四 千貫目の時心得た

 年々根強き商人を、「楠の木分限。」と言へり。されば、正成が一戦の指し物旗に、「非理法権天」、この五字を書き記して、義を重く死を軽く、非は理を以て討ち、理は法を以て討ち、法は権を以て討ち、権は又、天運に任せ、数度の戦ひに利を得ざるといふ事なし。
 総じて人間{*1}、その家に生まれて道に賢き事、士農工商に限らず、腹の中よりそれに備はりし家業を、おろかにせまじき事なり。しかれども、今の世の人心を見るに、親より譲り与へしに、小米屋{*2}は、埃、唐碓の音を嫌ひて紙店に仕替へ、紙屋は又、呉服屋を望み、次第に見付きの良き事を好みて、元その家を失ひける。諸商売は何によらず、その道を覚えて渡世しけるは、商人の常なり。されども古代に変はり、銀が銀儲けする世と成りて、利発才覚者よりは、常体の者の元手を持ちたる人の利徳を得る時代にぞ成りける。
 今の都、室町通に軒を並べて、家名の主、いづれか世渡りにうときは一人もなかりき。又、この所の手代、若き者までも、中京に住み馴れて、世間沙汰も早く聞き付け、人の善悪を見及び、誰が指南するとは無くに、自然とよろづの道を覚えぬ。これを思ふに、人柄も、とかく住み所によるなり。同じ京にありても、姉が小路の針屋の弟子と成る身は、舞錐のせはしく、耳穴のあけ暮れ。分切りの仕事に年中暇なく、御室の桜、通天の紅葉、春秋も知らず、七日の祇園の山鉾の有様、終に見たる事も無く、「素麺、揉瓜、膾を祭るは、有り難き物。」とばかり楽しむ事の外無し。
 同じ年の頃の若い者、良き所に主取りせしは、「今日は十四日の祇園。女郎の物日。」とて、揚屋極めて呼び置き、又は茶屋に一日遊びを約束し、或いは風呂屋、白人を忍び連れて、一畳一歩の借り桟敷して、山の渡るを見せける。いまだ年季の小者上がり、どこで黄金釜を掘り出して来て、大分に使ふ事にぞありける。同じ奉公せし内に、紙入に金銀を絶えさず、「とても二百目や三百目、私商ひにて儲けたればとて、我が代の時の足りにも成らず。」と使ひ捨てける心と、又、針屋の弟子が、御内儀の親里へ五節句の祝儀を運び、包銀の十文づつを溜めて、「一匁八分に成る事もがな。一生の願ひに、細布の赤褌一筋欲しや。」と思ふばかりの心。格別、世界の人程、違ひのありけるものは無し。
 近年、分限になる人の仔細を聞くに、その家に良き手代ありて、これ等が働き故なり。又、家栄えたる人の、俄に衰へるを聞けば、これ又、その家の手代どもが仕方故なり。昔は、若い者の働きに利を得たる有り。この頃は、足しぬるばかりなり。これを思ふに、主人の覚悟悪しき故、大分の金銀を皆、人の物に成しぬ。聞くべき時の算用を捨て置き、物見、遊興、舟遊び。年浪の険しく打ち来るをも知らず、銀手形の詮議も無しに、手代が言ひ分を確かに、「印判押せ。」と言へば、夢の如くに前巾着開けて、「世に手広うして置きたる徳には、我が印判一つで、千貫目の事も埒が明く程に。」と、呼び入れて間の無き女房に、無用の自慢なり。
 その家の親方に備はりし人は、その身ばかりの世渡りには{*3}あらず。一人の心ざしを以て、家内の外、何人か身を過ぐる喜び、これに増したる善根無し。以前は盆、正月、二度の勘定済みたる事なれども、油断無くここを改めて、毎月晦日に算用合ひを聞けば、物毎せはしき故に、手暗目暗の銀廻しも成らず。尤も、私商ひの仕掛けの暇無く、おのづから親方の商売ばかりにうち掛かりて、一つも落ち度なく、その身の為にも成る事なり。預け銀の先々へも、自分の付け届けして、確かに貸し所を知る事、今時の大事なり。
 総じて、世上の有様を見るに、その親方次第に福人に成る時は、召し使ひの者どもも、「我劣らじ。」と勤め、利徳を得る事に油断せず。主人、内証もつれし時、「ここは一つ働きて。」と思ふ手代は無くて、「とても続かぬ家なれば。」と、それぞれに奢り、分散仕舞ひに成る事、程無し。とかく、「下々は、その主の使ひ成し。」とぞ言へり。
 或る人、商売思ふ儘に道を付け、銀子千貫目の及ぶ時、その年、五十三にて大病を請け、死期の近付く時、一子十九歳に成れり。「我、相果ての後にて、何によらず、商ひ事やむべし。この銀無くなる事、十ケ年は保つまじ。十貫目{*4}より上の家質より外に、いづ方へも貸す事なかれ。」と手代どもにそれぞれの銀子取らせ、家繁昌{*5}の最中に、かく仕舞うて渡されける。この家、惜しみけれども、「わづかの取り付き、千貫目にする程の人心、よろしき極めなるべし。」と沙汰して、末を見しに、子の代に、金銀の置き所無き楽し屋とぞ成りける。

    元禄七甲戊年三月吉日
江戸 万屋清兵衛
大坂 雁金屋庄兵衛
京 上村平左衛門板


校訂者註
 1:底本は、「人間(にんげん)の其(そ)の」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「あたへしに、米屋(こめや)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「世(よ)わたりにあらず、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「十貫(くわん)より」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「家(いへ)は繁昌(はんじやう)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。