巻之一

一 津の国の隠れ里

 神武この方、世の人、艶女に戯れ、無明の眠りの中にその家の乱るる事、数を知らず。近年、町人、身代畳み、分散にあへるは、好色、買ひ置き、この二つなり。損銀、あだ銀、年々相積もりて、才覚の花も散り、紅葉の錦、紙子と成り、四季転変の乞食に筋無し。これを思ふに、それぞれの家業に油断する事なかれ。
 ここに、津の国伊丹、諸白を作り始めて家久しく、毎年の勘定、銀五貫目。延びも縮みもせず、「生まれつきたる小男の仕合せ。」と月日を送る内に、子ども、成人をして、しかも総領、よろづに賢く、親の古風とは替はり、当世仕出しの衣服に身を飾り、これより女郎狂ひに染まり、我が里より忍び駕籠を急がせ、都の島原通ひつのれば、少しの元手、残り少なく成りて、身上危なく、二親歎きて異見するに、とまらず。
 或る時、約束して、丸屋の七左衛門方に太夫の吉野を揚げ置き、常より険しく六枚肩にて上りけるに、丹波口にて夜半の鐘。とかうする間に八つ。門開きて、宵より夢見し客、「名残惜しさは、朱雀の細道」、歌ひ連れて帰る。我は、今来て、太夫が待ちかね顔見るも、恋に深き所の籠れり。「まづ御行水よ、白粥よ。柚味噌、酒麩の後から牡蠣の御吸物出して。鴨の板焼は、火鉢をすぐに御座敷へ出すぞ。」と。勝手は煙立ち続き、亭主は置炬燵を仕掛け、女房は濃い茶立て、「御気晴らしに。」と上げける。引舟女郎に髪撫で付けさせ、禿に足の裏をさすらせ、吉野に手の指を一つ一つ引かせ、よその投げ節をこちの肴にして飲みかけ、「この栄花、大名も成らぬ事。願はくは、我が声聞くと{*1}、京中八十二人の末社、出口十七軒の茶屋までも、霜夜に裸で起きて、『旦那の御上京なされた。』と嬉しがる程、物取らせたし。とかく欲しきは金銀ぞかし。算用無しに遣ひ捨てば、この遊興の面白さ、限りあらじ。目前の極楽とは、ここの事。寝た間は仏。」と、三つ重ねの布団の上に楽枕して、吉野と一つ二つ、物言ふ内に。
 門の戸険しく開けて、「御宿より御状が参りました。」と隣の床の客へ届けるに、「何事か。」と言ふ声して、「これは、めでたや。金銀掴み取りの内証、江戸の手代より申し越した。関東筋、大風吹きて、米、俄上がりなれば、これより大坂に下りて、西国米、大分買ひ込み、上がり請けたらば、太夫を根引きにして、我等が奥様にする事ぞ。」と。「この度の仕合せを祈れ。夜が明け次第に、ここを立つぞ。」と今少しの別れ惜しみ、床を離れかねける。
 時に伊丹の人、この事を聞き耳立てて、いまだ帯も解かぬに起き別れ、面白き最中を思ひ捨て、「我が里に失念したる事あり。」とて、首尾構はず立ち帰り、早駕籠急がせ、伏見より飛脚船借りて、その日の四つ前に大坂の北浜へ着きて、問屋をひそかに語らひ、米大分買ひ込みけるに、早、昼より上がりて、只一時の内に三十八貫目、丁銀にて儲け込み、この思ひ入れに油買ひ込み、又四十四貫目上がりを請けて、機嫌良く伊丹に帰り、親仁に小判の山を見すれば、世間に金の珍しき時分なれば、これ、長者の心なり。
 さる程に、たまたま逢ひに上りし女郎を捨てて、身過ぎ大事にして利を得たる所、分限に成るべき始めなり。その後は、江戸酒、貸し銀。田畠を求め、棟高う作りて住みなし、心よき春を重ね、「元日の嘉例。」とて、父親は胸前垂して蓬莱を丸盆に組み付け、橙、伊勢海老無しに祝ひける。母親は、芋、大根ばかり雑煮を盛り並べ、「餅の入るのを忘れたる年より仕合せ良し。」とて、今に、その通りなり。
 さて、親仁の書き初めに、毎年定まつて遺言状を認め、箱入にして封印付け、持仏堂の下へ納め置かれしが、そもそもは有り銀五百七十目なり。年毎に書き増して、四十二の春より八十三歳にて相果てられしに、五十日に一門集まり、書き置き状を開き見るに、財宝の外に四千七百十九貫目、内蔵三所に入れ置かれ。
 「この銀子の大分になる事、一とせ、総領が、米、油の買ひ入れよりの分限なれば、残らず兄に渡して、弟ども、これ次第に身代を任すべし。殊に末子は、町人の家業なる天秤の駆け引き、帳面見る者にはあらず。その子細は、一生美食を好まず、世にはやり歌を歌はず、鬢付も髪結次第に構はず、夜歩きをする事も{*2}なく、人の無常を観じ、『長うもない世界に、善心なくては、人間と甲斐は無し。』と常住の身の取り置き。うつけ者のやうに見えて、又、賢き所あれば、よき娘ありて、旦那の多き御一家の御堂を聞き立て、銀三百貫目付けて養子に遣るべし。
 「又、中息子が儀、親の目にも見届けぬ者なり。さし当たり利発。万事を人の後に付く事にあらず。総じて、音曲、鳴り物、四座の直伝を習ひ請け、連歌は新在家へ立ち入り、俳諧は難波の梅翁を里に迎へ、立花は池の坊に相生まで習ひ、鞠は紫腰を許され、茶の湯は金森の一伝。物読みは宇津宮に道を聞き、碁所に二つまで打ちなし、楊弓は一中がかりに大金書の看板。十炷香は山口円休にきき覚え、有職の道者にしたひ、この外、琵琶、琴は葉山、小歌は岩井、嘉太夫節。弥七が文作、鸚鵡が物真似、可笑し仲間のする事までも、口拍子に任せ、『かかる器用人の有る事、この所の外聞。』と皆人、もて囃せば、その身、渡世の事を、かつて知らず。
 「殊に肝、大気に生まれつき、当座に思案なく、金銀手に持たせ置かば、恐ろしき虎落どもに騙られ、新田、金山、芝居の銀元、博奕の胴に懸かり、何程あつても手を払ふ者なり。既に七歳の春の頃、初めて小判一両盗みて、いかのぼりの糸を買ひ、早、九歳の時、小さき前巾着の中に一歩二十三入れて提げける。子どもの時より、銀も白銀も盗み、大胆者なれば、とかく商売さす事、無用なり。住み所、京、大坂の内に物好きに座敷を作り、手かけ女一人、小姓一人、男女共に召し使ひ七人、我共に八人。一生あてがひ世帯にして、毎月六百目づつ、晦日に相渡し、この上に奢りは一銭にても構ふまじ。
 「我、相果て、命日なればとて、精進にても、する者にあらず。この度、病中にも、世間の思はくばかりに、後や枕に夢程の間もあくびして、次の間にて浮世話。『も又、親仁も良い年なれば、尊い所へ参られたがましでござる。長生きに一つも徳のない事。目がかすめば花が咲くやら、耳が遠ければ郭公も聞かず。歯が抜けたれば肴に味無く、足が弱れば座敷に杖突き、嫁御に飽かるる身と成り、一日も娑婆塞ぎ。薬代の費えぬ内に、この世の埒が明けがな。』と四、五度言ふ事、聞きける。これ、悪人に極まれども、親の因果は、これさへ不憫に、身の行く末の事どもを書き置きに載せける。」と。さりとは、跡恥づかしき親の心入れ。これ、人間と形を見える甲斐無し。
 されば世上に、かかる心ざしの倅、多し。天命尽きずしてあるべきや。親、分限なれば、不孝者も隠れて知れず。親、貧なれば、少しの悪も包み難し。貧福の親の違ひ、損徳の二つなり。富貴の家に生まれ出るは、前生の種なり。とかく、人は善根をして、家業大事に懸くべし。
 池田、伊丹の売り酒、水より改め、米の吟味。麹を惜しまず、障りある女は蔵に入れず、男も替へ草履はきて出し入れすれば、軒を並べて今の繁昌。升屋、丸屋、油屋、山本屋、酢屋、大部屋、大和屋、満願寺屋、賀茂屋、清水屋。この外、次第に栄えて、上々吉諸白。松尾大明神の守り給へば、千本の杉葉、枝を鳴らさぬ時、津の国の隠れ里、隠れ無し。

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校訂者註
 1:底本は、「聞(き)け。』と、」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)
に従い改めた。
 2:底本は、「することなく、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。