一 大釜の抜き残し
世は外聞包む風呂敷に替へ帷子。夏は殊更、供の者連れずして、自由成り難し。昔は定まつて柳行李に物を入れ、鼓の調べの古きにて絡げ、これを持たせけるに、それは葬礼の時か、公事人の供なり。近年の大尽は、小畠染の両面、又はべんがらの大縞の風呂敷に、暑き時分も暮れ方の用意して、単物、袷羽織を入れさせ、利根なる小者連れたるは、古かね買ひに見せても、三百貫目より内の身代にはあらず。
ここに、難波津の横堀川のほとりに、淫酒の二つに身をわけもなう、胸は煙の毎日、塩屋の藤崎といふ美君に焦がれ。
銀で成る分け里の女ながら、後は勤め外に成し、「この男より誰にかは。」と黒髪の半ば切りて、世間にこれを隠さず。「いとしさにこの姿。」と名に立つ、年は十九の花の咲く頃。この里の色も香も一人して知つた顔、少しは憎い程なれども、いかにしても外の女郎の成るまじき事は、世にある客を見捨て。
揚屋の門を闇にさへびくびくして、春の夜の一つ着る物、袖の嵐を厭ふに、因果は降る雨悲しく、宿りの軒下も人の提灯うるさく、この前取り出の時分、家買うて取らせたる太鼓が方へ走り込み、聞き知る声かすかに、「唐傘一本貸せ。」と言へば、女房が下女に言ひ付けて、「編笠ならばござる。」と言ふ。
「さても足もとを見立てたる返事する。『足駄貸せ。』と言ふならば、『日和の良い時、御出なされ。』と申すべし。さりとては物知らずめ。米の百目する時、娘を八坂へやる談合。二十五日様の名号まで質に置き、後世を取り外す時も、金子十両の合力。前後遣つたる物を勘定すれば、家の時よりこのかた三貫七百目、小判四十七両。米十八石、着る物、羽織二十一。その外、ちよこちよこ心付けせし事、留帳にはつけず、覚え難し。これを忘れて、今度唐傘一本貸してくれぬは、さりとては、むごき仕方なり。これを思ふに、女郎ほど誠ある者は無し。言ひかはせし事を違へずして、身を忍び、命にかけて、一夜もあはれをとひ慰めぬ{*1}事無し。外の障りと成る事。」更に可愛くなりて、「とかく逢はぬがあれがため。」とて、雨に身細めて、気の尽きる軒伝ひ、やうやう宿に帰れば。
町の年寄ども、念仏講の帰りと見えしが、我等が門に立ち止まりて、主が聞き居るとも知らず、「いづれこの家、二十四貫目には買ひ徳なり。この格子、取つて捨て、銭店か蝋燭を出し、裏の長蔵を小貸家に直し、角引き廻して、表の分は七分莚の算用にして、一ケ月に百九十目づつ納まれば、これぞ良き隠居屋敷。」と売りもせぬ先に、人の家の指図をするは、無念ながら、是非も無し。
聞く程堪忍ならねど、家質の連判頼み置けば、「世上ほど自由にならぬもの無し。」と男泣きすれど、「万事は帰らぬ昔。」と思ふに、筋向かへの両替屋の親仁の言へるは、「親の庭好きして植ゑ置かれし蘇鉄は、今にあるか。」と言へば、「それはいつの事。とても売り家の覚悟して、岩組まで一つも以前の形は無し。あんな仕果て、世に又とあるべきか。既にあり様の婿になる筈を、首尾せいで御仕合せ。私の西隣にも、親に懸かり、若い子どもの風上に置く事も嫌。」と、鼻に皺寄せて、もの憎さうに言へり。
「おのれ、後ろから踏み倒しても。」と思へど、さても世間は思案する程難しく、ひそかに戸を叩けば。五十余りの下女罷り出で、「良い程にて御帰りあれかし。八つの鐘聞いてからも、暫しの事。」と言ふ声ばかりして、暗がりなり。「火が消えたか。」と言へば、「油がない。」と言ふ。「それ程の才覚が成らぬか。」と火打ち箱探して茶の下へ焚き付け、その光の内に二階へ上がり、古き長持をこぼちて、夜もすがらこれを焚火して、一人、文など読みながら、宵の袖をあぶる内に、門を遠慮もなく叩けば、寝た顔も成り難く、「誰そ。」と言へば、色友達四、五人、無理やりに走り入り、「寒き夜の庭火、亭主が物好き。どうも言へぬ。」と、これらも唐傘無しの濡れ身を干して、「何も馳走は要らぬぞ。酒は一つ呑ませ。」と言ふ。
常々、贅を申して、「何時なりとも御出あそばせ。内にさし合ひは無し、望み次第の食悦さすべし。」と、その言葉も、「是非に酒を呑まする所。」と徳利、手樽を探せども、いかないかな、一滴もなかりし。小半買ふべき銭も無く、この才覚、昼さへ成らぬに、夜の事なれば、ましてや分別出ざりしが、大庭に十七並べて、只一つ売り残せし大釜引き抜き、幸ひ横町に古金屋のあるこそ仕合せなれ。叩き起こして、銭の俄に要る子細を語り、潰しの値にして四匁にまけてやれば、銭渡しざまに、「夜中に釜は、何とも合点は行かねども、よもや、こればかりを盗んではござるまい。」と言ふ。神ぞ口惜しけれども、断り申して銭を請け取り、やうやう外聞を酒に包みて、この酔ひの余りに、「明日は、今宵の憂き晴らしに、道頓堀に出、中の大夫元にして、これの亭主振舞。」と言ふ。
「忝し。」と約束固めて別れ、その明けの日、いよいよ御出の使。「追つ付け御後より。」と物の要らぬ事なれば、男作り済まして、夜前着る物、皺伸ばして、椛染の平帯、長柄の一つ差し、角倒さぬ大鶴屋が扇。見た所は、今も大尽なり。今日一日の雇ひ草履取に、奥縞の風呂敷かたげさせしが、この内へ、その名染め込み暖簾畳み入れ、「人目には、替へ着る物と見るらん。」と我が心の恥づかしく、真斎橋筋に歩みを南へ急げば、芝居の果ての人立ちに、小間物屋の男が打ち水に行きかかり、腰から下へ一絞りに成りて、着替へ無き身の悲しく、心腹立てて眼色変はれば、主走り出、「段々御尤も千万に存じ奉る。この男め、大和より二、三日後に、ここ元へ参り、土気の離れぬ者なれば、是非に御堪忍。」と亭主結構なる一言に、ねだるべき力なく、「侍衆にかけぬやうにしやれ。」と言ひ捨てて通れば、「これへ御腰を掛けられ、御着る物召し替へらるべし。さあさあ座敷へ。」と言ふ程、気の毒。「苦しからぬ。」とて、濡れながら三津寺八幡の前に行き、この辺りに、旅役者の笛吹きに伊勢の吉太郎と言ふ者、折節は子どもの一座に呼びて、二、三度も物取らせたる事あり。これより外の茶屋、役者、皆々分け悪しく、立ち寄る事は思ひも寄らず。
裏貸し家住みの吉太郎に訪ね寄れば、丸裸にて立ち出、「御久しや、旦那。かかる埴生の小屋への御立ち寄り、かたじけありと言ふものぢや。」と俄に煙草盆の塵は払へど、裸で飛び廻るを見て、「これは気根強し。」と言へば、「只今、大酒致しました。」とは言へど、上気をして、「旦那も、この御小袖の濡れは。」と不思議を立つる。
始めを語りて、「これを日当たりへ干せ。」と言ふ。大尽も丸裸になつて、「いづれ、今日は暖かな日ぢや。」と縁側に立ち並び、歯をくひしめて語り、「我らは今日に限つて、着替へ持たせて参らなんだ。その方が、いつぞやの郡内縞の着る物、少しの程借せ。」と言へば、「我が裸、何を隠しましよ。只一つの郡内、裏ばかり洗はせまして、隣へくけに参りし内、この仕合せ。」と語る。大尽、横手を打つて、「さても事の欠けたる内証かな。近日、着る物、羽織、拙者、はずむでござる。今日は、宿に首尾悪しければ、取りにも遣られず。」と二人裸で待つ内の身振、様々可笑しく、やうやう西日になつて、干したる着る物干上がりて、大尽、これを召せば、吉太郎、仕立て着る物も出来て、二人共に常の姿となつて踊り出、待ち兼ぬる振舞の方に行けば。
膳は仕舞うて、酒の面白き所へ立ち出、「嫌と言はれぬ人に留められて、いづれもの手前、迷惑千万。」と言ふ。「今までの御暇入り。御飯は参つたか。」と言はれて、「いかにも食べました。」と言へば、その通りに済みて、空き腹の乱れ酒。肴の中にも生貝など食ひ尽くして、夜食までの待ち遠く、吸物の出るたび、「もし饂飩か。」と見れば、切りかけ烏賊の、しかもかすかに、これらに腹も膨れず。笛吹きの吉太郎は、気を尽くして立つて帰る。一座は衆道の色に、前後忘るる酔ひ心。我を覚えず、「これは寒い。」と言へば、御着る物の入りたる風呂敷取つて参つて、大勢の中にてこれを開くれば、紺染の暖簾に丸の内に仁の字付きたるを取り出せば、この座、興さめて、各々見ぬ顔するも、なほ可笑し。
随分気強き者ながら、酒さめて、浮世の人を恥ぢて、これより「無用の色道。」と思ひ切つて、家財仕舞ひて、その身一人の草庵。昔の友に会ふ事絶えて、髭おのづからに伸ばし、手足、終に洗はず。渡世に江戸元結の賃捻りして、一日暮らしに難波の堀詰に身を隠し、大寺の桜は近きに、五年余り、春を夢と成し、蝶の定紋も付けず、木綿を浅黄にやつて、世は軽く暮らして埒をあけぬ。
校訂者註
1:底本は、「とひ慰めん事」。『井原西鶴集 三』(1972)訳に従い改めた。
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