懐硯 巻二

一 後家に成り損なひ  心の駒は将棋に好き入る事

 越前の国永平寺は、後深草院建長年中に建立ありて、今に法音絶えず。その流れ、派を別ちて久しく、山は世塵の遠ざかり、いと殊勝に、開山道元禅師の御影拝み巡りて下向すれば、ここは府中の里。越の街道には家居すぐれて、椽を磨き軒を並べ、煙豊かなる町造り目立ちけるに、人宿の女、袖にすがり、「日は早、七つにさがる。」と引つ込みけるに、いづこも一夜の仮枕、旅の寝覚めの淋しく、明日の夕の里までの事、命は知れぬ行く末、思ひ続けて明かし兼ねたるに、主の物語るを聞けば。
 この所、分銅町曽根、藁屋甚九郎とて、初めは裏店借りて草履を作り、鍋取り売りなど、誰知らざる者なし。然れども、その身一代に稼ぎ出し、俄分限と成り、今は三ケ所の家屋敷、蔵、肩を並ぶる者なく、その弟甚助、甚七も、幼きより国里隔てて売られたるを呼び返し、手代分に家を治め、日に増して栄え、行く末の頼もしかりしに、差し継ぎの弟甚助、兄に変はりて、よろづしどなく、商売そこそこになして、しかも色好みなるより、商事にかこつけ、三国の港へ通ひ初め、二度の節季の帳前度毎に、三五の十八、ばらりと違ひて、次第増しの不足。積もれば大きに空くところありて、甚九郎も度々異見するに、聞き入れず。「早、かしこの初川といへるを請け出すに極まりし。」と脇よりこれを告げ知らせたるに、堪り兼ねて、内証勘当して追ひ出しければ、外にたたずむ方もなく、哀れにさまよひ歩きしを、母の不憫まさり、甚九郎が目を忍びて、死なぬ程の貢ぎして、同じ所の傍に裏店借らせて置きぬ。
 かくて年月重なり、或る時甚九郎、つれづれなる雨の日淋しく、日頃将棋好みにて、難しき詰め物の図を案じける程に、朝の四つより七つ半まで眺め入り、「さても今、合点が往た。これで詰むものを。」と吐息つきながらうめきける音したるに、「何事。」と女房、駈け付けて見れば、早、目を見つめて、冷や汗、瀧の如く、「南無三宝。」と言ふ声に驚き、母、甚七も下々も、「これは、これは。」とばかりに医者呼びに遣りて、口を開かすれども開かず、鍼立て、血を取りても出ず、一握り灸据ゑても{*1}音無く、終に息絶えて、脆きは人の命。                                 
 「これは、いかな事。」と言うたばかり、各々呆れ果て{*2}、老母の嘆き、一方ならず。女房も、四年の馴染なれども、子の一人も無く、まづ近所の同行四、五人駈け集まり、「是非なき浮世の中。一度は我も人も、かう成るに定まり事。嘆きて帰らぬに、念仏の一声が、もはやこの上の為なり。」と老母、内儀を慰め、まづ片脇に押し寄せ、屏風引き廻し、灯りを上げ、寺へ人を遣れば、坊主来りて幡、天蓋の書き付け、諸行無常の一筆。六道の蝋燭立てを削る。沐浴の湯の下焚きつける。下女は、涙片手に団子の臼を挽き、久三郎は野草鞋の鼻緒をすげる。脇差に紙を巻き、中通りの女は経帷子を縫ふなど、尻も結ばぬ糸。
 哀れに静まり返りしところに、甚助、あわただしく、子の甚太郎、七才に成れるに、戻子の肩衣に裏付袴の大きなるを胸高に着せ、みづから身横に抱きて、微塵も気の毒なる顔は無く、座敷の真中に甚太郎をおろし置き、「今宵の位牌を持つてからは、この家屋敷をば皆、我が取る程に、嬉しう思へ。」と、しかつべらしき顔して、辺りをきつと見廻しけるところに。
 その弟甚七、涙押し拭ひて進み出、「さても太い人。こなたは、いつ勘当許されて来り給ふぞ。兄じや人死なれたとても、筋目無き事は成るまじ。我、かくてあるからは、この跡式を誰か取らん。是非欲しくば、死人と仲直りしてからの事。」と言へば、甚助、眼を見出し、「そなたは知るまじ。過ぎし七日の夜、ひそかに甚九郎殿来り給ひ、『今までの勘当は、公儀へ訴へたるにもあらず。されども、一旦、町の宿老へ断りたれば、十年の内は表向き、行き来無き分にもてなせ。もし明日が日死んでも、子は無し。甚太郎は甥子なれば、俺が跡を遣るべし。』と頭撫でられ、方々の約束。左右なきとて、兄親方に理屈立て。早、敦賀に売られ、筒落米拾ひし事を忘れたか。」と延び上がりて気色するを、女房、この有様を見て、奥に走り込み、衣類、手道具、何やかや、心にかかる欲しい物、どさくさ紛れに取り集め、嫁入り{*3}時の長持に押し込み、錠ぴんとおろして、何の気もない顔して、姑の見る前にて、髪くるくると束ねて切りかくるを、老母押し止め、「そなたが心底、尤もなれども、いまだ若き身なれば、我、分別あり。待ち給へ。」と言ふを振り放し、「もはや私の髪の要る御分別は、ふつふつ嫌でござります。」と、無理に鋏み切つて投げ出す。
 甚助、甚七は、互に大声上げて、面を張り合ふばかりに立ち騒ぐを、同行中取りさへ{*4}、「まづ静まり給へ。この穿鑿は、後にても成る事。死人には手も{*5}かけず、野送りの衆も、宵から詰め掛けて、聞かるる外聞も宜しからず。」と、老母諸共になだめけれども、甚助、これを聞き入れず。「何の難しき事は無し。今宵の位牌を誰なりとも、指でも指したる者は、相手に致す。」と脇差ひねくり廻す。甚七は、「成程、俺が持つて見せん。」と問答果てざるに、同行も扱ひくたびれ、「とかく我々は、日頃のよしみに、まづ沐浴をして仕舞ふべし。」と舁き出し、頭に湯を一杓掛けると、「うん。」と言ふ声と共に息出、「やれ、よみがえりたるは。」と水を口に注ぐと、甚九郎、目を開き、「さても気が尽きたやら、永々としたる夢見たり。」と前後見廻せば、大勢立ち騒ぐ。
 「これは、何事ぞ。」と段々聞きて、肝を潰し、「まづ、その甚助めは、どこに居る。」と言ふ声に驚き、「早、偽りの顕はるるか。」と甚太郎をさかさまに抱きて逃げ出ける。さて、腰を探りて見れば、金蔵の鍵無し。「これは、誰が取りたる。」と言へば、甚七、「私が取りて置きたる。」と懐より出すに、「汝、まことの{*6}志あらば、母には何として渡さざるぞ。その心底より、この愁へを顧みず、跡式の欲論せし悪人め。向後、勘当。」と叩き出せば、誤る道理にせめられて{*7}、一言の返答もなく立ち出る。
 次に、「掛硯は誰が直せし。」と言ふに、老母を始め、知りたる者なし。「よしよし、鉄火を握らせて穿鑿すべし。」と言ふ時、女房、赤面して声を震はし、「それは、私が長持に。」と、しをしをと取り出す。その外、目に立たざる似合はしからぬ物を、一つ一つ取り出すに、誑惑なる心底、言はずして顕はれ、勿論、剃髪の心ざし{*8}より即座に髷払ひたる様の潔きには、似合はざる仕方。「さりとては、水臭き心根{*9}。行く末思ひ遣られぬ。これまでの縁なるべし。」と、夫はこの世にありながら、後家姿と成りて、すぐに親里へ送られける。
 皆これ、欲心より起こりて、慚愧甚だしく、つらつら観ずれば、既に財宝も黄泉の旅の糧に成らず。今より死したる心になりて、有り銀三百貫目、祠堂銀に入れて、常念仏を取り立て、老母諸共に後の世の願ひ。本来の都に帰る山のほとりに庵を結びて、行ひ澄ましける。

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校訂者註
 1:底本は、「すゑて音(おと)なく、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「呆(あき)れて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「娌入(よめいり)の時」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「取押(とりおさ)へ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「死人(しにん)にも手(て)をかけず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「誠に志(こゝろ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「責(せ)められ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「心(こゝろ)より、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「心様(こゝろざま)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。