懐硯 巻一

第一 二王門の綱  開けて悔しき鬼の箱入りの事

 朝顔の昼に驚き、我、八つに下がりぬ。「日暮れて道を急ぎ、いづくを宿と定め難きは、身のはかなや。」と思ひ込みしより、修行に出給ひ、世の人心、めいめい木々の花の都にさへ、人同じからず。「まして遠国には{*1}変はれる事ども、有りの儘に、物語の種にもや。」と、旅硯の海広く、言葉の山高く、「月ばかりは、それよ。見る人こそ違へ。」と{*2}、面白可笑しき法師の住み所は、北山等持院のほとりに閑居を極め、一人は結ばぬ笹の庵、格別に構へて、頭は霜をけづりて散切と成し、居士衣の袖を子細らしく、名は伴山と呼べど、僧にもあらず、俗とも見えず。
 朝暮、木魚{*3}鳴らして唐音の経読みなど、菩提心の起こりし釈迦や達磨の口真似するうちにはあらず。唯、謡の代はりに声を立つるのみ。不断は精進膾、有るに任せて魚鳥も余さず。座禅の夢さめては、美妾あまたに誘なはれ、鹿の子の袖吹き返し{*4}、留め木の薫りきく間も、紙袋の抹香の匂ひ移るも、煙は皆無常の種。
 初めて狩衣の裾短かく、草鞋に石高なる京の道を踏み出せしに、更に張笠の上に音なして降り続きたる五月雨、黒木売りの渡り絶えて、白川の棚橋埋み、ここに目馴れぬ家程の浪重なりて、岸根の崩るるを嘆くに、水かさまさりて{*5}堤の切れかかり、里人太鼓打ち続き、末々の枝川、諸木も葉付の筏を流し、三條縄手すさまじく、頂妙寺の惣門につきて、仏壇おのづからの流れ題目{*6}と成れり。寺中法師の腕立ても叶はず、南門崩れて、二王も浪につれて口開き口塞ぎ、青き息をつき給へども、誰取り上ぐべきやうなく、岩角に当たりて、終に砕けてあさましく成りぬ。
 日も暮に及びて、七條通の町人に樵木屋甚太夫といふ男、薪の行く水につれて、熊手にして掛け上げけるが、かの二王の片手を取り上げ、律義に驚き、召し連れたる男に、「鬼の腕といふ物なり。これ、家の重宝。構へて沙汰する事なかれ。」と、ひそかに宿より半櫃を取り寄せ、これに納め、俄に注連飾りて内蔵に納めぬ。
 「鬼の手を拾ひし。」と言へば、人皆、興をさましぬ。しかれどもこの人、日頃粗末なる事とて言はざる者なれば、いづれも見ぬ先に横手を打つて、「これ、末代の語り句なれば、見せて給はれ。」と。町内にて年久しき人、「たとへ命を取らるればとて、世に望み無し。」と言ふも有り{*7}。又、若き人は、前後構はぬ無分別。身代よろしき人は、斟酌してこれを見ざりき。かれこれ十一人見るに極め、女房に暇乞ひの盃し、鎖帷子着るも有り。重代を差すも有り{*8}。又は、節分の大豆を懐中するも有り。棒、ちぎり木、長刀、思ひ思ひに振りかたげ、身震はしながら、「これを見ん。」とひしめくは、今も愚かなるは世の人ぞかし。
 既に夜にもなれば、「見る時も、今なるべし。」亭主は人より殊更に{*9}身を堅め、手燭灯して蔵に入り、「これなる櫃にあり。蓋を開ける。」と立ちかかれば、各々、目と目を見合はせ、四方より取り廻し、櫃の内を覗きけるに、不思議や。この腕、誰が目にも、「動く。」と見えて、気を失ひ、我と持ちたる刃に怪我して、大きに悩みける。この事沙汰して、その夜もすがら、洛中の人々、門に市成して、見る事を望みぬ。明けの日、頂妙寺の二王と知れて、夜前の事の可笑しかりき{*10}。
 仮初事にして世の費へと成りて、この男を「二王門の綱。」とぞ申しける。

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校訂者註
 1:底本は、「遠国(ゑんごく)に替(かは)れる」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「月(つき)よりは其(それ)よ、見(み)る人(ひと)こそ違(ちが)へど、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「俗(ぞく)にも見(み)えず、朝暮(てうぼ)木魚(もくぎよ)を鳴(なら)して、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「美妾(びせふ)頭(かしら)に誘(いざな)はれ、鹿子(かのこ)の袖の吹返(ふきかへ)し、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「まりて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「流(ながれ)の題目(だいもく)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「いふものあり、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「差(さ)すものあり、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「人(ひと)よりも、更(さら)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「頂明寺(ちやうみやうじ)の二王(わう)と知(し)れて、夜前(やぜん)の事(こと)のをかしき、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。