四 何にても智恵の振り売り
大海の底に尾閭といふ穴あり。諸川の水、日々夜々{*1}に入れども、かの穴の内にて失するが故に、増す事、更に無し。人間に一つの口あり。この尾閭の如し。一生の内、朝夕、食物限りも無し。
身過ぎは八百八品、それぞれに備はりし家職に油断する事なかれ。今時は、正直を以てその身の骨を砕けば、天理に叶ひ、それぞれの渡世致さぬといふ事なし。総じて、諸国の城下、又は入り船の湊などは、人の足手影にて、様々過ぎはひの種もあるぞかし。
されば、山城の伏見の里は、七、八十年も見及びしに、通り筋の脇々は、昔繁昌の時の町並残りて、次第次第に物の寂しくなりて、何商売するとも知れず年月を送る者、その数知れず。これを思ふに、千軒あれば友過ぎぞかし。近年は、人の心賢しうなつて、大方の働きにては、中々身過ぎに成り難し。
過ぎし年の師走に、寵の上塗りをしに廻るを、「手廻しの良き事。」と思ひしに、又、今年の暮には、達者なる男が釜磨きに歩きける。大釜五文、その外は大小によらず二文づつなり。又、餅米洗ひ賃、一斗二文にて埒の明く事、手前に人を持たぬ者は勝手良し。又、表具屋の暇なる細工人と見えて、定規、竹べら、はけ、糊までを持ちて、御座敷の腰張、一間を一文、明かり障子一枚二文、何行灯にても一文にて、掃除まで致しける。年徳棚を買ひければ、吊り木、釘まで持ち来りて、恵方を改め、吊りて帰りぬ。何にても自由なる時世{*2}になりける。これ等は世帯の事にて、中より下の人の為にもなりぬ。
又、五十ばかりの男、風呂敷を肩に掛けて、「猫の蚤を取りましよ。」と声立てて廻りける。隠居方の、手白三毛を可愛がらるる人、「取れ。」とて頼まれけるに、一疋三文づつに極め、名誉に取りける。まづ、猫に湯をかけて洗ひ、濡れ身をその儘、狼の皮に包みて、暫し抱きける内に、蚤ども、濡れたる所をうたてがり、皆、狼の皮に移りけるを、大道へふるひ捨てける。これ程の事にも、そもそも何としてか分別仕出し、身過ぎの種とはなりぬ。
今程、諸人賢く、物言はずして合点する世の中に、年構へなる男、仔細らしく小脇差に大巾着提げて、皮裁着を着て、「何にはよらず、世間に合点の行かぬ事あらば、問うて見給へ。随分、人の身上に難しき事の談合相手に成るべし。」と口広く言ひ廻りぬ。心有る人は耳にも聞き入れず。大方の人は肝潰して、「いかなる虎落大明神の落とし子にてもあるらん。」と、つらつら顔を眺めける。
過ぎにし秋の頃、三軒屋川口ヘはぜ釣り舟に出し人、酒に乱れて後、釣りたるはぜを丸焼にして、数喰ふ事を手柄に、各々暴れける中にも、殊更一匹一口にせし人、俄に咽を苦しめける。「これは、いかに。」と見るに、このはぜの腹に二寸ばかりの糸付いて、釣針あるを咽に立て、様々しても抜ける事なく、この難儀、すべきやうなく、船中、鼓、三味線も鳴りをやめて、『つれづれ』に書き残せし法師の足鼎の如く迷惑して、命も危なく、宿に帰り、医師に見せてもはかどらず。とやかく内談する折節、かの工夫者の通りける程に、この事を語りければ、「これは、即座に抜く事ぞ。」と、細かなる珠数の玉を解きて、かの糸へ一つ一つ通しかけて、その後、糸を絞めて、静かにしやくりける程に、何の仔細もなく抜きける。いづれも、この才覚を感じける。
その座に物言ひ堪忍せぬ男の有りけるが、「我等も少し御無心あり。近年、商売左前にて、立ち所居所にて損銀重なり、この様子、大方世間にも見及び、聞き伝へて、万事売り掛けせねば、次第に手づまり、この行く先の節季、何と分別致しても、差し引き算用して、二十貫目余も足らぬに極まりける。ここの談合相手に頼みたき。」と言へば、「女房衆の親元分限か。又は、銀持の出家に弟はないか。」と言ふ。「それは、持ちませぬ。」と言へば、「この談合は、埒が明かぬ。」と申して帰りける。
校訂者註
1:底本は、「日々(ひゞ)に入(い)れども、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「世時(よとき)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
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