狂言「腹立てず」は、仏堂の堂守を探す村人が、引き受けた旅の出家を試そうと、わざと腹を立てさせ、出家が我慢しきれず、最後に腹を立ててしまうという筋です。その中で村人は、堂守の外に、子どもに字を教えてくれるように頼みます。このやりとりは、寺子屋の原初の形を思わせます。
『西鶴織留』1-2「品玉とる種の松茸」には、摂津国遠里小野(大阪市住吉区)の寺子屋が描かれています。同書は1694 (元禄7) 年刊で、だいたい17世紀中頃、江戸時代初期の寺子屋の一例と考えられます。大阪での商売がうまくいかずに、店を畳んで妻の在所遠里小野へ引っ込んだ勘兵衛は、字が上手なのを生かして、そこの子ども達に字を教えます。最初は土地の者が良くしてくれて、うまく行きますが、知らない謡を教えてくれという要望に手を焼き、難しい字を読んでくれという庄屋の依頼に困るなど、徐々にうまく行かなくなり、教え子も減って、生活が苦しくなっていきます。そうした中、ふとある事に気づいた勘兵衛は、それから商売上の工夫を発明し、江戸へ下り、成功し、分限者になります。
勘兵衛が開いた寺子屋は、彼の状況により、はかなく消滅したようです。周辺の子に字を教え、その親から謝礼を受け取り、土地の人からは難しい字を教える知識人的な役割を期待される。これが、17世紀当時の寺子屋の一例であったようです。そういった寺子屋が、生まれては消えていったものの、そうした需要はその頃にはおそらく日本中にあったものでしょう。
本文「謡知らねば迷惑して」の語釈「寺子屋で謡を教えることがあった。三田村鳶魚氏『西鶴織留輪講』参照。」とあります(『西鶴織留 決定版 対訳西鶴全集5』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993))。寺子屋の師匠に謡を教えてくれとせがんだのは、おそらくは子供ではなく大人ではなかったかと思います。謡とその教授については、修天爵書堂を調べる中では、全く出てきませんでした。三田村鳶魚氏の著作には、寺子屋に関する記述もあるかと思います。これはまた後日の調査と致します。
勘兵衛が開いた寺子屋は、彼の状況により、はかなく消滅したようです。周辺の子に字を教え、その親から謝礼を受け取り、土地の人からは難しい字を教える知識人的な役割を期待される。これが、17世紀当時の寺子屋の一例であったようです。そういった寺子屋が、生まれては消えていったものの、そうした需要はその頃にはおそらく日本中にあったものでしょう。
本文「謡知らねば迷惑して」の語釈「寺子屋で謡を教えることがあった。三田村鳶魚氏『西鶴織留輪講』参照。」とあります(『西鶴織留 決定版 対訳西鶴全集5』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993))。寺子屋の師匠に謡を教えてくれとせがんだのは、おそらくは子供ではなく大人ではなかったかと思います。謡とその教授については、修天爵書堂を調べる中では、全く出てきませんでした。三田村鳶魚氏の著作には、寺子屋に関する記述もあるかと思います。これはまた後日の調査と致します。
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