三 嘘も言ひ過ごして
万事しやれて女郎狂ひの今ほど、面白き事は無し。
香車の久米が、十四、五手づつ先を見透かし、「この大尽は、九月の節句過ぎより大年までは、長い内に、さのみ物入りのない時を考へ、良い事をして取り、正月買ひ、差し詰めに成り、逃げ道に、『伊勢へ年籠りに親仁の代参りする。』と師走二十日頃に言ひ出して、太夫様からはなむけに、二百目程要る肌小袖を取つて、置き土産に小判進ぜて、四十末社の者どもには、『少し子細ありて、やめ分なり。内証聞いてから、鳩の目一文の便りにならぬ事。うち遣つて置け。』と何事ぞありさうに思はせ、如才なき女郎に、粋仲間から讃を付けさすは知れた事。そんな前かたなる仕掛け、四も五も食はぬ事。十月の初め亥の子に、こなたから嫌と言はせぬ男。」昨日と暮らして、つひ冬の初めの朔日に成りぬ。
大勢の付き合ひ見澄まし、京屋の主に遣手の久米が、「何か大尽様へ、恐れながら御訴訟事。」と申せば、その時、殿様は、置き頭巾して書院毛抜きを持ち、「一歩欲しき訴訟か。」と言ふ。「いかにも、それに似ました御事なり。亥の子の御かちんの米と申すも、さもしき事ながら。」と申せば、「いやいや、世間にする事は、したが良い。して、何ほど要るぞ。」「この時言うて取らいでは。」と正月の餅米まで算用して、「六石五斗。」と申せば、「女郎屋には大分、亥の子を祝ふぢやな。」と不思議がましき顔つきして、紙入を投げ出す。
小判のついでに、十夜の盛物代、霜月は納めの庚申待ち、私小宿の水風呂の釜を仕替への御合力、何やかや取り集めて、春までの勤めども、残らず御無心申し、その上に、「正月の事、いまだ間のある儀なれども、外に申す方なければ。」とささやけば、この男、逃げる分別変はつて、「いかにも拙者、請け合ひ。」と確かに宿へ申し渡せば、亭主、「これは珍重。さても見事なあそばされやう。恐らく十月朔日に正月の極まりし女郎、新町広しと申せども、この太夫様の外にあらば、言うてござれ。この首、水もたまらず遣るは。こんな大尽の御宿には、今時分から仕着せ物が仕舞うてあるものぢや。」と無性にのぼされ、前後構はず、一座は柳にやつて立ちけるが、「風のなびきに変はるは大尽の心。てつきりと太夫様へ難儀を持つてござる所なり。時に、こなたから先に言ひ出し給へ。」とその段々、教へ置きしに。
案の如く大尽、無理を持つて来さうなる顔つきの時、しみじみと深うしかけて、「今日、御出を待ちかねました。少し御内談致したき事は、この程、両度扇屋で会ひまする田舎の大尽が、こなた、嫌な程上り詰め、『指を切りたらば、根引きにして国へ連れて帰る。』と無分別に進めば、いづれも、『ここは、切り所ぢや。女郎の指は、盆、正月勤むる男にさへ切るもあり。言うてもこれは、小指一つに千両余り入用出して、借銭まで済まして、一生の苦患、逃るる事ぢや。殊には親方のため、これ程の事、又いつの世にかあるべし。是非に切れ。』と遣手の久米が薄刃あてがへど、『気に入らぬ男に連れられて、しかも知らぬ国へ行きて、大勢供連れて乗り物に乗る事、嫌ぢや。』と言へば、『さりとては、その根性でようもようも、太夫とは呼ばれさんす。あさましや。事によつて死ぬるもあるに。こなたには、何事があつても勤めの指は切らせぬ程に、身に疵つけずに女郎が成るものか。手柄に淋しうないやうあそばせ。太夫から二畳敷の住まひ、今まで幾たりか見た事。唐紙の模様は、立田川が目に立つものぢや。仁介様に煙草吸ひ付けて、ちと上へござりませいと、ぢきに言やる顔を見るやうな。』と、さてもむごい事を、遣手の久米が言ひまする。私も、新屋の金太夫と言はれし者。好いた男ならば、命が何の惜しかろ。」ともたれかかつて泣き出せば、大尽、聞き届けて、「これは、あちらこちらの詮議なりける。今日は口説をしかけ、是非指を切らす心底にて来たりしに、思ひ寄らぬ事を聞くは、何の日ぢやぞ。我を頼りに語りかかるこそ因果なれ。ここは見捨て難し。」と、まんまと一杯食うて、「数ならねど、拙者が居るぞ。け憎い客を撒き散らせ。」と頭から大きに出て、我一人して万事を務めけるは、これ、大分の御はまりなり。
この男も、北浜に源と言はれて、諸分け、宙六天にくくり、余り先繰りを仕掛けしに、又、女郎は、それを所作にする粋ごかしにあはされ、さてももろき身代。取り集めて二百貫、遣手の久米が追ひ立てける。若い女郎に付けたき者は、古き遣手なり。町屋の若代に家久しき手代あると同じ。
この大尽にも、良き手代あらば、これ程までには成るまじきを、出入りの者も皆、悪所にして鶏飯を振舞はれて、羽織借り取りにして帰るもあり。家請けを頼みながら、畳の無心を申すもあり。喧嘩する秘伝書を預けて、金子十両、無理借りにするやら、寄る所触はる所にて取りひしがれ、財宝ざらりと埒あけて、昔の風俗、四、五年に変はりて、今は小谷といへる比丘尼寺のほとりに裏屋住まひして、いかないかな、硯箱が一つあらばこそ。ちんからりに欠け釜掛けて、汁無しの飯を炊き、有る時は餅に日を暮らし、無い時は帯締めて、「三月大根も腹膨るる便り。」とおのづから常精進の身と成れり。
この北隣には、観音様を負うて勧進坊主住みしが、烏賊つくりて、わけぎ膾の香り。不断、塩魚切らすといふ事無し。南隣は三途川の御姥様の勧進に歩く男、古布子あまた拵へ置き、一夜を六文づつにて、貧家の嵐を凌ぐために借して、朝は片端から剥ぎて廻りて、目前にあの世を見せける。かかる所にも住み馴れて、その気に成れるは、惣じて人間の習ひぞかし。今は人置き仲間の使して、手かけ奉公人の着替へを持つて供するも口惜しからず。銭さへ取れば、堕ろしたる胞までも捨てに行く。人の果てこそあさましきものは無し。中々生きては何か甲斐の無き事ながら、その身に成りては死なれぬものと見えたり。されども昔残りて、さもしき心にて紙一枚ちよろまかすといふ事無し。
或る夕暮に、盛りを惜しむ藤見帰りに、今橋の限銀といふ大尽、わづかの春雨にあひて、軒伝ひして行くに、かの男、破れ笠さして、われを見かけ、「この唐傘を御用に立つ。」と言ふ。心ざし優しく、その儘借りて見れば、「越後町京屋五十本之内。」と書き付け可笑しく、その男の帰る入口を覗けば、東窓の反古張り、皆々、奉書の仮名文。心を留めて見るに、疑ひもなく新屋の金太夫が書翰。様々もたれたる文柄、御定まりの奥の手。「我等命は、暫し貴様より借り物。」と書く事、誰にても嬉しがる行き方なり。
何とやら可笑しく、押しかけて尋ね入り、内の様子を。腰張りも皆、太夫が筆なれば、「いかなるゆかりぞ。」と昔を聞けば、何の用捨も無く、「金太夫故に、この仕合せに成りける。」と語りぬ。「金太夫に、我等わけあつて逢ひけるに、この君が文ども、かくさらし置くは、由無し。」と文反古残らず所望して、金子三両取らせて立ち帰りける。
「この大尽も、この男の如くに追つ付け成るべき心ざしなり。金太夫が文やら、鬼の手形やら、知らぬ裏貸し家なるに。」と笑ひぬ。
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