三 憂きは餅屋 つらきは唐臼踏み

 諸色もその道に入らざれば、善悪の分かちを知らず。
 河州高安の山もと近き里人に、親の代より木綿売りける銀子を貯めて、固めて見ば、一番牛の寝た程譲り渡しぬ。いかやうに使へばとて、一代には減る事あるまじ。しかも深入りをせず、上町者の手かけ狂ひ。三十日に米一斗五升、六畳敷二匁の家賃して遣る分にて、「これよりは。」と浮世を楽しみける。
 或る時、京より西国に屋形奉公勤めて親元へ帰る、その時の人置き、大坂に来て、蔵屋敷より請け取りけるを、庄屋宿より聞き出し、一年銀五枚に極めて、白髪町観音堂のほとりに借り座敷して、年構へなる婆一人つけて、不断は露路の戸を閉めて、表に貧なる塗師細工せし人に折々心付けして、この手かけの横目を頼み、外より男の出入りは堅く吟味して、京より見舞に下られし親仁も、飯は振舞ひて、夜は脇宿を取らせ、淋し慰みに飼ひける三毛も男猫を見付け、これさへよそへ貰かしける。
 さりとは悋気深き山のねきの大尽、所の物頭もすれば、少しは小百姓の思ふ所を忍び、又は公用を昼は務めて、夕方より四里ある所を早駕籠にて、毎夜新町、東の門より西へ行き抜け通ひ、中々夜店の灯し火も目に暗く、明け暮れ三とせ余り身を運びしを、露路口の塗師屋が、この事、人に語りて、「遠い所を通ひ来る暇あらば、女郎狂ひをせぬも可笑し。しかも新町筋を越えて、手かけに大分の金銀を入れけるたはけもあり。」と一節切の指南する長崎勘十郎といへる遊び宿へ、大勢若き者集まりて、この話に大笑ひして、「その金持の百姓めを、何とぞ本色町へはめたし。我々は無ければこそ、面白からぬ茶屋、風呂屋。思ふやうにならぬ世の中。又今年も良き綿秋なれば、その庄屋が取り込む銀欲しや。いかないかな、身にはつけじ。木村屋の小大夫を、せめて三十日、天神の大和を付けて買ひたし。」と言ふ。
 「この物好き、悪しからず。」とその座に八木屋霧山にあへる木半と言へる大尽、進み出て、「さりとはその男は、女郎の豊かなる楽しみ知らず。長門の萩の塩道といへる法師は、歌仙を請け出して宿の花に眺め、若衆は、松島半弥が色盛りに遊びける。白子町の播磨は、太夫の背山を我が物にして、これ一生の栄花。又、尼崎町の塩といへる大尽は、銀にて淵を埋めるが如く、有る程は捨てて、その後は浮世の暇と成つて、仏も無き天満の堂島に身を隠れ、おのづから淋しく、鼓、謡の拍子を教へ、やうやう碁会に今日を暮らし、一つの楽しみにせし太夫の金吾も、この男に恋が余りて出家に成りぬ。昔の勤めを思へば、今格別に引き替へて、これは殊勝なる収まりなり。惣じて女郎程、義理を面にして、情けを心底に含み、これ程面白き物はなきに、惜しきは、あたら銀にて磯狂ひ。何とぞその庄屋に勧めて沖を泳がせ。」と言ふ。塗師屋、頭振つて、「それは何ほど申しても、動くものではござらぬ。」と物堅う申せしが、物には時節のあるものなり。
 その七月の末より、揚屋揚屋の座敷踊りを始め、町より人の嫁子も忍び忍びに見物に行きしに、かの手かけ者も、「これを見たし。」との願ひ、中々合点せざりき。頻りに断り申し、「今日で仕舞の扇屋の大寄せとや。是非に見せ給へ。」と言へば、この庄屋、心には染まざれども、度々の所望なれば耳かしましく、西口の香具屋の新九郎といへる、この程取り出の太鼓を頼み、塗師屋の嚊まじりに各々引き連れ、見物に出しに。
 その頃はまづ、佐渡島屋に太夫揃へ。高間、奥州、総角、葛城、吾妻、紫。吉田も振袖の時。新屋の金太夫、小女房でも太夫めき、丹波屋の小薩摩がすらりとしたも見良く、井筒、只美しく、小琴が苦りの走りたるも、ひと子細ありて良し。明石屋の諸越、吉野。住吉屋の瀬川が鼻の先も、悪うは高からず。堺屋の君川がぬるきも、常の女郎の賢きに優り、又七が初瀬も大和の大尽が奢らせ、二十四人の太夫、十九人まで一つに集まり、この外、天神、囲、店の声ある女郎、並べて百三十二人皆、紫の帽子。揃うたりや、手拍子、腰つきに気をとられ、け返し、はね褄、引き足の麗しく、中の腰掛けには役者、末社、浮気大尽。これ面白き事、天竺にもあるべきか。
 日の暮れ行くを惜しむ折節、伏見屋の端局に勝之丞とて、一匁取りの女郎が、踊り装束して人の後ろより来て、大勢の中を押し分け押し分け入りて、かの庄屋が左の手を何心もなく締めて、「そこを開けて、中へ通し給へ。」とひたひたと身添ひける。この男、魂無く、力に任せ、辺りを突き退け、この女郎を踊らせけるが、これぞ恋の初めと成つて、石畳の浴衣忘れず、我が前廻る度々褒めて、踊り果つれば、手かけは先へ帰し、太鼓の新九郎を頼み、俄に馴染み出し、これを女郎の買ひ初め。
 「この意気地、とく知らざるは無念。」と、手かけはそのまま暇出して、貸し家は三十日ぎりの思ひ出。釜の下の塵も灰もないやうに仕舞うて、毎日に騒ぎて、いつの頃よりか太夫の越前に大飛びして、霧山にあへる木半にも一座して遊興。「これでこそ。」と互に言ひ合はせて、二とせ余りにすつきりと、無いが定なり。
 世は様々に変はるかな。その霧山は、請けられずして行方知れず。越前は病死して、この二人の太夫、昔のやうに成りて、木半といふ大尽は、次第に醜うなりて、世渡り色々に替はりて、後は、茶碗焼き出す高原といふ所に、猿廻しと相住みして、その身は綿ざねの油屋に通ひ、金唐臼を踏みて、足手のだるき身にも、扇屋長津と口説をせし高話。今は無用の至りなり。
 又、河内の庄屋大尽は、持ち伝へたる野山、竹木まで売りて、おのが里住まひも成り難く、一家散り散りに立ち別れ、在郷の道筋は忘れず、玉造の末なる中道といふ橋の詰めにて、少しの餅屋をせしが、店に掛けたる暖簾の紋に梅鉢を付けしは、越前が定紋。さても、しやらくさし。

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