三 今が世の楠の木分限
                                    
 吉田の兼好が東隣に、同じ北面の侍、榎木原信道と言へる人、屋形並べて住みける。いかに禁裏の役人なればとて、五十余歳まで銭に文字ある裏表をも見知らず。されば、短尺の上下をもおぼえず。公家にも俗にもならず男、明暮、碁に打ち入りて、三百六十日の経つ事を忘れ、大年の晦日には借銭に乞ひたてられ、その時代も覚悟悪き人の迷惑、今の世に変はる事なし。留守使うて戸を叩かれたる有様、松など灯し連れて、夜の明くるまで、「酒屋でござる。」といふ声。せはしき人の心を書き残せり。
 又、武蔵坊弁慶が馬大豆八斗の借状、尼崎に有り。伊勢三郎義盛が嵯峨の百姓に五百貫の借り手形も有り。これらは義経に仕へて、しかも弁慶は、禄重けれども、無用の七つ道具を拵へて、身代ならず。義盛は始末して、手前のよろしきと言へり。
 世に貧福の二つは是非なし。昔日、京に吉文字屋といふ家久しき手代二人、数年、親方の為に私無く、内外共に勤めければ、主人に備はる仕合せとは言ひながら、この二人が働き故、有り銀一万貫目と総勘定を仕立て、正月、初帳に写し、見せける。親方も、「かねての願ひ、一万貫目に叶へば、この上に望み無し。」と身の喜びをなして、今日より諸事を次の手代に渡させ、まづ両人は別家を持たせ、一日替はりに出入り奉公と定め、良き所、家屋敷普請までして、銀二百貫目づつとらせ、両方共に両替店を出しける。元より道を知りたる事なれば、貸し入れの取り廻し、小判の買ひ込み、銭の売り置き、一厘も損ずるといふ事なく、年々分限になる事、その身才覚{*1}ばかりにあらず。これ皆、且那より元手貰ひし故なり。
 一人はいまだ十箇年の経たぬ内に、早、五百貫の身代になりぬ。又一人は、親方に渡されし二百貫目、今に延びず。やうやう渡世をして暮らしぬ。この両人の内証を聞き合はせ、「同じ銀子を請け取りても、手廻しによつて、あの如く成るものぞ。」と指ざしせぬばかり、手代仲間にて沙汰しける。親方、この事を聞き付けて、「何か、愚痴のおのれら、身過ぎに賢き者の事を評判致しけるぞ。あれなればこそ、今に元銀減らさず世を渡りぬ。その子細は、我が世になつてこの方、仕合せ続きて、一つも障る事なし。又、一人は、世帯持ちて、その年より人の気づかぬ物入り相続き、迷惑しける。何の考へもなく人の身上を沙汰致す事、おのれらが料簡の及ぶ所にあらず。
 「この者、女房の頼みをやりける宵より、『あら、気の毒や。最早、いか程稼ぎたりとも、銀も延ぶまじ。』と高ぐくりに思ひしなり。汝等も知る如く、舅は、『八百貫目。』と世間に指したる分限者なり。娘は年若く、しかも町でも沙汰する程の器量良し。『我知らずの物入り有り。』とは、頭から知れたり。舅は、年中一分の利合にしても、八十貫目の男なり。婿は漸う二十貫目。たとへば、大勢の敵を小勢にて防ぐに、勝利を得る事は無し。終には追ひ倒さるべき事なれど、楠にも劣るまじき商ひの軍法者なればこそ、いまだ元銀にて城郭を堅めけるは、良き大将ならずや。」と言はれけり。
 手代ども、聞いて、「まことに、一生に一万貫目の身代となられける、あつぱれ良き大将。智有り、仁有り、勇有り。」と皆々頼もしく奉公を勤めける。

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校訂者註
 1:底本は、「その才覚(さいかく)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。