一 思はせ姿 今は土人形
御異見度々、尻に聞かせて、野郎狂ひのやむ事なく、明け暮れ四条河原に通ひけるに、「道橋の再々崩れけるは、この大尽の召し連れられし血気栄ん末社、役者、あらけなく渡りぬる故なり。」と、ここ承りの菱屋六左衛門が詮索し出しぬ。
今の都の奢り男、しかも風俗すぐれて、見ぬ世の中将、中古の三左、当代の四六と、これを知らぬも無く、毎日の道中なるを、石垣のおやまども、まま食ひさして走り出、この面影を見れば、水茶屋の娘ども、天目、手から落として我が商売を忘れし。「東山の桜も、日々には見られぬぢやが、たとへばあの男、生きた如来様にもせよ、ようもようも眼が続く事ぢや。追つ付け目病みの地蔵へ七日参りをするであらう。何の銭一文にも成らぬ大尽。あれよりは、芝居見の出家衆に気を取り、札一枚読み込みても、三文、徳がある。難しい事では無し、笑うて見せても物になる事。」と銘々の母親、又は主人の叱るを聞けば、理ぞかし。これらは良き所に住み馴れて、諸人の色ある男を見るさへ、恋を含みぬ。まして地女房は、一幅帯の腰を抜かしける。
たまたま男と生まれ出て、これは、備はつての果報なり。殊更、親は後家にて、銀持ち で寺参り好きにて、「世界は我が儘。」といふ大尽なり。人に借らずに有るに任せて、この川原に於いて水の流るる如く、良き物取らされければ、惣じての太夫元、木戸の者、雨蛙の芝居なる小見世物の猿までも、御顔を見知つて烏帽子を脱ぎぬ。この所をこれ程までしこなしけるは、一とせに千両とは積もられける。これ、違ひあるまじ。一日に金子百両撒き散らしても、誰か驚く者無く、御伊勢様へ十二灯上げたるやうな所、さのみ嬉しがる者も無し。
この大尽、さりとは女嫌ひ。終に島原の景色、遠目にも見ざりけり。されども物には時節あり。野郎狂ひの異見し詰められて、是非なくやめ分の誓紙を書けば、諸神の手前を恥ぢて、その後は芝居を覗きもせざりき。「さては、年が薬。」と各々喜びけるに、又女郎狂ひに身をなし、明け暮れ今の唐土に出かけて、これをとめどはなかりし。人又、「無用。」と身のためを申せば、「我ら、この里へ通ふまじ{*1}との誓紙は致さず。」と悪賢き事に理屈を言へば、後には誰か咎める人なくて、心の儘に騒ぎて、「この町も面白からず。名に聞きし、武蔵野の色深き小紫を見に」下りけるに、江戸にも聞かぬ気の男、三木とやらが、根から引き抜きて、その行方知れざりき。
「今少し遅く、このよねを見ざる事の口惜し。せめて、その紫に面影の似たるもがな。遥々ここに下りし甲斐に。」と穿鑿するに、これぞといふ女郎も無く、「見ぬ恋する。」と言ふは昔。今の世には無き事なるに、「人の物に成りける。」と聞けば、殊にゆかしく、「夢にもその姿を見て、京の物語にも。」と人頼みして尋ねけるに、さりとは知れざりけり。
或る時、浅草の寺町の横筋を行くに、内の見え透く葭すだれ、住み荒れたる宿の棚に、「小紫すがた屋」と看板出して、土人形の細工する男を見れば、京にて立役勤めし嵐三郎四郎が、白無垢の上に破れ紙子、身をやつし芸に出しよりは、猶憎からず。「いかさま、子細者め。」と立ち寄り、「御亭主。この人形は、小紫ならば、まづ遊女にしては帯が狭し。殊に後ろのとりなり、まんざら人の御方めきたる。」と言へば、「要る気ならば、取つてござれ。一文に一つづつ売る物を、無理なる御吟味。それは、七十四匁に売る時の詮議。」と笑ひける。何とやらゆかしく、「されば、この女郎をその値段に、年の明くまで買ひ続けに、京より下りたる男。」と言へば、「さては、良い物は都までも知るる事かな。我らもこの女郎に思ひを懸け、この三とせ余りも焦がれしに、勤め女の事なれば、状文に歎くも愚かなれば、とかく銀貯めて只一つ買うて、年月の思ひを晴らさんと、この細き内より毎日三文づつ掛け銭をして、二とせ余りにやうやう七十四匁になして、一日二日の内に便りを求め、借り着も人の情け、揚屋定めて催しける内に、つひ請け出されて、さても無念、無念。」と男泣きにして語る。
「恋は、これなるべし。」と哀れさに、「さて、その小紫が行方は。」と言へば、「さらば、京の人に今の様子を見せん。」と立ち行く方は、唐物町の横町に、棚も目に立たぬ程の内に、昔の残りたる女の見えしが、「あれが、三浦の小紫とや。今はその名も替へて、御梅と呼びける。」「人の女房に成つて、何か恋のあるべし。やれ、思ひ切れ。外にも恋はあるもの。」と男を友として、物の見事に三野に通ひ、今の高尾、薄雲に手を揃へて、髭の長兵衛が座敷を我が物にして、京より持参の三千両、いかないかな、一角も残らず使ひ上げて。
又かの男と相住みして、「せめては、女郎が踏んだる土を、身過ぎの種。」と揚屋町の真砂を金竜山の真土に混ぜて、今は又、薄雲、高尾が姿を作りて、土人形の水遊び。次第に淋しく成つて、大方は火を焚かぬ日も見えしが、これにも腹の用捨無く、連れ節の変はり加賀。罪も無く銀も無く、世の人に恐れも無く、外の事無く外混ぜず、よね狂ひの意気地を語りて、埒のあきたる二人が仕舞。いまだ三十より内にして、一代の栄花。これから先の老いの入り前、何とか成るべし。
この四六大尽、京都の大分の跡は、母にさへ見限られて、他人物に成しけるとや。
校訂者註
1:底本は、「かよひまじ」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
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