三 居合も騙すに手無し  室の色町喧嘩の事

 浪の音響きの灘を{*1}過ぎ、播磨潟室津に舟を寄せて、ここに一夜の磯枕。旅のくたびれを助くる橘風呂と言へるに行きて入り初むるより、いづくも同じだみ声。諸人の付き合ひ、或いは浄瑠璃、鼻歌、芝居の狂言話。心々の内に、「この程の事。」とて、この所の喧嘩のあらまし語る人ありて、聞くに。
 いかなる律義者も、色町にては、おのづから浮気になつて、鞘咎め、言葉争ひ、人の山を成す思ひの海。ここの傾城町の事とよ。毎夜、騒ぎ仲間の男伊達。革枕夢蔵、高砂の久八、釣鐘数右衛門、閻魔の八左衛門、かれこれ四人、遊興は外に成し、人を打擲して、これを慰みと成して、所の迷惑度々なれど、人皆怖れて楯突く者無く、日を追つてこの組下八十四人、悪には傾き易き世なり。
 或る時、備前より忍びて色遊びに通へる男四、五人、かの騒ぎ仲間に出合ひ、少しの事を言ひ分に取り結び、互にここは止め方無く、抜き合はせて打ち合ひけるに、備前の者ども、一命を惜しまず片端より踏み倒し、或いは手負ひ、又は叩かれて息絶ゆる難儀のところへ、尾上八九郎と言へる浪人駈け合はせ、まづは所贔屓。真中に立ち入り扱ひけるに、死人は無くて、各々左右へ別れ、備前の人は、これを仕合せ。騒ぎ仲間は危ふき命を逃れ、皆々、宿へは帰らず。ひそかなる野寺に行きて、顔の疵、痛み所を養生しけるこそ{*2}、身より出せし咎めなれ。
 漸く健やかになりて、かの浪人八九郎に一礼も申すべき事を、かへつて悪を巧み、「年来、我々が男伊達、この度のひけ取る事の{*3}口惜し。八九郎、この儘置かば、世間へ沙汰して、生きたる甲斐は無かりき。何とぞ手立てを廻し、討つて捨てん。」と言ひ出すより、各々同心して内談極めけるに、中々たやすく討たるる者にあらず。勇力、人にすぐれ、兵法調練して、朝暮、その身に油断せざりき。「いつぞの時節。」と見合はす内に、山は紅躑躅の盛り、夕日殊更の折節、八九郎、人をも連れず、麓辿り行くを、釣鐘の数右衛門つけ出し、俄に竹葉の一滴を調へ、後より{*4}山深く分け入りて、八九郎を是非に招き、面白可笑しく酒に成して、挨拶入り代はり立ち替はり、前後忘るるばかりに盛り流し、我知らず草枕のところを、各々鉾先揃へて刺し殺し、面の皮をめくりて、遥かなる谷蔭に捨て、帰りける。その後、柴人の見出し、この沙汰つのりて、諸人、見に罷れども、面損じて見知り難し。
 ここに、八九郎が妹お七と言へる女、まだ十六なりけるが、兄八九郎{*5}、宿に帰らぬ事を不思議に、かの山に入りて死人の面影を見しに、奥島の綿入に繻子の袖裏、我が手にかけて仕立て着せましたに疑ひなく、心は空になりて、死骸に取り付かんとせしが、外より見るを忍び、暫く涙を押さへ、何となく我が宅へ帰り、母の嘆きを思ひ、この事を語らず。その明けの日早く、身に菰を掛け、破れし笠に顔を隠し、袖乞の如く成りて、八九郎死骸より遠き松蔭にうち臥して、見物の有様を見咎めけるに、皆々、「哀れ。」とばかり言ひ捨て、暫くは見る人もなかりしに、血気盛りの若者、一日に三度まで見に罷りて、これを嘆かず笑はず。人立ちの所を離れて、「とかく、神ならぬ身なれば、人間は騙すに手無し。」とつぶやきて帰るを、きつと{*6}聞き届けて、後よりその宿に付け込み、それより我が宅に帰り、母にこの事を語りて、人知れず訴状を認め、所の奉行職に言上申して嘆き奉れば、かの者どもを俄に捕らへて穿鑿に及びけるに、証拠正しからねば、ここを争ひぬ。
 されども、傾城町の喧嘩、世上に隠れなく、八九郎、その時出合ひ、扱ひし事より吟味仕出して、一人一人尋ね給ふに、その度々、言葉相違して顕はれかかり、様々の詮議に落ちて、人を殺せしその科を逃れず。この仲間、残らず世の掟とは成りぬ。かの娘が事、「さすがは武士の家に生まれ、女ながら、智あり、勇あり。」とて、歴々の郷侍、これを貰ひて、一子にめ合はせ、母も一所に引き取り、孝を尽くし侍る。
 哀れや、人の身の果て。八九郎、生国は肥前佐賀{*7}の者なりしが、今、播州の実相室津の土とは成りて、塚のみ残れり。

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校訂者註
 1:底本は、「涙(なみだ)の音(おと)響(ひゞき)の灘(なだ)と過(す)ぎ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「養生(やうじやう)しける、こは身(み)より」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「事(こと)口惜(くちを)し、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「調(とゝの)へ、山(やま)深(ふか)く」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「八九郎(はちくらう)が宿(やど)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「囁(つぶや)きて帰るを、厚(きつ)と」。
 7:底本は、「生国(しやうこく)肥前(ひぜん)嵯峨(さが)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。