懐硯 巻四

一 大盗人入相の鐘  身の隠れ家葛籠に極むる事

 山寺は、物の不自由なる事こそ多けれ。銭有りながら、豆腐蒟蒻売りも絶えて、酢、醤油にさへ事を欠くのみ。
 ここに、越中{*1}の国立山のほとりに嶺梅庵とて、常は人の通ひも稀々なる草の戸の明け暮れ、吐雲と言へる一人法師、よろづ異風に、紙衣の襟をも折らず、清貧、おのづからの楽しみとなして、世塵を貪らず、朝に一飯あれば、夕には白湯すするに薪無く、或る時、その麓の里より志ある由して、斎料、調菜を送りて、施を行ひたるその明けの夕、隣国に{*2}暴れし夜盗六人、この庵に押し入りて見るに、人一人もなければ、「この屋には、主は無きか。」と評判する時、吐雲、古き皮籠の内より、「誰なるぞ。騒がしや。余り寒きに、ここに風を防ぎて居る。」と言へば、皆々、これを{*3}聞きて、「この過ぎはひを仕始まりてから、寝道具一つ無き貧家には、入りたる事なし。せめて、湯なりとも沸かして呑むべし。」と無興すれば、吐雲、葛籠の中より、「湯より、酒がそこそこの棚の隅にあり。燗をしられたらば、俺もーつ相伴すべし。」と言ふに、「さては、気の通りたる主。」とうちくつろぎて、夜もすがら仏事の残りを賞翫して、四方山の雑談になり、「この酒、只呑むべきにあらず。懺悔して後生にすべし。」と上座の男より語りけるは、
 「我、その昔は、出羽の国秋田の城下に梅倉徳介とて、氏系図、家中に肩を並ぶる者なかりしに、功なくして禄を不足に思ひ、十一年仮病を構へ、一年に一度の礼にも上がらず。頃は桜咲く山蔭に、女房、子ども伴ひ、京を心に慰み、花見て帰る夕暮、乗り物吊らせて運びける所に、国の家老のかち若党五、六人、酒機嫌とは見えながら、この女交じりなる内に戯れかかり、無作法数々なるを見兼ね、先に進む大男めを切り倒せば、残る五人抜き合はせたるを、又三人討つて捨て、この由、奉行所へ訴へしに、『まづは、手柄。』と讃められ、みづからを{*4}、『仕りたり。今の世には軍無し。これを武辺。』と自慢心なるところへ、家老中よりの使者として、『只今登城すべし。』との事。『さては、褒美の仰せ付けられか。知行加増か。』と悦びて城に上がれば、遠崎兵庫介立ち出て、『この度の手柄、申すばかり無し。さて、殿に仰せ出さるるは、数年の病気に似合はざる達者、偽りなくして偽りあるに似たり。ただちに改易に仰せ付けらる{*5}。』と言ひ渡さるるに力落ちて、この面目なさ忘られず{*6}。それより縁類の方へも往きて言葉なく、かへつて過ちを語る事の恥づかしさに、野に臥し、山に夢見て、命つれなきに、糧は貯へず。昔の義理、外聞も要らず、さまよひ歩く内に、野辺の送りの枕飯といふ物をちよつと盗み初めて、今はそれに成り固まりし。」と語りぬ。
 今一人は、「関東の学寮に、十四歳より師の坊の前を走り出て、托鉢に飯料を求めて七年の勤学。『所化、あまたの中に秀でたり。』と人も沙汰し、『後には、いづれの本寺の和尚にか{*7}座り給ふべし。』と言はれける。夕の窓の下に心魂を書{*8}に移して、繰り返す夜はほのぼのと、明かり窓に貼りし{*9}反故を見れば、かすかに仮名文の外れ。その水茎の流れに消ゆる思ひ。命取る程に書き綴りたるは、馴れし中々の契り。誓ひして変はらじと見えしは、禰宜町に隠れなき玉川の何がしと、その末は消えながら、これに心浮かれ初め、何とやら面白きそのゆかりの慕はれ、仮初に通ひ馴れ、度重なるに、色には染み易く、花紫の一本に、学問、心に乗らず。資縁の{*10}少しなるに、書物買はず。これに打ち入れ、隣の僧の{*11}七條借りて、再び{*12}返さず。代なして首尾を調へ、『生まれ付き如才なくて、大筈者。』と言はれ、法中に嘲られ、学寮にたたずみならず。終に{*13}帷子一巻に吹き上げての上、悪名ばつと立ち、追放せられ、ここへも寄せられず、かしこも塞がり、漸く法券の僧の寺持てるを幸ひに尋ね行き、無理ににじり込み、祠堂銀を外して夜抜けして、次第に功積もり、今は、かくの如く成り下がりぬ。」
 又一人は、「伊賀の国久村の右衛門太郎とて、田畠五町、作徳大分なりしも、皆済時には横に寝て、幾度か水牢に打ち込まれ、未進、首丈にも驚かず。この誑惑、天に通じけん、一とせの洪水に、栄えの秋を{*14}頼みし五月の末に、ありたけの早苗田を一つも残らず流され、その荒れ田、買ひ手さへ無く、雑穀、少し山畠に作り置きたるも又、日照りに青葉、冬枯れの如くにしなされけるにも、人夫雇ふべき力も無く、他所には水を取つて、耕作、忽ち生き返りぬる羨ましく、この時、分別の仕始めに、我が物要らずに只取る事を思ひ付き、隣の田{*15}に水一杯湛へしを、夜の内に畷を切り落とし、己と崩れしやうに拵へ置けば、人のは干潟と成しぬ。これより、『良き工夫、出来たり。』と、この類の事、幾つか積もれば、人皆気をつけて、所を追ひ払はれて、この体なり。」と。
 今一人は、「飛騨の国草鹿大明神の神主。八卦は一つも{*16}知らねど、一生、人の身の上の善悪、良い加減に嘘をつき、相神主の与五太夫が目をくらまして、賽銭を皆こちへして遣り、昔より二軒の社家なりしを、難なく一軒を潰して我一人に司りし心より、横道、数積もれば、庄屋が利発に理を責められ、丸裸にて所を追ひ出されたる成れの果て。今、烏帽子といふ名字は、この因縁なり。」
 「我は又、大坂の大湊に隠れなき木屋小八兵衛。問屋の第一なりしに、掛け木の千斤の重りをなめし革{*17}に取り替へ、この重みの違ひ、数、大分の事なれば、利徳、存じの外に取り込み、俄長者と成りしも{*18}、一旦の依怙は、終に天道の罰を蒙り、二年の内に人知れずめためたと成りて、塵も残らず手をうち払ひ、家屋敷、鼻紙袋まで遣りて、まだ不足銀一貫三百九十七匁五分二厘。扱ひにしても聞かず、命ばかり我が物にして、その夜に近江の従弟{*19}を頼みに行けば、早、死にし後なるを、ねだりかかつて、わづか二、三十目ねぢ取り、これよりこの道思ひ付いて、これ程に修行したり。」と言へば。
 「某は、京三條通の西、白銀屋彦九郎とて、上手の名を得たりしに、烏丸大隅屋道閑老、その身は隠居しながら、自然の時の金子百両{*20}、枕箱に仕込み、その外、家督も孫の太郎吉取らるる筈なる時、この太郎吉、仮初にひよつと島原へ通ひ、若気、後先知らず使ひ出し、かの枕箱を狙はれしかども、錠を開くる事叶はざるを、我に談合ありしによつて、心元なかりしより生受けせしに、即座に{*21}一歩十を『手付け。』とて給はる。『これ、我に任せ給へ。』と、『その寸法、大方合点仕りたり。』と、七つ八つ、鍵を打ちて遣れば、その内に丁度合ひたるがありて、その後は、『相鍵打ち屋』と看板を出しけるに、あらゆる夜盗ども、忍び忍びに頼みに来るに、値段聞く{*22}までも無く、一歩づつに極め、程なく金子溜まりて、『家をも買ふべき。』と思ひし時、捕まへられし盗賊ありて、相鍵の打ち手穿鑿に指され、雑色ども付け届けする内に、裏の路次より抜けて、迷ひ始めて、これ。」と大笑ひに成りて。
 「この物語も、亭主の心にほだされて、心安く仕る。これは、御御灯し。」と銀包みて差し出せば、吐雲、腹立して、「盗人の物、仏は受け給はず。」と突き返せば、猶殊勝がりて、巾着の底払ひて、皆、銭箱に無理に押し込みて帰りぬ。
 今も、かかる無欲の道心者あるものか。誠に、心は善悪二つの入れ物ぞかし。

前頁  目次  次頁

校訂者註
 1:底本は、「越後(ゑちご)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「隣国(りんごく)暴(あ)れし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「是(これ)聞(き)きて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「自(みづから)こと仕(つかまつ)りたり、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「仰付(おほせつ)けらるゝと、』と」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「忘(わす)れられず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「和尚(をしやう)に座(すわ)り」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「昼(ひる)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「走(はし)りし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「資縁(しえん)少(すこし)なるに、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「隣(となり)の七條(でう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「二度(ど)」。
 13:底本は、「終(つひ)」。
 14:底本は、「秋(とき)の頼(たの)みし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 15:底本は、「畠(はた)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 16:底本は、「一つと」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 17:底本は、「千斤(ちぎ)のおとりを試し、菫(すみれ)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び語釈、訳に従い改めた。
 18:底本は、「なりしこと、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 19:底本は、「徒弟(いとこ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 20:底本は、「金子(きんす)一両(りやう)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 21:底本は、「即座(そくざ)壱歩(ぶ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 22:底本は、「来(きた)るまでもなく」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。