二 開けて悔しき養子が銀箱  思はぬ身代はり{*1}の事

 世に無き物は、郷{*2}の刀と化け物と、人の内証に金銀ぞかし。
 いづくはあれど、江州の大津は、山市の晴嵐、渡海の帰帆。この津の繁昌、馬借暇無く、逢坂の車、旅人、袖を連ね、これやこの関戸鎖さぬ御代のためしなり。ここに篠原屋の勘吉とて、北国の商ひをして、一度は家栄えけるが、いつとなく身代薄くなりて、世間向きは昔に変はらず、随分気がさに取り廻しけれども、おのづから不自由さ顕はれかかれば、日頃の律義に変はり、人は必ず貧より無分別を巧みぬ。
 勘告一人の娘、十六になりて、形も大方に生まれつきぬ。母親は、過ぎにし春の末、世を早うして、その後は、やもめ育ちに、よろづの賤しげに、又はいたづらにも成りぬべき事を嘆く内に、方々より言ひ入れけれど、かつてその談合に乗らず。我がうちへ似合ひの養子を願ひぬ。見え渡りたる所は、棟高うして庭広く住みなせしが、世上思ひの外、銀が一文無き世とは成りぬ。入婿の敷銀にてこの家を継がすべき事を巧み、十貫目入り十箱、中にはわけも無き物を仕込み、この宝、瓦石に劣れり。「いかなる婿にてもあれ、銀百貫目娘に相添へ、家屋敷譲りて、この身はその日より発心の望み。」と言へば、皆欲の世の中、この家の養子を望む事、数を知らず。
 その中に、志賀の浦里に{*3}隠れ無く、松崎九助とて、その一村の主筋目なる家として、内証寂しく、表向きの空大名。なまなか、「旦那様。」と言はるる恨めしく、いまだ極まる妻女{*4}もなく、「渡世、何を営むべし。」と思案半ばに暮らしぬ。これを、肝煎りを身過ぎにする古手六次といふ男、勘告が事を聞きて、「よき勝負。」と心にかけしに、思ふ儘ならざる方も無く駈け廻る時、九助と前方より近付きなれば、幸ひに思ひて、この段々語り、「今、三十貫目さへ持つて入れば、家屋敷と当銀百貫目と、美目形すぐれたる娘とをその儘渡し、殊に、婿入りの夜より勘吉は発心の望みなれば、当分の見せ銀さへ三十貫目調へ給へば、この跡式は丸取り。かやうなる結構な事は、又日本に二つと無き事。殊に、こなたの年頃と良き夫婦。それは、打つて付けた事。」と仲人口に嘘をつき混ぜて勧むるに、九助も聞くと早、心ときめき。
 「これは成程、相談致すべし。」と、伯父に長浜屋とて、彦根の家中手広くする商人、その日に志賀を出舟を借りて急ぎ、六次が話せし通りを一々語れば、「それは、頼もしき身代。相違あるか無きを聞き合はせ、しかと治定したる上ならば、当分の見せ銀は、いつなりとも貸し出して{*5}遣はすべし。」と請け合ひたるを悦び、志賀に帰り、六次を呼びに遣りて、「見せ銀は、いか程にても貸すべきとの事。」と言へば、「さては、めでたし。こちらに少しも偽りの無き事は、私の受け合ひます。急ぎ銀を取り寄せ給へ。一日も早いが良し。」と揉み立て、程なく日限定め、婿入りに極まり、かの三十貫目を持たせ運ばせ、首尾残るところなく、千秋楽謡ひて祝言は相済み、勘吉はその夜より、「只今、財宝渡す。」と蔵を開かせ、有り銀百貫目を確かに見せて、いづくへか行きぬ。「かねてよりこの覚悟。定めて諸国の霊仏を拝み巡る修行。良き仕舞ひ。」と羨む人多し。
 さて、九助は商ひに取りつくに、諸方の問屋ども聞きつけて、「何をかけても気遣ひ無し。まづ有り銀が百三十貫目は、目に見えた身代。」と、方々より米、薪、柴、何なりとも好み次第に、頼まねども、人が肝煎り。千貫目が商ひも成るやう仕掛けたるに、九助、思ひの外の仕合せ。「まづ見せ銀は{*6}済ますべし。」と、右の三十貫目をば、箱の封も違はず、伯父が方へひそかに済まし、いまだ譲りの百貫目には手もつけず、外より来る商ひ物にて利徳大分上がり、この頃まで思ふやうに使はぬ銀を、沢山に遊女、博奕にもがらがらと遣り捨て、五貫目三貫目の当座借銀の分は、人も気遣ひ{*7}せず。みづからも水の泡とも思はず。次第に悪所にはまり、よからぬはづみの募り出し上に、仰山商ひ物かさみ、舟九艘に積ませ北国へ廻しけるに、例の比叡の山颪に打ち覆し、以上三十二人の水主、一人も助からず。漸く船頭、片息になつて竹生島に打ち寄せられぬ。
 この時、諸方の売り物受け込み、よろづ損銀四十八貫三百九十匁。俄にこれを立てねばならず、重ねての為なれば、「成程、きつと払ひて見せん。」と蔵を開き、かの百貫目の箱を五箱取り出させ、封を切つて見るに、「これは、いかな事。」銀にはあらず、石瓦なり。九助、工夫に落ちず、一箱一箱{*8}開けさせけるに、四番目の箱の内に一通の文あり。「我、初めは身代、人に負けず、譲り銀三百貫目ありしを、仕覚{*9}悪しく、次第に減りて、只屋敷一つ残れり。内証、人に知られんも口惜しく、幸ひ、一人の娘にこの銀を偽りて婿を望みぬ。夫婦は二世の契りなれば、只不憫と思はれ、この事、人に知らせず、持参の敷銀にて跡を立て給へ。近頃恥づかしけれども、世は張り物。返す返す頼む。」と書きとめたり。
 九助、つくづく思ひ返せば、無念やら理やら定め兼ねて、女房にこの事を語れば、「私は少も知らざる事。」と言ふに、「恨みて詮なき事ながら、この百貫目を当てにこそ、よろづ大掛かりに仕散らし、今更、人が許すべきにあらず。」と案じ煩ふに、早、大節季の程近く、損銀をせがみ、掛けを乞ひ、人の知りたる百貫目を差し置いて、人に借るべき手立て無く、安否、ここに極まりて、師走二十八日、不埒なるに人も不審を立て、とてもたたずみならず。折角婿に入り{*10}、一年経たぬに、引き負ひ合はせ七十貫目。
 今は、「昔の在所は{*11}懐かしながら、この面では帰られず。」と分別締めて宿を出、高観音の山下蔭に行けば、一人の非人ありしに言葉を掛け、「さても、そなたは何としてそのなりになられたぞ。故郷にて朝夕噂にて、『行方、覚束なし。』と言ひ暮らすに、ここにて逢ふは、観音様の御利生。この寒き{*12}に、痛はしや。これ、着給へ。」と羽織を脱いで着せ、酒を振舞ひての馳走に、この乞食、自分に{*13}覚えは無けれども、「これは、過分。」と良い加減に挨拶したるに、たわいなき程に酔はせ、着る物、帯、脇差、頭巾まで遣りての上に、咽笛突き通して、自身は{*14}北国に立ち退きぬ。後にてこれを見付け、「やれ、九助こそ自害したれ。」と沙汰ありて、そのなりけりに済みぬ。
 その後、木芽峠の茶屋して、又この{*15}女房を呼びしとなり。

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校訂者註
 1:底本は、「身代(しんだい)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「公卿(くげ)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「知(し)らじ、其(そ)の中(なか)に志賀(しが)の浦里(うらざと)匿(かく)れ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「妻子(つまこ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「借出(かりだ)して」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 6:底本は、「見世銀(みせがね)に済(すま)す」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「気(き)をせず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「一箱々々(ひとはこ(二字以上の繰り返し記号))と明(あ)け」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「修学(しゆうがく)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 10:底本は、「婿(むこ)に入(い)れ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び訳に従い改めた。
 11:底本は、「在所(ざいしよ)懐(なつか)しながら、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「此(こ)の寒(さむ)さに」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 13:底本は、「自分(じぶん)には覚(おぼえ)は」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 14:底本は、「自身(じしん)に北国(ほくこく)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 15:底本は、「又(また)女房(にうばう)を」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。