三 文字据はる松江の鱸 結ぶの神も儘ならぬ事
神無月の朔日の日、出雲の国八重垣の宮居に詣でけるに、海辺浪高く、松に嵐響きて、殊更に神さび、社僧、神主の外、民家の門を閉ぢて、昔よりの教へを守り、よろづの鳴りを鎮めける。誠に、「日本の諸神、この大社に集まり給ひて、男女の縁を結び給ふ。」と言へり。
その二柱を立ち出、かたへなる杉叢{*1}の茂きひと里に入りしに、東屋造りの藁葺の庵に八十余歳の法師、真言律を行ひ澄まし、いと殊勝に住みなされけるに、おのづからの{*2}生垣を破り、或いは片板戸押し倒して、南面の縁側、西の州浜、人皆立ちこぞり、物見る気色。「いかなる事ならん。」と、我もその人並に立ち覗けば、いまだ脇塞ぎて間の無き女の、うば玉の黒髪をみづから鋏にして、散り行く柳の気疎く、あたら花の春を待たずや。「こは、いかなる事。」と尋ねしに、上髭りんと作りたる男の語りけるは。
「この里の傍らに抖抨老{*3}丸之介と言へる浪人ありしに、所作すべき業なく、貯へし物、皆になし、人知れぬ薬を売りしに、家中のはした女{*4}の、いたづらに妊めるを堕ろす名誉を得、元手わづかなるに、薬代に金銀多く取りて渡世とする内に、一人の娘を儲けぬ。成人するに従ひ、器量、人にすぐれ、十四歳の時、似合はしき所ありて、祝言、事済みける。その翌日、暇の状を持つて帰りぬ。又、その秋、幸ひの取り結びありて、『千秋楽』と謡ひ、『島台の松に千代かけて盃の浪は越すとも』と祝ひたるも、その夜の明くるを待ち兼ねて、里に送られけり。漸く四、五年の内に五所{*5}去られて帰るは、『まだ縁の来らざるもの。』と悔みし。
明けの春は疫病はやり、丸之介夫婦相果てしより、この娘は、叔母なる元に二とせ暮らす時、隣里に身代よろしき好色男に若右衛門と言へるが、一目見て美形に打ち込み、貰ひ掛けしに、『今の世は、偽りにては立たず。再々嫁入りし』事、有様に語るに、『たとひ千所へ行きたりとて、それには少しも構はず。』と執心深かりし{*6}上に、相性、八卦、残るところなく吟味して、『逢うたり、叶うたり。』と悦びて遣はし{*7}、祝言めでたく執り行ひ、相手は替はる新枕。その身には夢にも知らざるところに、いづくともなくこの女の前後より、胞衣かぶりたる赤子数百人、総身にひしと取りつき、水泳ぐ真似して立ち並びたるを見るより、身の毛よだち{*8}、中々傍に寄るまでもなく、日頃の恋、忽ちさめて、夢も結ばず。次の一間に夜もすがら所作繰りて、何心なく気縮まり、この男、これよりその所に隠れなき後生願ひになりぬ。今、思ひ当たれば、『度々去られしも、この有様を見られたるにぞありぬらん。』
さて、その明けの朝、叔母の方へ送らせける。『これは、いかなる因果。もはや、縁の道は思ひ絶えたり。』と悲しみ、自身に覚えなく、人の思はく、余りの{*9}心憂さに病と成り、物狂はしく、されど、この事を忘れず。大社御神前にて、『その所以を告げ知らしめ給へ。』と祈りけるに、夢の内に語らせ給ふは、『汝が親のなせる罪の報い来ての寝姿』の有様を詳しく教へ給ふに、有り難く、発心して、『跡弔ふべし。』と、帰るさの松江を通れば、『怪魚、上がりたり。』とて、人立ちあまたなるを見れば、鱸に文字据はりたり。丸の{*10}内に『抖抨老{*11}』と。『さては、親の霊に紛ひ無し。あさまし。』と、流れ灌頂を執り行ひ、いよいよ後生の営みして、『かれこれの菩提を祈らん。』と、この老僧に頼みて剃髪{*12}するにて侍る。」と語りけるを聞くに、哀れ増しぬ。
校訂者註
1:底本は、「杉原(すぎはら)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「自(みづか)ら生垣(いけがき)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
3・11:底本、ふり仮名は「とへいらう」。漢字は三字ともテキストになく、近い漢字で代用した。
4:底本は、「蓮葉(はすは)女(をんな)いたづらに」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「五ケ所(しよ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「服心(ふくしん)なかりし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
7:底本は、「遣(つかは)せし、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
8:底本は、「身(み)の毛(け)弥立(いよだ)ち、覚(さ)めて夢(ゆめ)も結(むす)ばず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
9:底本は、「余(あま)り心憂(こゝろう)さ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
10:底本は、「丸(まる)み内(うち)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
12:底本は、「刺髪(さしぐし)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
コメント