巻之二

一 保津川の流れ山崎の長者

 本朝は、天照大神元年より、今、元禄二年の初春まで、二百三十三万六千二百八十三年。この国、豊かに続きて、猶、君が代の松は久しきためし。富士を常住の蓬莱山、不老門の東に武蔵野の満月、外天の光に同じからず。御紅葉山の梢、千秋の色を増し、万歳の海亀、さざ浪静かに棲める。江戸は天下の町人、北村、奈良屋、樽屋を始め、諸国の総年寄、金座、銀座、朱座。この外、過書の舟持ち、世上に名を触れて、これ皆、「町人の中の町人鑑。」と言へり。
 時に、都の嵯峨の角倉は、その家栄えて長者の如し。しかも二十余人の子宝。いは井の水の高瀬川に、すぐなる道橋の渡り初めして、この流れに一棚舟を通はせ、俵物、薪を上し、洛中の助けと成り、竈の煙賑はへり。又、保津川の流れは、丹波の亀山に続きて、嵯峨まで二里余りの所、近代切り貫きの早川。これを自然と乗り覚えて、船頭、力も入れずして、岩角よけて滝を落とし、左は愛宕、右は老いの坂。この山間の眺め、松島を近うして見るぞかし。
 或る時、山崎宝寺のほとりに、油の請け売りして山家通ひの商人、この舟に来て下りしに、猿飛といふ険しき所を、群猿、数限りもなく渡りしに、二匹連れたるこけ猿が、栗の梢を伝ひ、この川を渡りかねたる風情見えしに、折節、狩人の廻り来て、鉄砲に狙ひ寄れば、先に立ちたる猿の、身を悶へて鳴き叫び、後なる猿に指をさして教へければ、狩人笑つて、「いかにおのれが身を助けむや。」と火蓋を切れば、哀れや、二匹共に落ちけるを、立ち寄りて見しに、一匹は弾に当たり、又一匹は身に子細なくて、手に一尺余りの木の切れを持ちける。これを、「不思議。」と見るに、不憫や、目くら猿なるが、涙をこぼし、殺されし猿の事を歎く有様。これがためには子猿と見えける。「親に心を尽くし、年久しく育みける。」と思はれ、早船をさし止め、各々これを悲しみしに、狩人は、かの目くら猿も即座に叩き殺すを、山崎の商人、銭二百文に買ひ取り、我が里に連れ帰りて、二とせ余りも飼ひ置き、随分いたはりける。
 その年の暮に成りて、この油売り、わづかの事に仕舞ひかねて、借銭の方へ有る物を渡して、身代畳む談合を夫婦ひそかに極めて、朝は所を立ち退く十二月二十七日の夜更けて、猿にも人間に言ふ如く、「浮世とて、我、かく成り行けば、一人ある子をさへ棄つる時節なれば、汝は、この家に残し置く。自らを恨む事なかれ。」と、せめて春までの喰ひ物、あるに任せて、節分の煎り大豆の余りに、黒米少し手元に置いて、夜の中にここを出て行く用意して、炬燵の上げに子を入れ、片荷に小鍋一つ、継ぎ継ぎの袋に粉麦、小豆など取り混ぜ、女は持仏堂を開けて数珠取り出して手に掛け、辻の抜けたる葛笠をかづき、「住み馴れたる我が宿の名残。誰かはここに世帯せん。思へば惜しき香の物桶。かくなるべきは知らず、この夏の瓜、茄子、塩の辛い物を食ふとて、無用の水の飲み置き。とかくに欲過ぎたる事はせまじきもの。」と、置かぬ棚までまぶりて、歯黒壺をうちこぼし、「見る程、よろづ、心に懸かれば、少しも早く家を出給へ。」と泣き出せば、男も涙ぐみ。
 「さりとは無念なる世間や。聞けば、この程も京には町人分として、一万八千貫目の借り銀、十年切りの年賦にして、利無しに済ますもあり。この家の年中の豆腐の通ひに、〆八百三十丁、この代、七貫七百六十二文の払ひ。家に応じて諸事の物入り、大分なり。我等は、この豆腐の銭を持てば、ゆるりと年を取りけるに。さても、是非なき仕合せ。」と、ひそかに立ち出るを、最前の目くら猿、女房の裾にすがりて歎く風情。人に別るる心地に顔を見返れば、この猿、口の内より虎の片し目貫を取り出し、内儀に手渡し致しぬ。
 男、これを見れば、金目三匁余りの昔目貫なり。「これは、優しき心ざしの嬉しや。昔日、舞太夫の幸若、越前より都に上る時、山中にて群猿舞を望みて後、太刀を一振、褒美に出しける。これ、猿太刀とて、幸若の家に伝へり。今又、これを我に与へしは、天の道に叶へり。これにて節季の仕舞ひは成る事ぞ。」と又、分別変はりて、夜抜けの事は沙汰無しにして、かの目貫を両替して、買ひ掛かりの方へ少しづつ渡して、世を飾り、松も歪みなりに年を越えて、明けの年は商売に油断なく、それより次第に家栄えて、後には手前にて締めさせけるに、おのづから正直の頭に付くる{*1}髪の油も良く、関の明神へ灯明上ぐれば、和光の影清く、十四、五年の内に山崎の長者と成り、内蔵にはよろづの宝寺。「打ち出の小槌は、目前の油槌。」と心得て、楠の木分限といふものに、ちくちく延びて朽つる事なく、一人の倅も十六に成りぬ。
 渡世の智恵付けに、年玉の扇箱を載せたる片木{*2}一枚に、銭二文添へてこれを渡し、「汝が工夫にて、商ひの元手にせよ。」と言ひ聞かせける。一子、暫く思案して、一銭にて紙調へ、一銭にて糊を買ひ、くだんの片木を張り立て、黒星を書き付けて、鉄砲的の角に仕立て、見せけるに、親仁、中々同心せず。「思ひ付きは良き細工なれども、これは、売れの遠き物なり。これを二つに割りて、袴の腰板二枚にせよ。」との教へに任せ、京の羽織屋の店に頼り、初めて銭六文に売りて帰り、それより我と才覚して、富貴になりぬ。
 親の譲りの金銀にて身を過ぎけるは、武士の位牌知行取つて暮らすに同じ。されば、人、出生してより毎日、銭一文づつ溜めて、百より一割の利を掛けて、六十歳の時は、六十貫目になりぬ。これを思へば、万事に始末をすべし。「銀子を貸して、利銀の重なるを思へば、これより良き事は無し。」と思案して、銀一貫目有る時、山崎の親の跡を捨て置き、京に上り、大名貸しの銀親へ頼みて、これを預け置きしに、元一貫目の銀を一分の利にして、三十年その儘に貸し置きけるに、元利合はせて二十九貫九百五十九匁八分四厘一毛になりぬ。この丁銀、箱入りにして請け取り、これより次第に貸し掛けて、程なく千貫目持ちと成り、それより一代の内に七千貫目確かに有り銀、広き都に三十六人の歌仙分限の内に入りぬ。
 そもそも親の手前より片木一枚、銭二文貰ひしを、かく長者になる事、町人の鑑なり。洛陽分限袖鑑の{*3}第二十八番目に山崎屋と見えしは、この人の事なり。子孫続きて棟を並べ、門の松を飾り、めでたき春をぞ重ねける。

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校訂者註
 1:底本は、「付(つ)ける」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
 2:底本は、「片(へぎ)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。以下同様。
 3:底本は、「袖鑑(そでかゞみ)第(だい)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。