懐硯 巻三

一 水浴びせは涙川  一度に五人女房去る事

 五十鈴川の小石を拾ひ、恋の夜に入る人の、門口、蔀に打ち付け、天の岩戸も破るるばかりに響き渡り、伊勢の山田に旅寝せし夢を驚かしぬる。宿の主に{*1}、「何事ぞ。」と尋ねしに、「近所に嫁入りあり。」と言へり。「誠に、二柱の初め、男神女神のそれより以来、人皆、悋気より起こりて、かく小石を打つ事よ。」と大笑ひに目をさまし、東路に下り、その後又、この宿へ通り掛けに立ち寄りけるに、「人、うつけたりとて、なぶるまじき事。」とて、亭主の語りけるは。
 いつぞや、女房呼びし男は、中世古といふ所に松坂屋清蔵とて、身過ぎに賢き、世間愚かなる男なりしが、常に寄り合ふ謡講の宿には、彦左衛門、徳介、松右衛門、新助。師匠は武右衛門。一所に並び居て、「今宵は清蔵遅し。」と言へば、彦左衛門進み出、「この春、女房持つてより、少々の用事には、門にも出ず。昼も大方寝て居ると見えたり。世の中は皆あの通り、過不及なる事のみにて、無男と言ひ、余程足らぬ者が、今の女房など持つべしと、下手な氏神も知り給はじ。憎き事は、一昨日もちよつと見舞ひたるに、夫婦、真昼に炬燵にあたり、しかも俺が訪るると、二人ながら蒲団かぶりて俄に空いびき。さりとては、その仕方の悪さ。」と言へば、皆々口を揃へ、「法界では無けれど、あの男めに、あつたら女房を持たせて置くさへ腹立つに、余り見苦しき有様。今にも来らば、言ひ合はせて、去らする談合せん。」と言ふところへ、清蔵来り、一つ二つ世間話のついでに。
 松右衛門、一分別ある顔して、「かう話すからは、互に悪しき事あらば、言ひて直すが道と思ふから、近頃言ひ難けれども、この度の御内儀の事、器量は尤も人の沙汰する程の、諸体、残るところ無し。されども、今までよそへ{*2}行かずに居たるは、いかう子細のある事。誰も知るまじ。持病に癲癇といふものありて、年毎の小寒の末、大寒の差し入りに必ず起こりて、御手前の命を取らるべしと、贔屓に思ふ程の者は、これ沙汰なり。」と言へば、清蔵、肝を潰し、「それは、いかなる病。」と言ふに、「ひよつとこれが起こると、まづ丸裸に成りて、真昼に大道に走る。常々隠す事を口走る。道具を打ち割る。科なき下人を打ち叩き、畳を切り裂き、我が男の咽笛に喰らひつく。」と言ひ立てる時、清蔵、色を違へ、「南無三宝。」と暫しは物も言はず。「さてもさても、是非なき事。」と、これをまん誠に{*3}思ひ、「よくこそ知らせ給へ。大寒も早、程近し。命一つ拾ひました。」とただちに宿に帰れば、後は大笑ひして、謡はやめにして夜を明かしぬ。
 清蔵は、宿に帰り、女房呼んで、「ちと思ひ入れあれば、暇を遣るぞ。只今帰れ。」と立ちながら三行半さらさらと書きて投げ出せば、女房、涙を流して、「これは、いかなる事を聞きて、かく仰せらるるぞ。様子聞かせて給はれ。」と言ふに、「何程むつかりやつても、涙が怖い物でなし。」と愛想なく引き立てければ、この悲しさ限りなく、されども女のわりなさ、泣く泣く里へ帰りければ、親達の不思議。「常々、人の沙汰に逢ふ程、仲よき夫婦と言はれて、今、俄に去らるるは、定めてそなたに不義あるべし。さてさて、憎き女め。」と奥の一間に立て籠め、仲人七右衛門を呼びて、この由語れば、「これは、思ひ寄らぬ事。清蔵、この分別あらば、私に知らす筈。まづ参りて、様子承るべし。」と清蔵方に行けば。
 早、声を上げて、「七右衛門殿ともおぼえぬ。あのやうなる病者を、ようこそ肝煎れし。」と恨み数々。「それは、心得ぬ不足承る。子細語り給へ。」と言へば、右の段々。「追つ付け、寒に近し。何と七右衛門殿。人は、嘘をつくものではござらぬ。」と言ふに、「さりとては、その様な事とは夢にも知らず。」と呆れて帰りぬ。
 月日の{*4}経つは早く、寒の明けの日、この女房、衣装、常より改め、美々しく飾り立て、物好みの模様染。蹴出し、歩みの品形、殊更に{*5}すぐれて、見る者、悩まざるは無し。老母と同道して、右悪口言ひし五人の者どもの家毎に見舞ひて、「寒さも過ぎ行きますれども、煩ひも致さず、風邪さへ引かぬ達者、御目に掛けん。」と一々見せ、清蔵所へも立ち寄りて、「随分無事に暮らして、この通り。」と言ひ捨て出れば、清蔵、手を打つて、「さても、人は跡方無き事を沙汰して、馴れ染めたる仲を離れさせける。」と思ふ上に、寄り来る程の者は、「美しき御内儀を、何として離別なされたぞ。心立てと申し、結構なる御人。千人の中にも又あるまじ{*6}。」と金を落としたるやうに言ひなし、殊に、「この頃、いづくやらへ嫁入らるる由。この男に成る者は、仕合せな事。」と言ふに、清蔵、この残念、胸に迫り、節季の仕舞ひ{*7}も、「誰と年を取るものぞ。」と、万事打ち捨て、面白からぬ浮世。朝夕、「無念、無念。」と口ずさみ、二十七、八日より髪をも結はず、正月着る物も縫はせず。「蓬莱も海老も相生の松も、夫婦ありてこそ。」と打ち伏しける。
 明くれば初春の空のどかに、それかれ当年の御礼者、声頻りなるも、「正月早々から疝気が起こつて、寝て居ると言へ。」と起き上がらざるところに、子どもあまた、大人交じりの声賑はしく、「水浴びせ、水浴びせ。」と囃し立て通るに、清蔵、「好もしき事。」とそのまま駈け出、格子よりこれを覗きて、「あれは、下の町の孫助ではないか。誰が娘を呼んだ。」と言へば、下人太郎介、「旧冬より頼みが参りて、こなたの初めの御内儀様の、嫁でござりました。」と言ふに、今は堪り兼ね、「無念至極。」と奥へ駈け入り、「何の、面白からぬ浮世に長らへて、詮なし。とかく、世に二人とも無き女房を、嘘ついて去らせし五人の者を、片端より{*8}刺し殺して、死んで胸を晴らすべし。」と思ひ定め、長持の錠ねぢ切り、脇差取り出し、髪は去年の二十日過ぎに結ひたる儘なるを乱し。
 まづ彦左衛門方へ駈け込めば、「この春のめでたさ{*9}、いづれも若うならしやりて、五百八十、七まがり。注連縄飾り、幾久しく。」と盃事して居るところに、「彦左衛門は、いづくに。」「礼に出ました。」と言へば、「隠れても、隠れさせぬ{*10}。」と一尺八寸、ひらりと抜きて、「家捜しするぞ。」と奥から口ヘ走り巡りけるに、子どもは恐れて逃げ散り、辺りほとりの者も、「これは、何事が起こりたる年の始めなる。」と戸鎖して肝を潰し、彦左衛門は留守なれば、それより松右衛門所に行きて一騒ぎ。徳助へ走り行けども、皆々、礼に出たる後の間に、五人の者の家々を抜身にて駈け歩きしに、途中の礼者、肝冷やし、元日にこのやうな事は、終に例なき騒動。「やれ、喧嘩よ。」「狼籍者よ。」と飾り松踏み倒して逃ぐるもあり。
 それから謡宿、武右衛門所に行けば、折節居合はせ、この有様を見て、驚きながら、「まづ静まり給へ。いかやうとも、こなたの存分の通りに{*11}致すべし。」と言へば、さすが師弟の挨拶ありて、暫く静まりし内に、宿老になだめさせても聞かぬを、旦那寺の長老、医者の春徳、上下四町の年寄をかけて扱ひて、漸く堪忍するになりて、「命は助け、右の五人者の女房、皆々、去らせて{*12}給はれ。」と言ふになりて済みぬ。
 それより清蔵、五人の家々に行きて、荷物まで拵へ、自身、その親里親里へ送り届けける。或いは子どもあまたのある仲、思ひも寄らぬ飽かぬ別れを悲しみ、哀れは言ふばかりなし。武右衛門女房は今年六十一なりしも{*13}、堪忍せず。「馴れ染めて四十三年。今になつて去らるる。これは、いかなる因果。」と嘆かれしも理ぞかし。
 総じてこの類の悪口、言ふまじき事なり。

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校訂者註
 1:底本は、「主(あるじ)、何事(なにごと)ぞ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「今(いま)まで行(ゆ)かずに」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「是(これ)を真事(まこと)と思(おも)ひ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「月日(つきひ)消(た)つ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「容姿(しなかたち)更(さら)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「亦(また)有間敷(あるまじき)と、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「節季(せつき)の仕迫(しはす)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「五人(ごにん)の者(もの)、片端(かたはし)から」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「目出度(めでた)さは、何(いづれ)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「匿(かく)させぬ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「通(とほ)り致(いた)すべし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「五人(にん)の女房(にうばう)、皆々(みな(二字以上の繰り返し記号))去(さら)せ給(たま)はれ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 13:底本は、「なりしを」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。