二 命に掛けの乞ひ所

 世間に「絵馬医者」と言ふ事、仔細を尋ねけるに、かち医者の、田舎より大坂住居を望み、少しの貯へして身代固めざる内は、妻をも持たず。借宅の軒に竹の菱垣結ひ廻して、名、苗字を筆太に張り札。柱に顕はし、「近所に急病あれかし。一手柄して見せん。」と明け暮れ時節待てども、呼びに来る人なければ、是非もなく、宿にばかりも居られずして、難波の寺社を廻りて日を暮らし。
 或る時、町内の自身番、夜話に呼ばれて、「今宵、けしからぬ風は、霜月朔日なれば、諸国の神帰りの荒れなるべし。空、恐ろしや。化け物の出さうなる黒雲。」と言ひけるついでに、「何と、天満天神に掛け奉りし大森彦七が絵馬、山本文右衛門が筆勢、大きに出来物。」と沙汰しければ、かの医者、渋面作りて、「いづれもは{*1}御気が付きますまい。あの彦七に一つの誤りあり。掛烏帽子の緒を書き落としたり。」と言ふ。
 皆々、手を打つて、「さりとは細かに見咎められし事ぞ。」とこの評判やむ事なく、その後、さる大医に尋ねしに、「画師も、物を知らねば、成らざる事かな。彦七が時代までは、髪にしのびの緒を付けて留めける。掛烏帽子に緒を付け始めしは、百年この方。」と物語致されしに、「これは、これは。」と各々、又手を打ちける。
 総じて、絵馬は万人の目にかかれば、仮初ながら大事の物なり。都の清水に、長谷川長蔵が筆にて、五郎、朝比奈が力比べを書きけり。この袴のまちのひだ折りたる上に、心もなく舞鶴の紋柄書いたる所、猪熊の染物屋の下女が見出して、洛中、これ沙汰になり、長蔵、一生これを煩ひけるとなり。又、祇園の社に火灯しの大男、雨の夜、麦藁の笠着て通ふを、「化け物。」と言ひ触らせしを、平忠盛、組み止め給ふ有様、別所権右衛門が書きける。「大男の手より取り落としたる土器の割れども取り集めたらば、四、五枚程もあるべし。これは誤り。」と稲荷の前なる土鈴の細工人が見出して、これも沙汰せし時、物に心得ある人の言へり。「紋鶴とは格別の詮議なり。その火灯しの男、土器五枚持ちたる事もあるべし。昔の事を今、その男に問はれもせず。」と大笑ひして果たしける。
 最前の医師も、病人を細かに見立つる{*2}事は成り難し。年中暇なる儘に、何の用にも立たざる事ども、「合法が辻の石の閻魔王の肩のすぼつた。」「新地の中の町に公家の弟らしき人を見立て置いた。」など、一つも役に立たぬ事ぞかし。この暇に、見当たらぬ医書を才覚して写し、本にする程の上根なくては、この道の出世は成り難し。
 医は聖人の真似ながら、今の世は、「自然の道理を以て、我が名を呼び来る時もあるべし。」とは廻り遠し。ここは方便なくては、万人思ひ付くべからず。昔、入れ残しの目薬屋の根元、わづかなる事なりしに、この人、才覚にて、夏蛤の一升を三文づつの時、毎日一斗買うて、近所へこれを遣はし、「身を煮て参りて、殻は、この方へ。」と言ひける程に、「さてもさても、この目薬、大分に売れける。」と所より言ひはやらかし、それ、世に広まり、分限に成りけるを見て、今、何軒か出来ける。
 又、或る医師は、年玉に埒の明かぬ練薬を拵へ、「金徳丹」と銘を打ち、「諸病に良し。」と書き散らし、十徳の借着して、正月二日の夜の内から、近付きの方は申すに及ばず、伏見の下り船で話したる人、或いは旦那寺で参り逢うたる人、又は舞の芝居で同じ筵に居たる人、風呂屋へ一つに入りたる人までも、所を尋ね置き、一目知る人残らず、年玉を「唐への投げ銀。」と思ひて、二、三年も勤めければ、この礼請けたる、気の毒に思ひながら、後には心にかかり、下人の風邪引き込む程の事には呼びに遣はし、いつとなくはやり出、花色縮緬の長羽織を、「武士の具足。」と思ひて拵へ、草履取の外に男を置いて、少し勿体を付くれば{*3}、人の思ひ入りもよろしく、その内に浪人の娘などの、仕付け所の無く、少し敷銀あるを呼び入れ、この勢ひに小さき乗り物拵へ、一人は手前の男、又一人は毎日八分づつの雇ひ六尺、肩も揃はず舁かれて、息杖は見苦しながら、まづ乗り出して駈け廻れば、世の人、乗り物の棒を呑みて、養生薬の一服二分、当てにせしも、早、五分づつの算用して御礼申しける。随分、「ここを大事。」と神農を祈るべし。
 又、昔の如くかちにて廻り、「乗り物では療治の手廻し悪しく、下りた。」とは言ひ分もむづかし。そもそも、乗り物に乗る時、一代の思案所なり。かちの時は、絵馬見ても日を暮らせしが、乗り物に乗り、出て行く所のないは、迷惑して、座敷楊弓の見物、又は治部少輔乱の長話。病人も無き所の茶を呑み荒らしぬ。しかれども、世間有様を見るに、四、五年目には必ず、はやり病ある事なり。この時、老医、上手の治しかけたる後を請け取り、心の外の仕合せ巡りて、これより名を上げ、三人廻しに乗り続くる事ぞかし。まことに医師のうたてき事は、今少しの所に退屈して、病人を取られける。又、取る事もあれば、互事と思ふべし。
 只、医者の気を凝らし、年を寄らする事は、宵に薬出し置き、朝脈に見舞へば、「昨日の御薬食べさせますと、腹にもやつきが出来まして、目まひ心に足が冷えまして、とかく物を申しませぬ。」と言ふ。又、そこへ見舞へば、「いよいよ下りも留まりませず、大熱がさしまして、『仏様の所へまま食ひに行かう、まま食ひに行かう。』とうは言を申しまして、夜の明けますを待ち兼ねました。」と母親、涙ぐみて語る。又、ここへ見舞へば、「胸が痛み出しまして、口中が腫れまして、もはや寝返る事も成りませず、これ程俄に弱りましよとは存じませなんだ。」と言ふ。これさへ気の毒なるに、勝手に親類集まりて、「今時は、薬が人を殺す。初めから『無用。』と言うたに。ぶらぶらと掛けて置いて。寺へ人を遣るばかり。」と言ふ声、骨身にこたへ、やうやうここを逃げ退き。
 「何の因果にこの身には成りけるぞ。渡世は八百八品と言ふに、医者は、その中の選り屑なるべし。殊更難しき病症あてがはれ、推量の療治をするも、心恐ろしき事なり。されば、大坂の広き事は、面妖{*4}の病人あまたあれども、いづれの手にかけても、治らぬは治らぬなり。中の島に、年十七に成る一人娘、生まれながらに白髪頭。形、美女にして、さりとては惜しし。又、玉造に十六に成る娘、四年この方、大便おりずして、食ひ物は常の如し。又、長堀に十九に成る娘あり。誕生日に取り立ち{*5}してのこの方、昼夜、横寝をしたる事なく、我が家を年中歩きてばかり暮らしぬ。唐土の書物には、かかる事もある事にや。この親皆、分限なれば、恥を隠して歎きぬ。この内、一人治せば、銀五百枚は取る事なれども、無念なり。あはれ、薬師の御夢想にて、この治る妙薬もがな。」と願ひぬ。
 薬代程、高下のある物は無し。八十服盛りて銀五匁取るに、三服にて銀五枚に樽肴を取る人もあり。「世の宝は、医者、智者、福者。」と言へり。中にも、医者の無き里には住む事なかれ。二つ無き命を頼む事ぞかし。一切の人間、無事堅固に無くて、世に住める甲斐は無し。常々、灸を絶やさず{*6}、鰒汁、大酒をやめて、身を働かし、気を慰め、養生は常の事なり。されば、「世の人の付き合ひ、日頃のよしみは病中の時知るる。」と言へり。かねては頼みに致し置いても、それぞれの家業の障りなれば、初めの程こそ日夜に行き、見舞もすれ、月を重ねての患ひになれば、いつとなく他人の顕はれける。
 身を分けたる親子の仲さへ、看病にあぐみて、互に愛想を尽かし、さもしき心の見え透きける。身を頼みたる男の病中、女程、大事にかくる者、外に無く、「自然の事あらば、死人と一所。」と思ひ込みしも、後には心ざし変はりて、「重ねて持つ男は、この人の如く、弱々としたるに倦んじ果てた。」といまだ息も引きとらぬ内から、後の事を分別して、我が手道具の外に、男の物までも取り集め、その後は、湯水もそこそこに取り扱ひ、埒の明くのを待ちける。男も又、女の長病にはあぐみて、一日も早く最期願ひける。死にざまに看病おろかに致さぬは、跡式の望み故なり。親でも子でも、欲に極まる世の中なれば、死に跡に金銀を残すべし。これを「死に光り。」と言ふ。
 死に別るる中にも、親より妻は悲しく、妻よりは又、子は格別に不憫の増すものなり。一子など殺せし時は、世に長らへては居られざる程に思ふものなりしが、二人も三人も死なせて後は、心、鬼の如く成りて、中々歎きも薄く、人の愁へも心にかからず、火宅の門を、「横に車。」と出にける。さる程に、子の患ふ程、世に物憂き事は無し。人々、持たねば知らぬなり。
 或る人、五十過ぎて、たまたま男子を儲けしに、しかも生まれつき百人にすぐれ、これを見る程の人、「かかる貧家にて育つる子にはあらず。」と言ふ。早、三歳にて、習はずして花鳥風月の大文字書けば、「大師の再び。」と、これをおろかにせざりしに、その春より虫を起こして、幾薬か与へけれども、更に甲斐なく、「今日を限り。」と目を見つめ、とやかく歎く所へ、年中買ひぬる、「この中の銀子を、今済まして下されい。」とせはしく使を立つる{*7}。亭主、腹立して、「この中へ、鈍な。」と言うて帰しける。この使、又来て、「そなたの子が死なば銀取るまいと、約束はせぬ。」と喚く内に、この子、落ち入りければ、皆々泣き出す内に、亭主はかの米屋を刺し殺して置き、我も果てける。

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校訂者註
 1:底本は、「いづれもお気(き)が」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「見立(みた)てる」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
 3:底本は、「付(つ)ければ、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「名誉(めいよ)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
 5:底本は、「取立(とりた)て」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
 6:底本は、「たえさず、」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
 7:底本は、「立(た)てる。」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。