二 一日暮らしの中宿

 飛鳥川流れて速き月日の経つ事、夢ぞかし。この春、寝道具入れて半櫃を持たせ行きしが、程なく九月五日になりて、出替はりせし男女の奉公人宿こそ、様々に可笑しけれ。昔、いかなる賢き人の、半季とは定め置きけるぞ。親方の気に入らざるも、半年の事と思へば、大方の事は堪忍して、美しう出替はりまで使うて暇出さるるは、その家の内儀の利発なり。
 又、無心なる主を取り合はすとも、半季の事なれば、一日暮らしにして、お定まりの五日の朝飯食うてから、手廻し早く身拵へして、機嫌良く笑ひを作り、「いづ方に居りましよとも、今までの通りに思し召して下さりませい。御乳母殿、今朝の松茸の焼きましたが、網の手の鉢に入れまして、膳棚の中の段に置きました。見えませなんだ片しのまな箸も、広敷の畳の問より尋ね出しまして、包丁箱に入れて置きました。梅花の油屋が廻りましたらば、この三十二文、おむづかしながら済まして下さりませい。又、晒し嬶が、いつぞや誂へました木綿切れ、晒して参りましたらば、請け取つて置いて下さりませい。どうでも四、五日の内には、御見舞を申し上げましよ{*1}。皆御若い衆、今までの通りに、道で逢ひましたとも、見ぬ顔して下さりますな。久三、この辺りで雨にあうたらば、唐傘貸してたも。替はりに風の良い上臈衆{*2}を置いて見せ給へ。」と、少し述懐心を含みて出て行きける。
 とかく、俗姓賤しき者なれば、追ひ出すまでも何の仔細なく、「一門衆から、『年切り置け。』とあれば、嫌なれども儘にならぬ事なれば、心を知つて惜しい人を出す。」と言へば、下女も気に入らぬ心を合点して、「御勝手づくになされましたが良うござります。」と立つ鳥跡を濁さず。壺洗うて水まで汲み入れて帰る。
 又、内儀、はしたなく、気に入らざる少しの所を見かねて、母親、娘を相手にして、「この夏季は、飯炊きが流れ歩き、前垂かづきの雨に涙こぼすを見るやうな。播磨路の世の中が悪うて、使ひ盛り這ひ出が、『口の世で、置いて下されませい。』と詫び言言ふべし。布織つて、唐碓踏んで、子守して、木を割つて、これ程置き徳なる者は無し。大坂中の水飲うで廻りしすりがらしの、右の手に杓子の柄の跡の付いたる女、置く人なうて、一つもある着る物を売り食ひにし居つて、後には夜唄を唄うて歩くいたづら女に成るぞ。」と憎げに当て言を言へば、下女も又、聞いては居ずして、灰猫が耳を火箸でせせり。
 「われも、耳の役に嫌ながら聞けよ。飯食はして年中遊ばして置かしやるも、鼠取らする為ぞ。鰹節の盗み食ひさへせねば、世界に何の怖い事はないぞ。ここの釜の下ばかりが、われが寝所には限らぬぞ。御気に入らいで投げ打ちしられたらば、北浜か、中の島か、大構へなる内方へ駈け込み、毎日御客があつて、雁の胴辛、鯉のわた、捨て所のない御家があるぞ。われは、生まれ付いて仕着せは着ず、口ばかりにて御奉公申すに、肴とては、八十入りの干鯵焼く匂ひより外にきかず。誰が言ひ継ぎて、ここへは来たぞ。良い内方の万軒もあるに、われが仕合せが悪い。」と当て言言ひ返し。
 その後は日毎にすれ合ひ、内儀は腹立して、「主と病には勝たれまい程に、不祥ながら、宵から眠らずとも、大釜も磨いて置いたり、干菜も細かに切つて置いたり。下衆仕事、なり良いものぢや。蚊帳の破れも継ぎ当てて置きや。」と言へば、「一日もこれに居ます内は、鼻に手を当てて見て使はしやりませい。働きさへ致せば、お気に入る事ぞ。」と出尻荒らしたる後にて見れば、大鍋に響きを入れ、十枚の挽き盆を一枚もその儘は置かず。酢徳利は口折れて、重箱は縁放ちて、日傘は縁の下に投げ入れ、雪踏は湯殿の屋根に捨て置き、この外、目に見えぬ事に大分、親方へ損を掛けける。下々は賤しき者に定めて、上手に使ひなすが、奥方の利発なり。
 世の詰まりたるためしには、当年の春の出替はり程、女奉公人の余りたる事無し。一番女房の大所の勝手にあふ者、給銀四十五匁から五十目に極めて置きしに、今年は四十目を頭にして次第に下がりて、中の上三十匁、又は二十七、八匁、二十五匁までにして、それよりは二十二、三匁、十八匁。少し小作りなる女は、機まで織つて十五匁から銭一貫。近江縞の帷子一つで済みける。半年の紅白粉、或いは草履銭、こつちから賃かきて奉公致すに成りぬ。
 小宿に居れば、日に一升は、降つても照つても口に付いて廻り、日数経る程、後には布子はがれ、有り付けば前銀にて万事を算用しられ、十匁で一匁の口銭を取られ、着の儘で出て行きけるが、一人も裸で奉公せし者も{*3}無し。たとひ主取り無くて浪人すれども、侍の大小と同じ、はやり染の袷一つ、大幅の絹帯一筋、木綿足袋に置き綿、挿し櫛は、三日食はいでころりと死ねども、身を放たず。
 これ程切なくて、居続けの奉公あるにも、小宿入りする益を尋ねけるに、さりとては何の事もなし。さのみいたづら狂ひを我が儘にするといふ楽しみばかりにはあらず。良き風なる{*4}美女の当世仕出しを常に羨ましく、髪頭の目立つ程に、中低なる顔を無理に鼻つまみ上げて、一度の大願に楊貴妃の匂ひ粉を塗りくり、寒紅もこの時の用に立ち、腰据ゑての抜き足、いかに公儀の大道なればとて、我が物にして身をひねる事、余程人の目も恥づかしき儀なれども、儘よ、さて。
 さる程に寺の下男、諸職人の弟子、又は一人過ぎの棒手振り、或いは田舎船の水夫ども、風俗、国に変はれば、尻に窓の開く程見送りける。これを浮世の慰みとおぼえて、「よもや悪しき者を、人のあの如く見る筈は無き事ぞ。」と、日々に町歩きしてけり。されども誰、中宿に付け込み、「あれを。」と恋ひ渡る人もなくて、後には我と我が身に不思議立てて、「世には目くら多し。恐らく我等が身振り、今日の彼岸参りの内、三人とも下がらぬと思ひしに、どこか悪うて思ひつかぬぞ。」と鏡横に見たり、取り直したり、笑うて見たり、一人狂言せし内に、よくよく見れば、我が足ながら男足袋さへ小さき事に愛想尽きて、「もし二つ、三つの時、御祓ひ串や踏みけん。仁王の御札や踏みけん。物に三寸の見直しとはいへど、大抵に四寸程幅の広き足なれば、人の興もさめぬべし。女は一つ思ひ所ありても、悲しや。寂しや。」と。
 或る夕暮に、事の欠けたる男に、襟の汚れたる袖にもたれて、「洗ひたがる人の有らうに、この儘に召すは、悪い御物好き。」と言へば、「心のつきたる女が欲しや。」と言ふ。「御堪忍がならば、やりたい。」と言ふ。これを種として、「今宵は御暇か。」と言へば、この男、暫し分別して、「酒買うて振舞うて、肩ひねつて下さるるならば。」と言ふ。口惜しながら、「是非なく思ひ初めましたが因果。御望み次第。」と言へば、この男、立ち帰りて、「初めから言はぬには{*5}聞こえぬ。もしもの事があらば、取り上げ婆の差配は、そちからなさるるか。」とささやきける。いづれこの女も、よくよく結ぶの神の見限り給ふと知れたり。少し渋り皮の取れたる女には、宿払ひ請け合ふやら、又、小遣ひ銀持て来てやるやら、掴み取りの世の中に、さても違ひの有る事ぞかし。
 算用して合点の行かぬ女。半季五十目に給銀極めて、連れ来る風俗を見るに、成程、京羽二重の白無垢、肌に着て、本郡内の碁盤縞に大森の幅の紅裏を付けて、帯は昔枯茶の繻子の一幅物。気を付けて見るに、飛び紗綾の湯具を裾長に、鼈甲の総透かしの挿し櫛、虹染の抱へ帯。その外、小道具はさし置き、ちつと宙積もりに銀二百七十ばかりが物の出立ち。「五十目の内から、あれは何として致す事ぞ。」と物堅い手代の親仁が疑ひける。
 今の女房が申すは、「御縁がござつて居りましよば、月に六日の夜の御暇は定まりて、外に二日づつ昼の御暇下され、その上、六度の庚申参り。八日、十二日宵薬師。天神へは願がござりまして、月参り致します。暮方から初夜までの御暇。」と言ふ。「この神仏参りの信心から、あの如くなる衣装が出来ます。」と言へば、親仁、何とか合点して、「南無阿弥、南無阿弥。」と称へて、この女を遥かに拝まれける。

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校訂者註
 1:底本は、「申(まう)しあげましよと、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「女郎衆(ぢよらうしゆ)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
 3:底本は、「ものなし。」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「よき風(ふう)な美女(びぢよ)」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)に従い改めた。
 5:底本は、「いはぬ事(こと)は」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。