを、母親は父親の手前は良いやうに取り繕つてやり、蔭で色々に説諭をした。中でも他人の妻女に言ひ寄る悪癖を頻りに戒められると、万太郎はそれをかへつて悪しざまにとつて、継母の日頃の恩も忘却して、「難癖をつけて追ひ出さう。」と計画して、或る時、父親に言ふやうには、「迷惑な事ですが、申さないと親子の道に背くわけですから申しますが、実はお母さんが、私に道ならぬ事を言ひ寄られますので、誠に恥づかしい事です。随分我慢して、今日までは隠して来ましたが、もしか他人に見られでもしますと、罪もないのに、人から指さして笑はれるのも残念です。」と、根も葉もない事を言つて涙を流した。
父親はびつくりしながらも、「よもや、さういふ事はあるまい。」と言ふと、万太郎は、「御疑ひは御尤もです。それでは、その証拠を見せませう。家を御出かけなさるやうにして、どこか物蔭かに隠れて、見ておいでなさい。」と言つて、父親を家の外に出しておいて、さて、「庭先の柿の実が丁度食べ頃ですから、高い枝の色づいたのを取りませう。」と言ふので、継母も外へ出てそれを見てゐられると、万太郎は良い機会を窺つて、木蔭に入つて、「頸筋から背中へ何か虫が入つて、痛くて堪らぬ。早く取つて下さい。」と言ふので、継母は何気なく万太郎が左の袖口から手を入れて、暫くそこらを探して、「何も手には当たらないが、それでも気がかりだから、着物を脱いで、中を改めて見るが良い。」と言はれた。
父親は、ずつと離れた生垣の間から、この様子を見て、「さては、倅が言つた事は、本当であつた。」と一筋に信じ込んで、年頃の夫婦間の愛も忽ち冷め果てて、理由は言はずに、三行半の離縁状を女房に突きつけた。女房は、「かう俄に飽かれたのは、どういふわけでせう。私に何か悪い事があつたら、これまでのよしみに、一通り言つて聞かせて下さつて、その上で去られるならば、私はいささか怨みを残しません。」と言つて歎いたが、万左衛門は断じて聞き入れないので、「それでは、何とも致し方のない我が身の不運と諦める外ない。」と、黒髪を切つてこの家を出、殊勝にも尼になつてしまつた。
誠に「悪事千里。」の諺の通り、この万太郎の悪行は、誰が言ふともなくその地方に噂されるやうになつて、世間の人達から憎み立てられ、その身の置き所さへなくなつて、上方指して立ち退いたが、「七里半の道中で、時ならぬ大雷が起こり、別に落雷した様子もなかつたのに、万太郎を乗せた馬ばかり残つて、彼の姿は見えなくなつた。」と、馬方の男が立ち帰つて、この奇怪事を人に語つた。
校訂者註
1:底本は、「思ひをよせ」。『本朝二十不孝』(1993)本文及び語釈に従い改めた。
2:底本は、「かる(二字以上の繰り返し記号)縁組(えんぐみ)」。底本語釈及び『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「つゝしみし。」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
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