胸こそ踊れこの盆前
【本文】
「桃や、柿や、梨の実。」これぞ蓮の葉商ひ。七月十三日の曙、夕暮は麻殻の焚火して、世に亡き魂を祭る業の哀れは秋なり。
露に涙に両袖の湊、筑前の国福岡の町外れに、辻屋長九郎といふ舟乗りありしが、長々筋骨を痛ませ、次第に老いの浪立ち弱りて、彼岸に眠る如く尽きぬ。その跡を後家、楫を取つて、世帯をよく持ち固めける。子、二人ありしが、惣領は長八郎、次は娘にて小さんと名付けし。これには入り婿を取りけるに、長八と心を合はせて、親の時に違はず、大廻しの渡海を乗りて、一人の母親を二人して育みける。
思へば、波の上の仕合せ定め難く、内証の悪しきは阿波の鳴渡より渡り兼ね、盆も正月も宿にて年を取る事なし。この節季も留守ながら、借銭の淵は許さず。売り懸けしたる人々、庭に立ち並び、節供前とは格別、否でも応でも百貫に塗り笠一蓋。母親、せがむにぞ、身も置き所なく悲しく、戻らぬ婿、子を恨み、「せめて断り文なりとも下しぬれば、各々様の御腹の立たぬ事ぞ。」手を合はして詫び事。さてもさても切なく、「銭が一文御ざらぬ。」と入れ物を開けて、箱崎の明神を誓文に入れて、「二人の者の帰るまで。」との断り。漸々に聞き分け、四十五、六人掛乞ひ、とても済まぬ事に、提灯、蝋燭の費を算用して立ち帰りぬ。その中に、博多より通ひ商人、「味噌、酒の売り懸け取らでは帰らじ。」と、一人後に残り、角無き鬼の顔つきして、「埒が明かぬと鍋釜抜く。」と広敷に座を組みて、いつとなく眠りの出、人の物言ふもうつつに聞きぬ。
母親、他人のあるとも知らで、「この国に、我ほど浅ましき者、又あるべきか。連れ合ひの仏棚も飾らず、蓮の飯を祝ふべき始末もなく、束ね木も絶えて、今朝よりは雨戸をはづして焚くなど。煎茶切れて煙草無く、灯し火の油も事欠き、嫁が轆轤引きより雫をしたみしが、今の間の光にて、頼み無し。これより先に命消えたし。」と母の歎きを構はず、娘は庭におりて、身振るひに色科やりて、明日の晩よりの踊りの馴らし。
「いかに若きとて、さりとては心なし。人の手前、世の思はく、身の程も恥ぢぬべし。我が年は十八、嫁十六なれど、世間の思ひやりありて、あの如く身を捨てて内証を隠し、親里へもこれを知らせず。かかる前後を凌がるるは、女の鑑にも末々まで知らすべき、いとほしき人なり。いまだこの春縁組して、半年も経つや経たぬに{*1}、衣類、敷銀、手道具までを無くして。嫁なればとて面目なし。我とあの人がやうに、心ざしも変はるものか。」と言ひも果てぬに、娘は、履きたる雪踏を親に投げ付け、不断の寝間に行くを、母も今は堪忍ならず。手元にありし爪切り持つて立たれしを、嫁、抱き止めて、漸々にこれを詫び済まして、片蔭に立ち忍び、美しき髪押さへの挿し櫛、笄を抜き出し、玉子色の帯を細き組帯に仕替へて、この三色持ちて出しが、暫くありて帰り、右の袂より銭百四、五十取り出し、左の手に塩かます五つ、素麺二把、懐より白き餅を出し、姑に与へければ、四、五度も戴き、涙を流し{*2}、「この恩、いつ報ずべき。嬉しや、そなたの御心ざし。」と、丸団扇にて嫁を扇ぎ立て扇ぎ立て、喜ばれし。
掛乞ひ、宵よりの事ども段々見て、袖をしたし、「かかる優しき女のあるべきか。さてもさても。」と感じ、暗がりより出ければ、各々これを忘れて驚き、「夜の明くるまでましましてから。只今才覚もならず。」と、又断りを申す時、掛乞ひ、涙にくれて、「不孝なる娘もあるに、この嫁御の心入れ、さりとては{*3}肝に銘じて、何と褒むべき言葉も無し。この上ながら、懇ろにし給へ。」と財布の口を開けて、銭二貫三百、細金五十目ばかりあるに任せ、「この嫁に進ずる。」と言ひ捨てて帰りぬ。
孝ある故に天の与へ。憂き所を凌ぎし内に、長八も婿と一つに、思ふままなる仕合せにて{*4}、再び国元に帰りて、家栄えし。娘と嫁の善悪を語れば、長八、胸に据ゑ兼ね、この家を追ひ出し、婿には外よりよろしき人の娘を子に貰ひて、初めの如く夫婦と成し、「猶変はらずして生きの松、千代も。」と契りを籠めける。
【訳】
桃の実、柿の実、梨の実。これらは、盂蘭盆に蓮の葉に盛つて、仏前に供へる物で、これを商ふ商売は、その季節だけの一時的の商売で、世に言ふ「蓮の葉商ひ」である。七月十三日は、曙から精霊を迎へる準備をして、その夕暮は(、「魂迎へ」と言つて)、門前に麻殻を焚く(。これを「迎へ火」と言ふ)。かういふ盂蘭盆の亡き魂祭る業は、いかにも哀れであつて、秋の季節にふさはしい事である。この時は、亡き人の偲ばれて、涙と露に両方の袖を濡らす事である。
「袖の湊」で世に知られてゐる筑前の国福岡の町外れに、辻屋長九郎といふ船乗り業者があつたが、この人、長々と筋骨の痛む病気にかかり、次第に年取るにつけて、体も弱りて、その秋の彼岸に、眠るが如く死んでしまつた。その亡き後の事は、寡婦が万事指図して、よく世帯を持ち固めて行つた。遺子二人あつたが、惣領は男子で長八郎と言ひ、次は娘の子で、小さんと名付けてあつた。この娘には、婿を迎へたところ、この婿、長八とよく心を合はせて家業に励み、親父の代に変はらず、遠方まで行く渡海船に乗つて、一人の母親に二人して孝養を尽くした。思へば、船乗り稼業は波の上の仕事で、その運は測り難いもので、この家も、常に暮らし向きが悪く、世を渡り兼ねて、二人は、安らかに家に居て盆をした事もなく、又、正月をして年を取つた事もなかつた。
今年の盆の節季にも、二人は旅に出て不在であつたが、借金取りはそれでも見逃さず、売掛代金を取りに来た商人達が、土間に立ち並んで、他の節句前とは違つて殊に厳しく、「否でも応でも取らう。」と、百貫の抵当に塗り笠一蓋置いたもののやうに、母親を責めて請求するので、母親は、身の置き所もないやうに迷惑して、帰つて来ぬ婿や倅を恨み、「せめて倅や婿が、言ひ訳の手紙でも寄越してくれれば、皆様の御腹立ちもあるまいに。」と言つて、手を合はせて詫び言するのは、さてもさても苦しい事であつた。「この通り、御払ひしようにも、銭が一文ございませぬ。」と、金銭の入れ物を開けて、箱崎明神に誓文を立てて断り、「二人が帰つて来るまで待つてくれ。」と詫びたので、漸く納得して、四十五、六人の借金取りどもも、「この家は到底ダメ。」と諦め、「いつまで居催促したところで、結局は提灯の蝋燭損だ。」と考へて帰つて行つた。
その掛乞ひ人の中に、博多から、この福岡へ行商に来る者で、「味噌や酒の売掛代を取らないでは帰るまい。」と思つて、一人、皆の帰つた後に残り、あたかも角のない鬼のやうな恐ろしい顔つきをして、「支払ひをしないと鍋釜を取つて{*5}行くぞ。」と脅して、板敷の間に座を組んで催促した。この人、いつの間にか眠気がさして、傍に人の物言ふのも、夢うつつに聞いてゐた。
母親は、この人のゐる事を忘れてしまつて、「この筑前の国に、私ほど浅ましい不運な者はあるまい{*6}。亡き夫の魂の来られるといふ御盆に、精霊棚も飾る事ができず、蓮の葉の御飯を供へる事もできない。薪も無くなつて、今朝からは雨戸を壊して焚く始末。煎茶も切れ、煙草もなくなり、灯火の油も欠乏して、やつと嫁が轆轤引きに使ふのを、容れ物から僅かばかりしたんで灯したが、今の間にその油も尽きて、消えてしまふだらう。この光の消えない内に、早く自分の命が消えた方が良い。」と、掻き口説いて歎いてゐた。
それにも構はず、娘の小さんは土間におりて、いかにも身振りに色科作つて、明晩から始まる盆踊りの稽古をしてゐる。母親は、「いかに年が若いとて、それでは余り人情が無いといふものぢや。他人の手前、世間の思惑に対して、その身の程を恥ぢたが良い。お前は年十八、嫁は十六だけれど、世間の思ひやり、人情もあつて、あのやうに自分の事を捨てて、家の苦しさを隠してくれ、実家へは隠して、かういふ時の凌ぎをつけてくれる。女の手本にも成るべき、可愛い人ぢや。まだこの春に縁組したばかりで、半年も経たぬのに、衣類も、持参金も、手道具類まで失くしてしまつた。いかに家の嫁だとて、面目ない次第ぢや。お前とあの人と、かうも志の違ふものか。」と言ひも果てぬのに、娘は履いてゐた雪駄を母親に投げつけて、平常の寝間に行つてしまつた。
母親も、今は堪忍袋の緒を切らして、手元にあつた爪切り小刀を取つて、立ち上がられた。それを嫁は抱き止めて、娘に代はつて詫び言して、漸うに事を済まし、片隅の方に行つて、こつそり挿してゐた美しい髪押さへの挿し櫛と簪を抜き取り、してゐた卵色の帯を解いて、細い組帯にし替へて、この三種の品を持つて家を出て行つたが、暫くして帰つて来て、右の袂から銭百四、五十文取り出し、左の手に塩かます五尾、素麺二把を持ち、懐からは白い餅を取り出して、これらを姑に差し出した。姑は、四、五度もこれを戴いて、涙を流し、「この恩は、いつ報いる事ができるだらう。嬉しいお前が志ぢや。」と言つて、丸団扇で嫁を扇ぎ立て扇ぎ立てして喜ばれた。
かの掛乞ひの男が、宵からの様子を段々見てゐて、同情の涙をこぼし、「この嫁のやうな、優しい心を持つた女もあるものか。さてもさても感心な女。」と感じて、片隅の暗がりから立ち出れば、皆々びつくりして、「夜の明けるまでおいでなさつても、只今といつて工面はできません。」と又、改めて詫び事を言ふ時、この掛乞ひは涙にくれて、「不孝な親身の娘もあるのに、この嫁御は他人ながら、立派な心を持つてゐられる。肝に銘じて、何とも褒むべき言葉もありません。どうか、この上ながら仲睦まじうしなさい。」と言つて、財布の口を開けて、中から銭二貫文と小粒銀五十匁ばかりを、あり合はせたに任せて取り出し、「これは、この嫁さんに上げます。」と言ひ捨て、これを与へて帰つて行つた。
「孝行な故に、天が恵みを与へられたのであらう。」と、苦しい場合を凌いでゐると、その内に、倅長八も婿と一緒に、幸運に恵まれ大利を得て、国元に帰つて来たので、この家はそれから栄える事となつた。母親が、娘の不孝と嫁の孝行とを話して聞かせると、長八は、妹の所為を胸に据ゑ兼ね、家を追ひ出してしまひ、他家から立派な人の娘を養女に貰ひ受けて、元のやうに婿と夫婦にした。新夫婦も相変はらず仲良く、「千代まで。」と、めでたく契りを籠めた。
校訂者註
1:底本は、「半年もたゝぬに。」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「流して」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「さりとは」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「仕合(しあはせ)にして」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「取つく行くぞ」。
6:底本は、「あるない」。
コメント