第三 長持には時ならぬ太鼓 留守の娘利発を出す事
老若、暫しの気を移して、生死の堺町を見物人は、今も知れず息引き取る{*1}は、はかなき。貸しキセルを片手にして、円座所せきなく、数千人の顔つき、すべて相見し{*2}近付きとては、一人もなし。世界の広き事の思はれける。
大方は侍の付き合ひなりしに、鞘咎め、言葉論も絶えて、静かなる時津浪。笛、鼓打ち収まりて、これが今日の猿若勘三郎が出て、三拍子揃ひ袴の座付、玉川千之丞が狂言とて、人皆、しはぶきをも{*3}やめて、「これ一番。」と待ち見しに、京で聞きたる声に変はらず。面影の通ひ小町、昔を今に見なし、果ての太鼓に立ち出しに、小芝居に、「播磨が六道のからくり、閻魔鳥は、これじや。」と看板叩き立てる中に、西国風の勝手をここに出し{*4}、町人をねめ廻せど、少しも恐るる人なく、かへりくらはして当て言言はれ、無念重なる折節。
浪人らしき男、二十歳余りの風情物やはらかに、短刀を落とし差しに、編笠先さがりに世を忍ぶ有様して、十二、三の野郎に紙子の広袖、緞子の襟は、さながら脇差袋を解きて掛けたるやうなり。これ、物好きとは見えず。侘びての草履取、手を振る勇みもなく、主人に続きて通りしに、かの若者、頭に{*5}手を差して、小人島の鑓持と見立て、悪口言ふに、構はずその程過ぎしに、後より来つて野郎が鼻をつまみ上ぐれば、切ながりて赤面する時、堪り兼ね、覚悟して、ひそかに小者を宿に帰し、八丁堀稲荷橋の中程にて、向うより声を掛けて、「最前の狼籍、覚えたか。」と、左の肩先より切り落とせば、残る四人驚き、暫く抜きも合はせず身震ひせしを、又一人、鬢先を切り付け、首尾よく立ち退くを、辻番、手柄を見るより、心して門打たずして通しける。
三人、漸く気据ゑて、かの者を一筋に追ひ掛けしに、築地の末、小屋掛町まで逃げ延び、次第に険しくなつて、浜手の草葺の内に走り入り、「只今、追手のかかる者。身を隠して給はれ。万事は頼む。」と言へど{*6}、答ふる主もなく、十五、六なる娘、形の優しげなるが、一人留守して、東明かりの窓の元に、結ぼれし糸解き捨て立ち出、「その草履をその所に脱ぎ捨て給へ。裏より抜け道あり。」と言ふにぞ、後先覚えず忍び行く。
その後、娘は長持に立ち寄り、子細ありげに錠をおろしし時、三人走り着き、「この家なるは。」と乱れ入り見廻せば、その人無し。「さては、この長櫃に隠せしに極まる。急いで出せ。」となじり掛けしに、娘、少しも騒ぐ気色なく、「いかなる事ぞ。我は知らず。人の家に 断り無しの{*7}癖者、一人も余さじ。」と、掛け古びたる長刀おつ取り、切つてかかる。女に手向ひは成らず、三人共に身をひそめ、難儀の折柄、近所の人々集まりて、とやかく詮議の所へ、二親、御堂より下向して{*8}、父は肩衣かけながら、母は綿帽子取りも敢へず、「これは。」と娘にすがり、初めを聞き届け、安堵して。
親仁、三人の者を引きつけて、「我、今こそはあれ{*9}、以前は痩せ馬にも乗り、錆び鑓の二筋も持たせて、豊田長五左衛門と名を呼ばれしが、今、かくあさましき住み家なればとて、娘ばかりの内証に入りて、存外せし故なし。おのればら{*10}、世の掟を背く物盗りなるべし。さもなくば、主人を申せ。その儘は{*11}帰さじ。」と言ふにぞ、三人、道理にせめられ、様々手を下げて、「人をあやめし者を付け込み、折節、長持を閉めさせ給へば、心のせく儘に誤り申す。」と、段々詫び言聞き届けて、「しからば、さもあるべし。各々、心掛かりは、この長櫃の中なるべし{*12}。近頃見するも恥づかしけれど、この上に改めぬは、武士の本意にあらず。」と、鍵取りて蓋を開け、三人の内、一人に覗かせけるに、哀れや、浪人の有様。衣類の入れ物なるに、辻無しの唐傘一本、日光挽のはした盆、鎌倉の絵図の破れ、稽古乗りの木馬、袖付き{*13}の紙合羽、塗り足駄、箔置きの太鼓、一つも銭になる物はなかりき。皆々見兼ねて立ち帰る。三人の者も、礼儀を述べて別れぬ。
その後、事無く鎮まつて、夕暮方になつて、長五左衛門、連れ合ひに語られしは、「人の難儀は、何時を定め難し。今日の迷惑、思ひも寄らず。昔ならば、たとへば駈け込み者{*14}なればとて、あつぱれ、出しはせじに。その時々をさばきて、長持の恥をさらせし事よ。」と、棒鞘の匕首握りて涙をこぼす。娘も、今あさましき親の御暮らし、思へばいとど女心の乱れけるを静め、「今日の御難儀は、みづからが成す事なり。子細は、これも浪人らしき侍の、血刀提げて駈け入り、『頼む。』と言ふ一言見捨て難く、裏へ抜けさせ、長持に入れたるやうに見せ掛け、その暇に逃げ延び申すべしと存じ、追手の者の気を取り候。」と、この事委細に語れば、長五左衛門夫婦、手を打つて、「女の早速には、さてもさても。」と、我が子ながら頼もしく、これに付けても浪人恨めしく、日数を送る内に、今は売るべき道具もなく、憂き秋九月の節句前になりて、猶々{*15}菊の霜枯れに一日を暮らし兼ね、世の人は千歳を延ぶる盃事、水を呑む力もなくて、このまま朽ち果つる身の習ひ、日蔭に埋む苔の、石にて手を詰めたる如くになりぬ。
早、九月七日の夜、武蔵野の月清く、品川表の海照りて、遊山船の帰るさに、遠音の糸竹、心はそれに移りて、頭を振つて鼻唄謡へど、昨日の腹にて今日は淋しく、置かぬ{*16}棚をまぶれど、鼠も荒れぬ宿の悲しく、妻子の心ざしを思へば、「長らへて甲斐は無し。」と、常にもてなし、磯辺に出、小脇差にて胸元を突くに、足弱車の膝震ひ出、手先に力なく、死ぬる事さへ我が儘ならずして、その口惜しさ。「武運もかくまで尽きぬるものか。」と地に伏して嘆きぬ。
娘は遅きを案じて尋ね見て、この有様に驚き、「さりとては御卑怯なり。はかなくならせ給ひ、母は何とならせ給ふべし。世渡りの種は、これにあり。」と、袖より金子五両取り出し、親たる人に渡し、娘は、かいくれに見えずなりぬ。母、又これを嘆き、尋ぬべき便りなく、それより二、三日、諸神を祈り給ふに、不思議や、有り所の知れける。
この島続きに隠し遊女ありて、契りを当座切りに、さもしき事なるに、これにあたら身を沈めて、わづかなる金銀にて二親を育みぬる心ざし、優しく哀れなり。その日より髪形を直し、水あげ{*17}と祝ひける。その客に成る人は、屋敷方の小者、中間、又は渡海の船頭、八王子の柴売、上下宿の六尺、願人坊主、或いは肩の上の商人、向島の野人。訳もなく入り乱れて、一生浮き流れの女となる所へ、長五左衛門駈けつけ、「親の合点もせざる娘をかどわかして。」と、ねだるにかへつて恥を思ひ、まだその身に染まらぬ前を嬉しく、前金返して連れ帰り、「さても危なき仕合せ。いかに親を思へばとて、我が子にはあさましき心底なり。名こそ惜しけれ、命は夢の間の有り無し物。並びて最後。」と夫婦の中に娘を置き、一度に声かけて自害をする時。
門に馬、乗り物の音なして、歴々の侍、内に入り、「某は、杉戸数馬といへる浪人なりしが、この度、古主へ八百石にて帰参致せり。過ぎし年、息女に命を救はれ、危うき所を遁れ、本国に下り、首尾残る所なく、この事、一門に語れば、『それこそ幸ひの縁組なれ。』その断りを申し入れ、御不足なりとも某を婿に成し給へ。」と、是非に申し受け、夫妻に定めて、互に悦びの花の時、再び運を開ける心地して、娘諸共に引き連れ、霞ケ関今越えて奥州にぞ下りける。
その後、長五左衛門も古主に呼び返され、本知千石取れば、神も見捨て給はず、弓矢の家、永くすたらず{*18}。武士は、頼もしきものにぞありける。
校訂者註
1:底本は、「知(し)らず、息引取(いきひきとり)は」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び訳に従い改めた。
2:底本は、「数(す)十人(にん)の貌(かほ)つき、都(すべ)て逢見(あひみ)し」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び訳に従い改めた。
3:底本は、「咳嗽音(しはぶきおと)止(や)めて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「出(いだ)せし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「彼(かれ)我(わ)がもの貌(がほ)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「いへば、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
7:底本は、「断(ことわり)なしり曲者(くせもの)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
8:底本は、「下向(げかう)し、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
9:底本は、「今(いま)こそ哀(あはれ)以前(いぜん)は疲馬(ひば)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
10:底本は、「己等(おのれら)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
11:底本は、「其(そ)の儘(まゝ)に帰(かへ)さじ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
12:底本は、「左(さ)もあるべし、近比(ちかごろ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
13:底本は、「神付(かむつけ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
14:底本は、「駈込(かけこみ)の者(もの)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
15:底本は、「追々(おひ(二字以上の繰り返し記号))」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
16:底本は、「置(お)ける棚(たな)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
17:底本は、「新枕(にひまくら)と」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
18:底本は、「捨(す)てられず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
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