第四 案内知つて昔の寝所 一夜に変はる男姿の事
淡路島通ふ千鳥の鳴く声に、世の哀れ見る事あり。
屋島といふ湊に船がかりして一夜を明かすに、さりとては面白からぬ所なり。昔の小歌に「花の屋島。」とは、何が目に見えて謡ひけるぞ。春さへ桜も無く、秋の夕暮の心して、浦の苫屋に立ち寄りけるに、女集まり茶事して楽しみ、ありふれたる嫁そしり話、すべき者が、「物事、急ぐ事には仕違ひあり。」と分別らしき物語。「何事ならん。」と聞くに。
この浜の漁人に北岸久六といふ者ありて、毎年鰯網に雇はれ、東の海に行く事あり。いつもは大勢組して下りしに、過ぎつる秋は人進まず、勝手づくにて我一人下りぬ。久しく便りの事もなく、その身無筆なれば、おのづからに世を背きて、親類にも気遣ひを致させける。
その年の秋、日和荒れて、「漁船、あまた損じたる。」と風の吹きやうに{*1}聞けば、「さては、久六も世に無き人と成りけるか{*2}。」と一門嘆くにぞ、人の口にて、最後まざまざと見たる様に申し成し、「一連れに二百五十人、外海にて相果てしとや。当年は、心掛かりなりしに、下らで仕合せ。」と皆々言ふに、辛さのまさり{*3}嘆く内にも、女房の身にしては、ひとしほ悲しさもまさり、明け暮れこれのみにして、命を捨つる程に思ひ込みしかば、女心のやさしく聞こえぬ。しかも{*4}久六は入り聟なりしに、夫婦の挨拶良く、二親に孝を尽くせば、身の程思はれ、この男を惜しみぬ。
その冬も立ち、春過ぎて、一年近く知れざれば、いよいよ死んだに疑ひなく、里を出、行き別れし日を命日に、それぞれの僧を供養して、残りし物をまことの親元に返し、それが事は、次第に忘るる習ひぞかし。かくて、「女も若し。この儘に後家、由なし{*5}。世間にある事なれば、後夫求めて親の心を助けよ。」と色々に諫めけれども、中々女は合点せず。近々に髪をもおろし、せめては亡き人のために、香花の志深く、浮世をふつと思ひ切りしを、各々、様々に申し慰め、「親へ不孝{*6}第一。是非。」と至極させて、無理やりに又も入り縁を取り組み、「今日こそ吉日。」と祝言を定めける。男は、同じ浦の漁師、小磯の杢兵衛といふ人、久六よりは、よろづに生まれまさりて不足無し。二親の喜び、親類の勇み、再びの入り婿。かかる浜辺も袴着る事見習ひ、女は黄楊の挿し櫛。献々の酒盛半ばに、どこも悋気は必ず変はらず、いぶせき板戸に小石打ちかけ驚かす事、幾度か。それも夜更けて静まり、寝所に木枕並べ、互に打ち解けて、久六が事はおのづから忘れて杢兵衛可愛がり、この時の気にうち任せける。
この宿の皆々、宵のくたびれに、明けの日までゆるりと長寝して、戸ざし開けぬ所へ、久六、旅姿して立ち帰り、案内知つた顔に立ち入り、久しく逢はざる女ゆかしく、寝所に行けば、南窓より影写りて見えしに、しどけなき枕の様、髪も昔よりは美しく、「この浦の美人なるものを。」と、少し自慢心して、添ひ寝に夢驚かせば、女、興をさまして泣き出せば、夜着の下より杢兵衛出て当惑。
久六、異なものに成り、「これは。」と改めけるに、段々初め語るにぞ、大方ならぬ不首尾。因果といふは、これぞかし。人も多きに、殊更杢兵衛は、久六と年月遺恨のやまざる者なれば、憎しみ常より{*7}深くありて、久六、分別して、まづ舟吹き流され、奥の海に行きし難儀を語り、その後、心静かに女を刺し殺し、杢兵衛を討つて捨て、その刀にしてその身も失せける。
鄙びたる男の仕業には、神妙なる取り置きぞかし。
校訂者註
1:底本は、「吹(ふ)く様(やう)聞(き)けば、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「なりけると」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
3:底本は、「余(あまり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「扨(さて)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「後家(ごけ)になし、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「親人(おやひと)不幸(ふかう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
7:底本は、「悪(あ)しゝ、常(つね)より深(ふか)く」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
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