四 人真似は猿の行水 子故に俄発心の事
心猿飛んで五欲の枝に移り、風は無常を告ぐる鐘が崎、筑前の国の浦里を過ぎて、遥かなる山添ひの野を分けて行くに、煙は愁ひの種なる三昧{*1}を見しに、多くは少年の塚。その内に、新しき塔婆を削りなして、折節の花菊を手折り、前なる竹の筒に水を結び、子細ありげに竹垣の有様。これなん「猿塚」と記せり。「いかさま、様子あるべき事。」と、それなる一つ庵に立ち寄り尋ねけるに、隠坊、この事を語りけるに。
「当国太宰府の町に、白坂徳左衛門{*2}とて沙汰ある分限。殊更、息女お蘭、美形、又並びなく、今年十に六つ七つ余り、名は国に香ぐはしく、見ぬ恋に沈みぬ。ここに、隣町葉森{*3}次郎右衛門とて色好みなる男、深くこれになづみ、いつぞの頃より人知れぬ契り。人目の関も、通ひ慣れては咎めぬ方もあるぞかし。されども互の親たる者は、思ひ掛けなく、『もはや、年の盛り。縁付け遅き事』を気の毒がる折節。出入りの男を頼みて、『とこしなへの祝言を結ぶべし。』と肝煎らせける。『殊にこなたは酒屋、かなたは質屋。幸ひの事、願うても又無し。』と仲人口を以て手に取るやうに勧めたるに、徳左衛門、合点しながら、宗旨を問へば、次郎右衛門、法華宗にあらず。『それなれば、いか程金銀ありても。男振りにも構はず。ならぬ。』と言ひ切るこそ笑止なれ。
「この由、次郎右衛門に語れば、世の中とは裏腹に、『俺が宗旨を替ふるばかり。』と俄に妙法寺を頼みて、総の長き珠数に持ち替へて、これを又、徳左衛門が方へ、かの男遣はして、『次郎右衛門殿、今朝御経頂かれ、改宗なされた。』と言へば、徳左衛門、『いやいや、根抜きの法華でなければ信心薄し。早、こなたに心当たりありて、約束して置いたり。』と手短く言ひたるを、次郎右衛門に伝へけるに、肝を潰し、『さては、我が思ひは空しうなりけるよ。この事、お蘭に知らせての相談か。』と、文細々と書き口説き、遣れば、『つゆも知らず。いかなる所へか遣られて、憂き思ひをすべし。中々君ならではと誓ひし妹背を、親の合点なければとて、なるまじきものに{*4}あらず。もし脇へ参る事、確かに定まりなば、こなたより左右致し申さん。』と返事したる。
「明けの日、徳左衛門、前に呼びて、『本町紙屋彦作方へ縁辺極めし。』と言ひ付けられしに、胸迫りけれども、さすが、色には出さず。何となく受けて、急ぎ部屋に立ち入り、『内々の首尾、俄に調ひ申す由。しからば今宵の内、いづ方へも忍び出たき』思ひの数々書きて、ひそかに送りければ、次郎右衛門、この支度して、裏門に待ち合はせて、夜半に連れ立ち出、夜の内に七里歩み、明け{*5}の八つ時分に、この里にゆかり薄きを頼み、才覚の路銀にて小さき庵を結び、辛き憂き住まひの内は、古里忍び出し時、この娘、日頃可愛がりし猿ありけるが、夜の事なりしに、後より慕ひ来るを、道一里余り過ぎて見付け、『さても畜生ながらこの心入れ、不憫』さに伴ひ来り。
「ありしに変はる賤の手業は、恋より起こりて、この日蔭に身を縮め、様をやつし、次郎右衛門は煙草を刻めば、お蘭は木綿の桛{*6}といふ物を繰りて渡世とするも、二人、『かく、わりなき語らひ。』と思へばこそ一日も暮らさるれ、あさましき有様。この猿も、過ぎし時寵愛せられしも忘れ{*7}、気の毒なる顔して、それぞれに辺り近き山に行きて、薪など、柏の枯れ枝、松の落葉掻き集めて来り、茶の下を燃やし、二人に給仕する体。可笑しき中にもしをらしく、夜は疳癖所をうちひねりさすり、朝夕の貧しき体、この女やつれし姿をつくづく眺めて涙流し、さながら昔を偲ぶ思ひ入れ、目に見え{*8}、物こそ言はね、人に同じく気を兼ねたるぞ優しく、せめてこれを折々の慰みに、憂きを忘れて経し。年も暮れて、明けの秋、一人の男子を儲け、名を菊之助と呼びて、『秘蔵、これに代ふるものなし。』と寵愛するにつけても、昔の暮らしの程思ひ比べ、果報なき子の行く末まで哀れに、不憫深く育てぬ。
「或る時、この子を寝させ置きて、鄙びたる所の習ひに、朝暗き内より茶沸かしたるに呼ばれて、四方山の物語の内、いつもの事を思ひ出けん、この猿、留守の内に湯を沸かし、湯玉の立つを見て、盥に丁度一杯取り、何の加減見るまでも無く、この子を丸裸に成し、内儀の{*9}取りさばき、よく見覚えし通りに湯の中へ入るると、『わつ。』と言ふ声ばかりに息絶えぬ。
「これに驚き、夫婦走り戻り、取り上げて見れば、早、茹で海老の如く、皮も続かず。二目とも見ず、『さても、しなしたり。我が身に代はらば、今一度面影を{*10}まみえたし。』と声を上げて嘆くも理。次郎右衛門も呆れ果て、『いかに畜生なればとて、余りなる事ども。よしよし、因果の生まれ合はせ。』と諦めながら、涙は止まらず。
「内儀、猿を捕らへ、『とかく汝は我が子の敵。今、打ち殺す。』と木刀振り上げしを、次郎右衛門止めて、『尤もとは言ひながら、もはや帰らぬ事に殺生するも、かへつて菊之助が菩提の為、悪し。奉公と思ひてしたるべけれども、さすが、智恵無きは詮方なし。』と言へば、猿、涙流して手を合はせけるも又、つらくおぼえて、まづは野辺の煙と成しぬ。
「その後、この猿、七日七日に墓所へ参り、折々の草花、山に入りて樒手折りてここに挿し、一日に三度づつ詣でて涙を流し、百日に当たる朝、水、心静かに手向け、竹の鉾にてみづから咽笛突き通して果てぬ。これを見て夫婦、子に離れし後には、せめてこの者、慰みぬるに、それさへこの有様。『さぞ迷惑に思ひ込みし心根』を感じ、右の墓の隣に猿塚築き並べ、二人も発心を遂げ、かの庵に絶えず題目唱へて、法華読誦の声やまず、跡弔ひし。」と語りぬ。
校訂者註
1:底本は、「三味(しやみ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「徳右衛門(とくゑもん)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。以下同様。
3:底本は、「桑盛(くはもり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「ものには非(あら)ず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「明(あす)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「枷(かせ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
7:底本は、「寵愛(ちようあい)せられしこと忘(わす)れず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
8:底本は、「目見(めみ)え」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
9:底本は、「内義(ないぎ)取捌(とりさばき)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
10:底本は、「扨(さて)も死(し)なしたり、我(わ)が身(み)に代(かは)らば今(いま)一度(ど)俤(おもかげ)に見(まみ)えたしと、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
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