四 所は近江蚊帳女才覚
嫁入道具の品々、世間にすぐれて念を入れければ、限りもなく難しう、国土の費えに成る事多し。
上京中長者町の仕立物屋の弟子、手間取り、針筋を揃へて薄絹の蚊帳を縫ひけるに、都は目広き所ながら、立ち止まりてこれを見る人、次第に押しも分けられず。黒木売り来る女の難儀、ここ通り兼ぬるのみならず{*1}、痴れたる姿を笑はれける。木綿の二布、糊こはごはとして、やうやう我が身を隠すもあるに、この蚊帳を見れば、四角に赤地の唐織を菊の花形に切り合はせ、紅の大房に匂ひ玉を結び下げ、瑠璃、珊瑚珠の飾り、銀の鍵、金の輪。小縁ひと間ひと間に鈴の音成し、乳毎に五色の房を付け、裾に鴛鴦の戯れを様々に縫はせ、岸の柳に雪を持たせ、冬川の景色。見てさへ涼しきに、「あの中に寝ば、夏を忘るべし。」と羨ましく、「ここは内裏近くなれば、いかなる高家の御物好き。皆人、極楽と聞き及びし仏様の寝所も、何としてこんな事あるべし。さてもこれは。」と驚きける。
時に亭主、この中へ入り、手枕して、「許し給へ。暫し仮寝の夢。これに浮世茣蓙、長枕。婿に成る人の果報は、前の世に良き種蒔きて、今、生へ出る恋草の初め。町人にも、かかる嫁入蚊帳。公家も大名も、大方{*2}の衆は成るまじ。この一吊りに二貫六百目要りける。いかに分限なればとて、これは奢りの沙汰。」と言へり。「面々の身凌ぐ為なれば、近江布の蚊帳に赤根染の乳、縁付けしを吊りても、無理に蚊が這入りもせず。」と、小さい気から言へば、一畳吊り程に成りて、身の置き所無し。
そもそも近江蚊帳の出所は、八幡の町より仕出して、これ、諸国に広まれり。中にも扇屋といふ人、昔は少しの酒、片店に米商売しけるが、内儀、才覚にて、手づから弦掛け枡{*3}を持つて、米酒に限らず、わづか一升買ひする程の貧者には、利徳構はず量り良くして、手広う見せける。程なく一国に良き事言ひ触らして、在々所々、山家の末までも、この町の市に立つ人、帰さに、この家の両口より群衆して、よろづを調へて帰れば、一日に銭の山、白銀の洞も出来分限。後には、大方の咳気には、薬の代はりにここの諸白にて治しぬ。その家、富貴に成る時は、諸事吹き付けるやうに心涼しく、扇に家の風ぞかし。その後は、江州の布、高宮に{*4}買ひ取りて、国々に出店。殊更、京都四條東の洞院の店には、毎年、縞布ばかり千駄づつ売り払ひける。畳の表は大坂に店出し、次第に大商人と成りぬ。これより年々仕出しの蚊帳、何程といふ積もり無きに、世界の広き事、思ひ遣られける。
毎日、蚊帳縫ひ女八十人余、乳、縁付くる{*5}女五十人、大広敷に並びたるは、さながらこれ、女護の島の如し。されどもこれ程の中に、都めきたる娘は一人も無かりき。玉に疵、杉に出尻、竹が口の広さ。朝夕の飯車とて、飯櫃に車仕掛けて、六尺三人引いて廻り、手盛の杓子、百足の足の如し。鞍馬毘沙門も、かかる台所を守り給ふべし。年中の事なるに、それぞれの人使ふ智恵も、あるものかな、二度の仕着せも一人一人の願ひ、染色、紋所まで付けて取らせける。この外、手代あまたなれば、早、八月より正月物を拵へし。万事は手廻し次第なり。
これとても、やうやう旦那と言はれて、親子四、五人の口を過ぐる外なし。如かじ、一人の働きにして数百人を育む事、大方ならぬ慈悲ぞかし。この心の徳故、下々も草木も靡きて、昔より住み馴れたる庭に、枝、もの古りたる松あり。北野の千貫松、淡路の万貫松にも劣らず、これ、千歳の眺め。
されば、人の渡世程、様々なるものは無し。片田舎にさへ、かかる人もありけるに、万屋甚平とて、出生、京の寺町通三條にて育ちければ、腹の内より都の水を飲み、諸人の賢き事を聞き馴れ、身過ぎは何にしても、五人、三人は世を渡るべき事なるに、やうやう夫婦の口を過ぎかねしは、口惜しき事ぞかし。しかもこの男、手は、帳の上書きする程なり。算用は、難しき割り物も埒を明け、銀は、両替より折節は見せに来る事あり。何にても一分別させて、事の済まぬといふ事なし。長口上鮮やかに、少し料理も心掛け、謡も人の後にはつかず。碁、将棋も人の相手に成りかねず。我が一分の外、人の役にも立ちける。
されども勝手悪しく、所にて商売成り難く、春は慰み本、夏は扇、秋は踊り道具、冬は紙子、その時その時の物を仕込み、この二十年ばかりも江州に通ひ商ひ。宿には一とせを二十日ばかりも、女房どもの顔を見る事ぞかし。京にはやる話、小唄{*6}を習ひ覚え、商ひする御機嫌取りに、夜昼、遊び物に成つて、つまる所は、夫婦の口を食ひて通る分なり。
幾年か、二百目の元手、延びも縮みもせず年を越えけるに、千本通に母方の叔母、一人過ごして暮らされしが、愛しや、頓死致されしに、我ならで跡弔ふ者も{*7}なければ、この時の物入に銀三十目余り遣ひしが、随分始末しても、四、五年、この銀儲けかねて、何とぞ昔の二百目に成る事を願ひしに、旅宿の亭主に頼まれ、在所へ養子を肝煎りて、思ひの外なる銀六十目、礼を取りて、「一代の仕合せ、この度。」と喜び、極月二十五日に江州八幡を立つて、京都に幸ひの{*8}道連れ、ここの問屋より払ひ銀持ちて上る人、これ程、確かなる事無し。
道中急ぎけるに、草津の宿の矢倉といふ所は、姥が餅の名物、勢田、矢橋の追分なり。近付きの茶屋に暫し休みて景色を見るに、鏡山の曇り晴れて、松に風絶え、海に浪の音無く、「今日こそ渡し船の乗り日和。」と言へば、甚平、中々合点せず。「各々は御勝手次第。我等はかち路へ廻り行く。その子細は、人の命に替へ無し。殊に、金銀の荷物を定めなき船に積む事無し。とかく、大事の身なれば、渡しは嫌」に極めける。問屋、若い者、腹立して、「遥々道連れ、ここまで参りて、この日和に何の気遣ひかあるべし。我等は小判千三百両持ちて、この渡しに乗りける。この身、そなたの身とて、何程の変はりあるべし。大分の銀持ち、身を大事にかけ給へ。」と言ひ捨て、矢橋の方へ行きける。
茶屋、甚平に申せしは、「いつも船に乗る人が、何とてこの天気に用心し給ふ。」と言へば、「この度は仕合せ良く、五、六十目も銀子延ばしければ、身が大事に思はれて、いかにしても船に乗れぬ。」と胸落ち着けて、勢田に廻る。大津の戻り馬はあれど、これにも乗らず行く程に、石山の入相聞く頃、粟津野を行くに、松原より浪人らしき男二人出て、「近頃無心ながら、今時分の事なれば、よくよく差し詰まりたる事と思し召せ。年取る物を申し請くる{*9}。」と荷物に手を掛けしに、色々詫びても聞き入れねば、是非なく肌に付けたる銀取り出し、二人に八十目ばかり取られて、さても物憂き一人旅、身の程恨むより外は無し。
「我一生、何程稼ぎても、銀三百目より内の身代に極まる」所を覚悟して、世を渡りぬ。
校訂者註
1:底本は、「のみ、」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
2:底本は、「久(ひさ)かた」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「釣(つ)りかけ枡(ます)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「高宮(たかみや)買(か)ひとりて」。『西鶴織留』(1993)訳に従い改めた。
5:底本は、「八十余(よ)、乳(ち)縁(べり)付(つ)ける」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
6:底本は、「話(はなし)に唄(うた)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
7:底本は、「跡(あと)弔(と)ふものなければ、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
8:底本は、「幸(さいは)ひ道(みち)づれ、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
9:底本は、「申(まう)し請(う)ける。」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
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