三 諸国の人を見知るは伊勢
神風や伊勢の宮ほど有り難きは、又も無し。諸国より山海万里を越えて、貴賤男女、心ざし有る程の人、願ひの如く御参宮せぬといふ事なし。殊更、春は人の山なして、花を飾りし乗り掛け馬の引き続きて、在々所々の講参り。一村の同行も、二百、三百人の出立ち。同じ御師へ落ち着きける程に、東国、西国の十箇国も入り乱れて、道者の千五百、二千、三千、いづれの太夫殿にても、定まりのもてなし。勝手、いかなる才覚にて、この如く成りける事ぞ。本膳ばかりか、二の膳の品々、据ゑられける。
「台所に人の二百も働く者の無くては、二千、三千の賄ひ、成るまじき事{*1}。」と思へば、わづか二十人ばかりにての手廻しなり。まづ、椀、折敷に箸まで打つて、皿、小道具までを三人の請け取りにて出せば、飯は煮え湯に籠をしかけ、何の暇も要らぬ事。汁の魚をまな箸、まな板無しに、大鍋へすぐに切り込む。切り目、とかう言ふ事なし。中にも、膾{*2}はむづかしき物なるに、年の寄りたる男ども、袴を着て、手ごと薄刃一枚づつ布切れに包みて、膾の賃刻みに廻りけるが、一斗を二分づつに極めて、一人して一日に一石づつ刻みける。その見事さ、早さ。常の庖丁人十五人ばかりしても、これ程は出来まじ。さて、これをあへる事、大半切りに入れ、鍬にて、この手ばしこき{*3}事。見て居る内なり。
これらはかくなるべき事なりしが、肴は何によらず、二千人の焼き物。しかも焼き立てを出す事、余り不思議なり。「火鉢五十も有るか、又は、広庭に二十間も溝を掘りて焼く事か。」と思ひしに、これも三人して、鼻唄にて埒を明けける。壁塗るこてのやうなる物を十枚ばかり、火鉢にて焼き置き、さて大釜に湯をたたせ、四角なる籠に肴二十枚づつ入れて、ざつと茹で上げて、長板の上に並べ置き、最前の小手にて、片身ばかりざらざらと撫でて、そのまま出しける。伊勢の焼き物を両方焼くといふ事無し。よろづ、この手廻し。さりとはさりとは、世間格別なり。
ここは大神宮の御蔭にて、年中様々の身過ぎあり。諸国へ初穂配りの状、大杉原一束を銀一匁八分の書き賃、中杉原のざつとしたる状は、一束一匁三分にて、暇なる医者、浪人のこれを書きぬ。総じて神職の方は言ふに及ばず、よろづの商人までも、伊勢は人に賢き所を見せずして、皆利発なり。
これ程の人心にて、何者か、いつの代に始めて、鳩の目の蒔銭、百といふを六十繋ぎ、一貫に付きてやうやう一匁四、五分づつに売りて、宮巡りにこれを蒔かせける。雨の宮より風の宮へ抜け、「又、これは結ぶの神。」「即ちこれが、腰抱く者無しに子安の宮。」「これは、姑と仲をよく守り給ふ神。」と口を叩き、若い男を見かけては、「これなるが、久離切られさしやる時、親達の堪忍なさるやうに、後ろ神に立ち給ふ宮。」と、その道者の風俗、顔つきを見合はせ、宮雀、一人して小宮五つも六つも請け取り、「一文に千貫の入れ替へ。良きをくわつと投げ給へ。」と欲ぼりける。新銭を投ぐる人は稀にして、年々伊勢中の損、積もり難し。これぞ、智恵ない神参りに無用の智恵を付けける。近年は、鳩の目、法度に成りぬ。
又、間の山の乞食、昔は遊女の如く小袖の色を尽くして、味噌漉し提げたるも可笑し。その姿には似ざりき。中にもお玉、お杉とて、二人の美女あつて、身の色を作り、三味線を弾き鳴らし、「あさましや、女の末。」と伊勢節を謡ひける。毎日の参詣、あだ惚れをして、ここに立ち止まり、前なる真紅の網の目より、顔の内を狙ひ澄まして銭投げ付けけるに、一度も当てたる人なし。自然と顔をよける事を得たり。或る時、江戸より参りたる人、百銭を投げつけしに、お玉が顔に当たり、額{*4}に少しの疵を付けて、由なし。諸国より随分大気なる人参りけれども、銭百文投げ付けしは、これが初めなり。大方、世の人の心、さのみ変はらぬものぞかし。
又、明野が原明星が茶屋こそ可笑しけれ。いつとても振袖の女、赤根染の裏付けたる木綿着る物を、黒茶に散らし形付けぬ{*5}は、一人も無し。さて、日本にここの女程、白粉を付くる{*6}所、又も無し。同じ御茶屋の女の風俗、住吉とはこれ、格別の事なり。所によりて、伊勢、難波の変はりあり。ここに心を留むるにもあらず。旅の暫しの慰みぞかし。
この広野、銭掛松のほとりに、三十四、五年この方、道者に取りつきて世を渡りたる歌比丘尼二人ありける。所の人、異名を付けて、「取り付き虫の寿林、古狸の清春。」と言ひて、通し馬の馬子、駕籠までも、見知らぬは無し。歌も歌はず立ち寄りて、「これ、伊予の松山の衆様。」「これ、播磨の書写の御出家様。」「これ、備前岡山の女中様。」と人を見立てて、国所の違ふ事、千度に一度なり。
或る人、暇に任せて遊山参りなれば、この比丘尼ども、茶屋に呼びて、「いかにこの道に馴れたればとて、余りに面妖{*7}なり。我等はいづくの者と思ふぞ。何かして世渡るぞ。言うて見よ。」と言へば、「こなたは、唐人に見せても見る事。長崎の人。」と言ふ。この男、びくりして、「何とした目印ありや。物言ひ聞いてか。」と言へば、「御言葉は、そのまま出雲の言葉なれども、内衆二人ながら、長崎なり。こなたの年の程、五十五、六にも見えて、肌着に白りんず。殊に紋びろうどの襟をかけ、金拵への大脇差。我が儘に見ゆる所、長崎でないか。」と言へば、いよいよ興覚めて。
「我、若年の時、雲州へ養子に行きしが、帰る首尾あつて、この仕合せ。さりとては、さりとては。さて、商売を、とてもの事に言へ。」と言ふ。「それは言ひかねまする仔細あり。」と言ふ。「是非に言へ。」と言へば、「卒爾ながら、傾城町の人ではござらぬか。先程より、こなたの目づかひを見るに、十五より内の美女、しみじみと気の付く事。恋にはあらず。」と言ふ。この人、様子を聞きて肝を潰し、「さてもさても{*8}、恥づかしき見立てかな。天照大神を何々誓文。我、女郎屋にはあらず。良き娘の子に目の付く事は、我、只一人娘を持ちけるに、いかなる前世の因果にや、当年十三に成りけるが、今に足立たずして、しかも亀腹とか申して見苦しく、その上、両眼見えねば、縁に付くべき沙汰絶えて、明け暮れこれを歎き、同じ年程の娘を見ては、『我が子のあれならば。』と思ふからなり。」と涙をこぼして語られける。さもあるべし。
その折節、京女と見えし二十二、三の、風俗、人の目立つ程なり。たて駕籠並べて、男盛りの若い者、乗り散らして通りける。二人の比丘尼、走りつき、「これ、都の大尽様。この春中に、あんな御姿は見ませぬ。」と言へば、この男、目を細うして、「世界も狭い。」など言ひさま、小さき白銀を一粒づつ取らせて通りける。「あれは、何者ぞ。」と問ひければ、「あれはその儘、祇園、八坂者と見えて、人の娘なり。今の若い者が、参宮をよせ事に、いたづら参り。」と言ふ所へ、三十六、七の嬶が、この茶屋までやうやう歩みて、腰掛けて、先へ通りし駕籠の事を尋ねて、人の問ひもせぬに、「あの罰当たりどもめが。大事の神参りに、宿々で夜の明くるまで物語をし居つて、小俣とやらから駕籠の者ばかりを代参りをさせて、おのれら二人は参らぬ談合。男のある女房を抜け参りを勧め、親方へ聞こえたらば、追ひ出さるるは知れた事。ひよつと雇はれて、足の痛むに、『三宝荒神に乗れ。』とも言ひ居らずに、先へ。」と憎げに叱つて行きける。
又、三人連れて、一人一人、風呂敷包みを肩に掛けて通る。又比丘尼、「一銭下され。」と言へば、「下向に取らせう。」と言ふ。「この道へは帰らぬ衆。」と言ふ。「それは、何と見立てて言ふぞ。」「そなたたちは、ついでに参宮して、江戸へ稼ぎに行かるる職人衆ぢや。」と言ふ。三人一度に立ち止まり、「これは、仔細を聞きたし。」と言ふ。「出来心の関からの参りなればこそ、まづ、下の帯古し。その上、三人ながら本街道の道中扇子持ち給ふからは、江戸への初下り。」と言ふ。皆々呆れ果てて、後をも見ずして行きける。
その後から、手の良き一連れ。「あれは、どこ衆。」と言ふ。「あれは、奈良からの参り。皆、歴々に見えてから、それはそれは始末なる参りなり。何程口乞ひにしても、あの仲間から一文よりは貰はれぬ。」と言ふ。案の如く、後から銭払ひの男、貫差より抜きて、二人が中へ一銭取らせて、そのまま腰より矢立の筆染めて、「明星が茶屋の比丘尼、七、八丁もつきて、様々口を叩き、引かれぬ首尾になつて、中でも薄き銭を一文取らせました。」と小使帳に付けける。これは、気の詰まりたる詮索なり。
又、角前髪の若い者、同じ心の飛び上がりども四人、揃へ浴衣の染め込みに気を尽くし、道筋を我が物にして参りける。「あれは、どこ者ぞ。」「大津の浜辺の者ども。」と言ひもあへず勧進を乞ひけるに、無理に所望して歌を歌はせ、この辺りの名所を語らせ済まして、「比丘尼も我々が顔をよく見知つて置いて、石山寺へ参りやつたら寄りや。」と言ひ捨てて、一人一人逃げて行く。「これ、申し、申し。」と呼び返せば、「御縁ござらば、重ねて。」と言うて、早、その人影は無し。
比丘尼、大笑ひして、「鬢鏡落とした程に、呼び返せば、勧進一文に替へて行きける。大神宮の即座に、生き盗人どもに罰を当てさせ給ふ。」と、最前の長崎の男と長物語して別れける。「いづれも、忘れはせぬか。忘れな、忘れな。」
校訂者註
1:底本は、「なること」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
2:底本は、「鯰(なまず)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。以下同様。
3:底本は、「手(て)ばしきこと」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
4:底本は、「顔(かほ)に」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「付(つ)かぬは」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
6:底本は、「付(つ)ける」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
7:底本は、「名誉(めいよ)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
8:底本は、「扨(さて)も恥(はづ)かしき」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
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