懐硯 序
雨の夜、草庵の内の楽しみも、旅知らぬ人の言葉にや。又、人の言へるあり。「知らぬ山、知らぬ海も、旅こそ師匠なれ。」と。我、朝な朝な、草鞋の新しきを頼み、夕々、油単の垢馴るるをわざにて、奥{*1}は、外の浜風を身に触れ、胡砂吹く夷が埃にも塗れ、西は{*2}、「親にも告げよ。」と言ひし島守とも身を成し、生きの松原、箱崎の並木の数も読みおぼゆるに{*3}、「或いは恐ろしく、或いは可笑しく、或いは心に留まる人の話を、茎短き筆して、旅せぬ人に。」と、左の如し{*4}。
貞享四年花見月初旬
校訂者註
1:底本は、「置(お)くは、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「塗(まぶ)れにしは、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
3:底本は、「よし覚(おぼ)ゆるに、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「如(さの)(レ)左(ごとし)。」。
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