二 憂き目を見する竹の世の中 頼母子掛けて戸の鍵開くる事
浮世の月{*1}を見果てぬる、石見の国、人丸塚のほとりに近き在所に、左近兵衛と言へる男の、軒は蔦葛の茂みにまばらの恥を隠し、朝餉の煙絶え絶えなるにも、割れ鍋に{*2}綴じ蓋、似合はしき女房を求めけるに、一人の老母に不孝に当たるとて離別し、みづから昼夜、孝を尽くしぬ。天よりこれを憐れみ給ふにや、七、八年の内に七、八十両の分限、その所には珍らし。
頃は五月の{*3}半ば、枕蚊帳、渋団扇、手細工など拵へ、八、九里かたへの村里に売りに行き、留守の内をば、隣なる律義男を頼み、「今宵は帰るまじ。」と言ひて出、その明けの日になりても、「この扉、開かざる不思議。」と訪れて、「老母、老母。」と呼べども返事なく、「さても、よく寝入り給ふ。」とその儘置けば、早、七つ下がりになる。「これは、心得ぬ事。」と、戸押し開けて見れば、老母、朱に成つて、その辺りは血流れて、息も早絶えたり。「南無三宝。」と言ふところへ左近の帰りて、この有様に肝{*4}潰して、「思案に落ちざる事。誰か意趣を含みて殺すべきともおぼえず。」
左近兵衛、きつと推量するに、「金あるといふ事、この隣の者知る故、母を殺して取るべき分別。」と思ひ定め、「この事、外よりすべきにあらず。親の敵は、その方。」と何の苦もなく打ち殺し、この段々、名主に{*5}断り、代官詮議して、検視来りて改むる時、「血はおびただしく流れて、疵、確かならず。」と改むれば、その後ろに大薮ありしが、折からの根ざし、寝間の下より生へ貫きたる精にて、老母の胸元刺し通したるにてぞありける。「さては、かの男を故なく打ち{*6}殺しぬる科、遁れず。」と、それより左近兵衛を成敗して相済みけり{*7}。
これを思ふに、見届けざる事は、言ふまじきなり。世に不思議なる事は、この類に限るべからず。されど、見慣れぬ物には必ず驚く習ひ、鳥の空を飛び、蛇は足無くてよく行き、一つの玉より水火の出るも、今まで人の見ざる事ならば、幾程か疑ふべし。筍、人の命を取るといふ事、もはや珍らしからず。
校訂者註
1:底本は、「日(ひ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「破鍋(やれなべ)綴蓋(とぢぶた)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
3:底本は、「五月(ぐわつ)半(なかば)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「肝(きも)を潰(つぶ)して、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「名主(なぬし)断(ことわ)り、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「通(とほ)したるにぞありける、扨(さて)は彼(か)の男(をとこ)を故(ゆゑ)なく殺(ころ)しぬる」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
7:底本は、「相済(あひす)みける、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
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