三 子を思ふ親仁

 {*1}生きとし生ける者、子に迷はざるは、一人も無し。何ほど愚かに生れ付いたる子息にても、「悪しき。」と言ふ事、必ずなかれ。悪事重なりて、意見の杖を振り上ぐる内にも、脇から取り扱ふ人の遅きを恨むる事なり。殊更、七歳より内の沙汰は、たとへば左の手して箸を持ち、金鎚にて茶釜叩き割るとも、「気の強き所、男はそれぢやぞ。箸も、後には我と右に持つもの。」と言ひ流し、仮にもよその子の賢き事を、話にも致さぬ事ぞ。人の子の、五歳にて大学読むは、耳に入れず、我が子の十一に成りて、竹箒にて槍持の真似するを、「手の振りやうが良き。」とて、客の有る度、致させける。これ等は、人の事にて笑へど、その身に成りては、うつけたる子、する事々に利発に見えける。
 末々の者、子のおのづから我が儘に鈍なる事、母の親の懐にて、そこそこに育てける内に、早、三歳の頃より悪智恵付きて、これ、八十までも直らず。民百姓の子にても、付け置いて育てさせたき者は、乳母なり。諸事、物入りに是非なく、中分の下の身代までは、置きかねけるも理なり。給銀八十目、四季着せて、上下の帯、懐紙、手足の入用まで算用するに、随分悲しき家の乳母にても、一人一年に銀三百四十五匁程は、定まつて要るものなり。これによつて、女房の乳を呑ませける。
 中位なる人の内儀、十七、八より縁に付き、その一とせ二とせの程は、桜に藤に物見姿を作りて、我が男にも、「あれなれば堪忍頃。」と見られ、跡の知れる盛り形の菜は、食ひもせざりしに、一人子を儲けて、我が手にかけてしめしやうの物を干して、匂ひ、おのづからに移り、「この子は身の行く末の楽しみ。」とは思はず、「何の因果に今や。など。」と無理なる事の口惜しく、それからは身を捨て、芝居行き、天王寺詣もやめける。さて、身代を子の為とて稼ぐにはあらず。一人下衆に子を抱かせて、袋提げさせて歩く事を恨みける。今の世の女の心、奢りにつれて、異なものにぞ成りける。
 定め無きは、無常。懐胎より身を悩み、一子を形見に残して世を去りし妻女、その身はひと道なりしが、この男の身に成りての悲しさ。世に又、これより外に何かあるべし。されども、渡世しかねざる人は、相応の付け銀して、子の無き方へ養子に遣はし、又は乳を聞き立て、一時も粗末にせざりし。貧家の悲しさは、その子が泣く度、魂も消え入り、母が死に顔を思ひ出して、「うたてや。『その子を我ぢやと思うて、捨てて給るな。』と息引き取るまで申せし。いまだ三日も経たぬに、この辛さにも、人手には渡さじ。まして、道橋にも捨て難し。身の続く程は、人間の数に。」と思ふは、今慈悲の世の人の心ぞかし。
 いまだ摺粉にても埒明かねば、貰ひ乳の不自由さ。昼こそ人も世の不祥にてくれける。「夜は寝よ。」との鐘鳴りて、次第に更け行く程に、戸を叩くも迷惑ながら{*2}、「もはや御休みなされましたか。」と言うては念仏を申し、「早、御寝成りましたか。」と言うては念仏を申し、「とても、わが命のあるべき事にあらねば、ととが抱きて、難波橋の上から、とんとはまつて死ぬるか。」と身の切なさに様々歎くを、内から聞いて、「今まで玉綿を繰つて、おぼえずうたた寝しました。」と言ふ。「何とも御無心なれども、又一口。」と子さし出せば、「今夜は油を買ひかねまして。」と言ふ内に、灯し火消えて闇と成れば、いかに年寄なればとて、男の留守の女房、何とやら心にかかりて、霜夜に門立ちして、「これは、御暇取ります。」と色々軽薄言ひて、宿へ油さしを取りに行きて{*3}、まづ火を灯し、庭に繰りさしたる綿を暫し繰りて、女のする事、心から恥づかし。連れて帰りて又泣けば、乳貰ひ所替へて、夜もすがら寝もせで明かし、次の日は干肴調へて遣はし、様々の心に成りぬ。貧にて乳の無き子を育てけるは、世に思ひの種ぞかし。
 {*4}町人にても、世盛りの家に出生する子は、前生の定まり事。格別、世界の縁深し。本乳母、抱き乳母とて、二人まで氏素性までを吟味して、家久しき年寄を{*5}横目に付けて、仮にも小宿入りをさせず。笄、挿し櫛を挿させず、肌に柔らかなる物を着せて、食物も、朝は白粥に飛魚、さごしの外は、毎日改め、夜は枕に寝ぬ役人を付け、むつきの濡るる数を吟味し、昼夜に三度の五香を用ゐ、手医者、間も無く見舞はれ、栄花なる事、つどつどに言ふまでもなし。
 心立ての悪しき者を、「馬追、船頭、御乳の人。」と申せど、分限なる家にては、よろづを願ひ無き程にして、少しでも奉公に私あれば、明日待たず追ひ出さるるに恐れ、仮にもすね事を言はず、若子様を大事にかけ参らする{*6}事ぞかし。
 この程、乳母に出る奉公人を見るに、大方は世帯破り。又は、下衆ども、男定めずたはれて、やうやうその子を中宿に産み捨て、乳のあるに任せて、子の取りさばきも初々しく、口次ぎの嚊に身任せて、御子五つまでの作法の乳母には出けれども、五月の節句に兜、正月に破魔弓進じて祝儀取る事も、御髪置きより袴着、両年は絹物の仕着せを取る事やら、何の弁へもなく勤めける。乳母の奉公に馴れざる者ぞかし。
 置きかかつて難儀なるもの、乳母に年重ねし仕掛け者の心入れ。二、三日も溜め乳して、人の赤子を借りて抱き行き、「いまだ忌みも明きませぬ。」と顔つき重く、素人らしく見せ掛け、胸開けてかみ様に乳をいらはれ、「四、五日は、あの子がととに言ひ分致し、御飯も食べぬ程、気を悩みまして。」と鼻も動かさず嘘言へば、「心を静めて食など食はれたらば、乳も張るべし。あり様の子は、娘か。この方の子は男なれば、あうたり叶うたり。」と、仕掛けて来るは知らず、手形極めて給銀残らず借り取り、人の大事の子に夜もすがら足らぬ乳を舐めさせ、「これは、合点が行かぬ。」と吟味すれば、「とかく、御子様に御縁がござらぬは。瀧の如く乳の垂りませぬからは、御乳母どのを置き替へて下さりませい。御取り替への銀は、男が暇の状をくれます礼に遣りまし。」とあちらこちらなる事を申して、様々に難儀させ、何十軒かこの手を仕掛けける。この人置きの相取り、さりとては憎し。
 まことなる世帯破りの女、是非なく男と相対にて乳母に出ける。これ程、世に物哀れなるものなし。夫婦は随分仲悪しく、年々一つ一つ飽く事ありて、暇遣るさへ少しは心にかかる事、いづれの男に聞くも同じ。貧にもこの語らひを楽しみにして月日を送りけるに、たまたま子を儲けて、嬉しき事は外に成つて、子故に世の立たぬ事と成り果て、幾度か、子を刺し殺して後、二人共に手組み、井戸へさかさまに入りて死ぬべき内談。一日づつ延びて、その子が「我と手を口ヘ運び、笑ひ顔せし。」とて隣の嚊達があせらかして、「果報なる耳付き、仕合せの備はりし目の中。」と一つ一つ褒めそやせば、二人は死んでも、この子が命よ、さて。
 今日は神の折敷割りて、白湯沸かして暮らしければ、子はけしからず泣きやまぬに、近所の者ども問ひ寄り、内証聞きて驚き、「それを今まで隠さるる事やある。それ程の乳なれば、良き所へ勤め、その銀付けて養かして、夫婦の人の心さへ変はらずは、互に身のくろみて後、又一つの寄り合ひ成る事。」と申すにぞ、「しからば、頼む。」と言へば、中にも甲斐甲斐しき婆駈け廻りて、奉公の口も、子の養はし所も聞き立て、二時余りに埒を明けける。さりとは大坂の広く、物の自由なる事ぞ知られける。さる程にこの男、今朝までは相見し女房、不憫に思ふ子にも別れ、夕々の物悲しく、やうやう子に付けて遣りし銀の余り銭にして、三百七十を元手として、葉煙草刻むも煙の種とぞ成りける。
 総じて夫婦の結びなすより、子にそれぞれの物入りあるは、算用の内なり。何程悲しき一日暮らしの裏屋住まひせし人の平産にも、米一斗と銭八百は要る物にして置きしに、この男、その覚悟なき故に、さし当たつてかかる一人身とは成りぬ。

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校訂者註
 1:底本は、ここから「世に思ひの種ぞかし。」まで、前章に入れている。『西鶴織留』(1993)6-3語釈に従い改めた。
 2:底本は、「迷惑(めいわく)ながらも、『はや」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「行(ゆ)き 先(ま)づ」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、ここから本章が始まる。
 5:底本は、「年寄(としより)の」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「かけまゐらすこと」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。