三 気色の森のこけ石塔 虎猫遺恨の事
杖扶暫し留まる大隅の片里に、涼しき暮を待ちて、沢辺を行く細石水に夏無き心地のして、更に都を思ふ糺を、ここに梢の茂み、さながらその気色の森に、ほととぎすの折節を知らせ、わづかなる村雨も旅の習ひとてうたてく、漸々に辿り来て、近付きにはあらぬ方に子細を語つて、一夜の仮寝に夢見る暇もなかりき。
人の姿は、鄙も、さのみに変はらず。明日は五月の五日とて、松明明かして、後上がりなる月代を剃りなど{*1}、老人は、肩衣掛けて持仏に勤めなす有様。東門徒の名号、いと殊勝に拝まれける。女は、柏の葉にて黒米の餅などを包みけるは、これなん上方に見し真薦の粽の代はりなるべし。弦鍋に小さきいかきを仕かけ、葉茶を煎じて、伊勢茶碗の手厚きに汲みなして、我をもてなしける。いづくにも鬼は無き君が代の道の広きを今見る事、かへりて話の種ともならんかし。
明くる曙、急ぐ草鞋がけ、脚絆のしし干になるまで囲炉裏の縁に掛けて、取り交ぜての話聞く内に、隣に人声のかまびすしく、「いまだ盛りならざる女の叫びけるは、いかなる事。」と尋ねしに、主の語る。
あれは、過ぎし頃まで、この国の御屋敷方に和田太郎七とかや言へる御内に、十一、二歳より四、五年、奥に召し仕はれて、不憫がられしに、俄に物狂はしくなりて堪らざりけるより、この頃送られて帰りしを、両親、これを嘆き、一人の娘を生きながら地獄に落とす心して、力に及ぶ程、医療、祈祷に暇なく加持すれども、気色静まらず。これより十七里を経て名誉の道人ありけるを呼び越し、余りに強く祈られ、おのづから本性を顕はして、「我は、この女と朋輩にて、分けて{*2}隠居の御袋様に可愛がられ、朝夕、御飯参る膳の先に前足折つて、御口元に目をつけず嗜み居るに、御心つかせられ、鯛のせせり残しを残らず、『虎よ、虎よ。』と頭撫でながら下され、生臭物さへあれば、いづくの屋根の上、蔵の隅に居眠りして居るにも、呼び給ひし御心入れ、嬉しかりき。
「或る時、御娘子御平産ありし御見舞の留守には、我一人淋しき襖の内に立て籠められ、一日一夜、御寝巻の上に眠り、御帰りを待つに遅く、早、腹に力なく、それより台所へ出て見るに、いつもの鮑貝には乾飯の如くなりてあるをも、誰あつて心を付くる者もなく、余りの事に膳棚にかかり、匂ひを尋ぬるところに、小さき青皿に飛び魚、半ばを喰ひさしてありしを、手にてそろりと掻き出すを、この女、走り来り、『夕飯に添へんと思うて置いたるものを。』と、釘に懸けたる摺小木を以て、肝心の鼻柱をしたたかに喰はされ、絶入するところを掴んで放られ、忽ち眼くらみ、三度舞ふまでは叶はず、息絶えける時の一念、いづくへか行かん。さて、亡骸をばひそかに溝の側に掘り埋められ、暗きより暗き畜生道の輪廻を離れず。その時、隠居様へは、『行方知らず。』と偽りし恨み。なまなか、かくなる事を聞かせ給はば、跡をも弔ひ給はらんものを。」とさめざめと嘆きぬ。
聞く者、料簡して、尤もの事に思ひ、「しからば、いかやうにして退くべきぞ。」と言へば、「我に別に望みなし。一生暖かなる事を知らず。夏冬、時を分かず{*3}炬燵して、この家の内に置き給はれ。さて、朔日、十五日、節句、晦日には、鰹節、またたびを櫓の上に備へ給はらば{*4}、只今速やかに退くべし。」と言ふ時、「それは{*5}易き事。成程、心得たり。」と言へば、嬉しき笑みを含み、悦ばしき声、「にやあにやあ。」と言ふと、気色静まりぬ。今に至つてその家には、不断炬燵して置かねば崇りける。
或る時、病人、又、口走る事あり。「我は、同じ屋敷の与九郎と言へる者。この女に度々執心、かき口説きて遣はしけるに、つらからば只一筋につらからで、情け交じりの嘘を誠と思ひ、年の二年、心を砕き、人目の関の明け暮れ忘るる時なく、『今は時節悪しし{*6}。』『今宵は勤めに暇なし。』と、根から嫌とも色に{*7}出さず。それをば神ならぬ身の白糸の、夜は焦がれ、昼は燃え、胸の煙に立ち迷ひ、富士は思ひの磯、涙に浮き身の沈むに極まりし時、『既に命の絶え行く水の柵、一夜はとどめて。』と訪れたるにも、つれなくいなせの捨て言葉も無く、食事、おのづからにやみて、これを思ひ死に。誰かこの憂きを問はん。
「今は、恨みの一言言ふべき便りも無く、魂は大閣寺の墓{*8}にも留まらず、冥途にも往かず。一念、この女の影の形に{*9}添うて、片時も離れず。幸ひに、この度の妖怪の縁に引かれて、憤りを顕はす。只恨めしきは、空しく果てし後、それとも思ひ出しもせられず。今は、取り殺して苦患に沈むとも、呵責に逢ふとも、共に黄泉途の旅の仮枕。一度は、この思ひを晴らすべし。」と言ふ声、初めに変はりて荒ららかなる男の五音。段々、理をせめての物語、聞くに哀れを催せり。時に、祈祷せし僧、随求、光明、大悲咒を繰り返し、「この後は、跡をも弔ひ、又は、この女に出家をさせ、永き未来、一蓮托生の契りを祈らすべし。」と言ふに、「和尚の教化、骨髄に徹したり。」と発起菩提の心を顕はして臥しぬ。
その後、病気、右の如く本復して、この事を問ふに、「覚えあり。」と言ひしに、死霊の有様を語りて、比丘尼と成し、浮世を忘れ水清き心の花を立て、香を焚き、人は煙の程と消えし心根思ひ知られ、その身堅く勤めて、苔の衣を露に絞り、今は煩悩、かへつて善根になりぬ。然れども、そのしるしには、この比丘尼、墓所へ参る度毎に、石塔倒るる事の不思議や。「一念五百生、懸念無量劫。」まことなるかな。
我{*10}、この所に夏の頃一宿して、西海残らず巡り、同じ年の雪の山見し時、再びここに来つて、この女の物語を聞く。「世には、かかる例もあるものかは。」と、かの石塔の元に行き、見ぬその人の跡を弔ひて帰りぬ。今に{*11}「こけ石塔。」とて、名は大閣寺の庭の叢に残れり。
校訂者註
1:底本は、「剃(そ)ると、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「化(ば)けて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び語釈に従い改めた。
3:底本は、「分(わか)たず」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「給(たま)はゞ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「そは安(やす)き事(こと)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「悪(あ)しく、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
7:底本は、「色(いろ)には」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
8:底本は、「暮(くれ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
9:底本は、「形(かたち)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
10:底本は、「我(わ)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
11:底本は、「今(いま)は」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
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