二 品玉とる種の松茸
神国の日月、誠を照らし給へば、世に万人の心、すぐなる道に入りて、正直の頭を下げ、恐るる人には礼儀を正し、従ふ者には憐れみを掛け、「我が物喰へば竈将軍。」と言へど、京も田舎も住みなせる町人、その所々の作法、一つも漏るる事なかれ。
昔の人間は、賢き人はすぐれ、又、愚かなるは顕はれて、鈍智の二つ、格別の相違ありしに、今時の人は、相応の智徳を以て生まれ、習はずしてその道々を知れる顔つき。見た所のうときは一人もなかりき。この時における売僧、騙り陰陽師の類、大方の文作り事にては、合点せぬ時世に成りぬ。只、白化けに、放下師までも、品玉とる種の行き所を先へ見せ、辻談義も、仏の真似の口を開き、「つまる所は、喰はねばひだるい、ひだるい。」と言ふにぞ、「ありの儘なる法師。」とて、人皆、勧進を取らせける。
万事に偽りなき御代の掟を守りけるためしには、よろづの売り掛け、或いは当座借りの金銀、手形無しの事なれば、「借り請けぬ。」と言ふとても、難しき出入りなるに、心覚えの帳面ばかりにて請け払ひを済ましぬ。
この以前、舟着きの問屋に、世間並にすぐれて銀払ひの悪しき人あり。大節季の夜に、人、さも忙しき中にて、人の手代に銀八百目渡しけるに、請け取り帳に名判を記し、その銀子を袋に入れずに帰る。後にて亭主、取り隠し、後日の沙汰にも、「いよいよ渡した。」と言ひ切れば、この手代、身の切なさの余りに、湯玉の如くなる涙をこぼし、諸仏諸神を誓文に入れ、不念を詫び言すれど、中々聞き入れざれば、手代、是非なく、頼みし浄土寺に参り、親方への言ひ訳に、銀故の自害。「さては、取らぬ」に極めて、世上より言ひ立て、次第に商売薄く成り、内儀、幾人か平産せしに、手のなき形を顕はし{*1}、一とせ、道頓堀にて見せ物にせし徳利子の万太郎は、その人の子にて、世に恥をさらし、終にはこの家、目前に絶えたり。無理なる欲は、必ずせまじき事ぞかし。
成らねば成るやうに、世渡りは様々あり。されども、元手持たぬ商人は、随分才覚に取り廻しても、利銀にかき上げ、皆、人奉公になりぬ。よき銀親のある人は、おのづから自由にして、何時にても見立ての買ひ置き、利得る事多し。「唐黍の根の、南の方へ高う生へ現るる年は、二百十日の風、石臼をも吹き散らす。」と東方朔が伝書にも見合はせ、「今年は俵物買ひ年。」思ひ入れはありながら、ない物は銀にて、さる程に、せはしの世や。
節季節季は、六十日の経つ事、夢の如し。正月の掛け鯛の山草、少し枯るると思へば、早、蓬売る声。軒の花菖蒲、今も所々に見えながら、灯籠出す暮に胸も踊りて、蓮の葉の飯、温もりも冷めぬに又、菊の酒屋の書き出し見れば、思ひも寄らぬ酔ひの出るも可笑し。世に住む付け届けとて、塗台にするめ一連、又は干かます二十据ゑて取り遣りするは、今年は栗が高いと見えて、算用づくの人心、さもし。九月を過ぎて大暮までは、百日に余れば、少しここにて息をすると思へば、常の物前と違うて、大分の払ひ方。心当て程、商ひしてから、足らぬ所見えて、日頃、言葉で目を掛けらるる門徒寺の手前良しに、「この行く先の師走には、銀子五百目御貸し給はれ。」と機嫌の良き時、女房どもに言ひ出させければ、「何と、三百目にては仕舞はれぬか。その内、分別して、御取り越しの寄り銀次第。御用に立つ事も。」と杯持ちながら、飲みも切らず噛みも切らぬ返事を、無理に、「旦那の御蔭。」と言ひ掛け、それより毎日の軽薄。
茶の、たばこのと馳走して、五日に一度づつ、軽い遣ひ物して這ひつくばひ、初松茸、一斤四匁五分する時、調へて、「嵯峨の親類どもより参りたる」由。霜前に土くれ鳩を、わざと苞にして、「山家からくれました。」と申し遣はし、孫子の亥の子を祝ひ、御袋様の御法体に丸頭巾を進上申し、自身番の夜半替はりを勤め、棚から落ちて猫怪我したまでに駈け付け、餅搗きにも夫婦参りて、かかは大釜の下を焚けば、男は水風呂に水を汲み込み、一代にした事ない骨を折り、師走二十日頃より御無心申し掛けし銀子の事を頼み奉り、やうやう大晦日の夜、四つの鐘の鳴る時、利息は一分半の手形を極め、「何時なりとも御用の時分、済まし兼ね候はば、一人ある娘を遊女町へ売つて相済まし申すべし。」との約束。人が聞かねばこそ、無念ながら、「この度の御恩、忘れ難し。」と、内の者どもにまで礼を申し、そこそこに年をとりて、明くる春の四日に棚おろしの勘定をして見しに、わづか五百目の銀子借らうとて、目に見えぬ費えは除けて置きて、八十四匁六分五厘が物を使ひける。誠に、貧者の手づまる事、かかる物入りのありける故ぞかし。
その年より、夫婦内談して、「とかく、銀が銀を儲くる世なれば、折角稼ぎて、皆、人の為ぞかし。外聞を捨てて、身の楽しみこそ老い先の頼みなれ。」と、奈良草履屋を二足三文に仕舞ひて、大坂を離れ、女房の在所、住吉の南、遠里小野に身を隠し、夕暮よりは油を売り、少し手を書くを種として、所の手習ひ子ども預かり、我が儘育ちの草を刈り、野飼の牛の角文字より教へけるに、謡知らねば迷惑して、日毎に大坂へ通ひ、昔の友に習ひて、又、里の子に教へけるに、やうやう「兼平」一番覚えしに、「小原御幸」の「源太夫」のと、外百番を好めば、師匠の、「知らぬ。」とは言ひ難く、これさへ一日延ばしに、「何なりとも望み次第に謡うて聞かせう。」と言ふ内に、「節用集」に見え渡らぬ難字を、庄屋殿より度々尋ね給ふに、一度にても埒を明けねば、何とやら首尾悪しく、初めは麦秋、綿時、新米の初穂とてくれければ、「商ひしたより、ましなり。」と思ひしに、一人一人寺を上ぐれば、又悲しく成りて、明け暮れ渡世を分別するに、銭三十づつ儲くる事の、何にても無かりし。
或る時、宵に焚きたる鍋の下に、その朝まで火の残りし事、「これは不思議。」と焚き草に気を付けて見しに、茄子の木、犬蓼の灰故に火の消えぬ{*2}事を試して、「これは、人の知らぬ重宝。」と思ひ付き、手振りで江戸へ下り、銅細工する人を語らひ、初めて懐炉といふ物を仕出し、雪月頃より売りける程に、これは老人、楽人の養生、夜詰めの侍衆の為と成り、次第次第{*3}はやれば、後には、「御火鉢、御火入れの長持灰」とて看板出し、大分売りて、程なく分限に成り、通り町に両替店{*4}出して、何万両とも蔵入れの奥を知れる人なく、林勘兵衛といふ名は、ひそかにしての楽し屋なり。
昔より言ひ伝へし駿河町の三谷を始め、その外の両替ども、黄金の山を見せるに、中々、相も劣らず。諸大名の御用、何程にても事を欠かず。家栄えて今、妻子は下々の見る事もなく、上野の花見乗り物、隅田川の船遊び。柳桜をこき混ぜて、都の心になりて、一生の安楽する事も、憂き世帯の時、男によく仕へて堪忍をせし身の上、天、これを憐れみ給ふなり。天下の御恵み、猶有り難し。
わづかの灰より分限になりて、富士の煙の絶ゆる時なく確かなる福人なり。
校訂者註
1:底本は、「あらはせ、」。
2:底本は、「消(き)えんこと」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
3:底本は、「次第々々(しだい(二字以上の繰り返し記号))にはやれば、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「両替店(りやうがへだな)を出(だ)して、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
コメント