四 鼓の色に迷ふ人  覗き遅れて窟屋知る事

 清見潟、心を関にとどめ兼ねて、曙急ぐ鐘の声、旅宿の夢を松寒うして、風に驚く三保が崎。田子の入江に差し掛かり、弓手にさつと山気うとく、哀猿叫んで物侘しく、磯辺は千鳥群立ち、猶淋しき真砂地を行くに、塩焼く浜の薄煙立ち昇り、白雲、富士を盗み、心当てなる狂歌の趣向もあだに成れり。
 猶行く末、由井、神原などいへる宿に、矢がらと名に付けし目馴れぬ魚も可笑しく、眠りさましのキセル筒、手に触れ、吹上の松原を過ぎ、早くも舟渡りして、浮島が原より枯野の薄押し分け、足柄の山を始めて見し事も、藜杖、郭を出しより、異なる風景に眼境を悦ばしめ、猶奥深く入るに、樒実りて山茶花色どり、蔦{*1}の枯葉も秋よりはまさりて、賤しき岩尾の恥を隠しぬ。下洩る雫、おのづからに凍りて、山の頭も翁めきたる風情ありて、炭竃絶えて樫の切り株のみあらけなき熊笹を分け行くに、霜に{*2}諸袖を浸し、朝日願へど影遅かりし。忽然と洞に下がりぬ。池波{*3}に響きて、微妙の鼓の音のみ。「ここには不思議。」と聞き耳立つるに、程近く、これなる岩窟にまさしく人やありける。
 紅の細ものなる薄絹の袖ほのめき、焚きしめたる薫りの風を逆らひ、うつつ心に成りて、叢杉の葉隠れより差し覗きけるに、年の程、仮初に見し時は、里の総角、振り分け髪の程過ぎ、十三ばかりの美童の、人家離れてこの所に住む事も由なし。我を見ながら物言はず、笑はず。「絵にかける面影か。」と疑はれ、暫く物思ひしが、過つて近く立ち寄り、夢の心になつて、「いかなれば、かくして{*4}おはしけるぞ。」と尋ねしに。
 「我、その昔は、駿河の府中に酒屋長蔵といへる者の娘なりしに、九歳の時、母に後れ、五年経たざる内より、継母しきに掛かりぬ。世にある習ひとは言ひながら、殊更に妬み、怨まれ深かりしかども、我{*5}、誠の心より、昼夜に身をやつし、孝を尽くしけるに、十三歳の春より、時の母、道ならぬ心にならせ給ひ、度重なれば、人も見咎むる程になりしを、『それ。』と一人二人沙汰せし時、この咎を俄に我にゆづりて{*6}、『通ふ者あり。』と父に告げ知らしめられしに、『この事、只ならぬ曲事。』と糾明に逢ひし時には、『最早、ありの儘に白状すれば、忽ち母の悪名のみならず、橋を渡せし奴まで命を絶ちての不孝の咎遁れず。所詮、我一人の落度になり、一殺多生と孝との道に叶ふ。』と思ひ定め、猶々誤りたる通りの段々書き置きして、その夜、ひそかに裏道より出、この山蔭に駈け入り、五日は水も呑まず、覚えし誦経念仏して、六日より倒れ伏して枕上がらず。
 「今は最後に極めし時、不思議や、異香、空に薫り、口に露の注ぎ掛かるとおぼえて、おのづから息通ひ出しより力つき、時々怪しき童子、天降りて伴ひ遊び、身体軽く、時知らぬ飲食。飢ゑず、寒からず、躑躅の咲くにて春を知り、いがの落ちたるに秋を知りて、三十年この山に住み、神通、今おぼえて、居ながら古里を見るに、早、母は先だち給ひて十七年になりぬれば、これを語る。『天道、人を殺さず。』とは、誰か{*7}言ひけん。道人、稀に来り給ひて、語るも不思議なり。」と言ふも愚かなり。「暫し。」と思ふ昔語り、尋常の三日にぞありける。
 その後、里に出て、又帰るさの夕、府中に仮寝して、明けの日、主にこれを語れば、横手を打つて、「その長蔵と言へる者、今は跡絶えて所縁無し。これは、奇異の物語。道人、先達して、その所見せ給へ。」と言ふに、二、三人伴ひて、又、右の岩窟に往きて見れば、かの鼓、羅綾の衣残りて、再び見えず。

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校訂者註
 1:底本は、「葛(くず)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「霜(しも)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「岩(いは)に下(さが)りぬ、池崎(いけざき)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「夢(ゆめ)の心地(こゝち)になつて、如何(いか)なれば久(ひさ)しく御座(おは)しけるぞ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「我(わ)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「ねずりて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「誰(た)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。