二 子が親の勘当 さかさま川を泳ぐ
「変はつた事を聞きました。とかく、宿に居るが悪い。ここに出かけたればこそ可笑しけれ。
「揚屋町の入口の茶屋に桔梗屋といへる方の女房は、分別のまんとて、太夫八橋、夕霧につきし遣手の開山なるが、時節あれば我が世を経て、おか様と言はるる事も楽しみなり。この内に腰掛けながら、よね達の道中を見るに、嫌と思ふは一人も無し。これぞ又、動きが取れぬとなづむ程なるも無し。今の世の女郎、心はしやれて、位無し。昔の千歳、唐崎は、禿、遣手の外に、沓とて鬢切りしたる男草履取を連れける。これを思ふに、全盛の時なるかなや。孔子くさい人までも、朝に道を聞いて夕に通ひ馴れ、何の古文真宝。されば人間、死ぬるといふ道具落とし、これに勝つ男伊達も無し。少しの内も、浮世の暇さへあらば、この美君を眺め参らせ、長命丸といふ薬なり。仙家の不老不死の妙薬、取りに遣るまでも無し。近道に、これ程良い事を知らざるや。」
「さて、最前の変はつた事の話の末はいかに。」
「さて、最前の変はつた事の話の末はいかに。」
「されば世に、『子が親に持て余し、とても悪所狂ひの異見、聞き給はねば勘当を切る。』とは前代ためし無き事。その親仁殿は、伊勢町の大盃といへる大尽。酒より乱れて猩々の抜き手切つて、足もとのよろつく掛物を喜び、揚屋の物好きは、『和泉屋半四郎が二階座敷良し。』と山本長左衛門が抱への小主水に深くあひ馴れて、内蔵の淋しくなる事、この二とせ余りなり。もまた六十に過ぎて鬢付たしなみ、『女郎と討死。』と極めて銀使ひけるを。
「その子は二十八に成るまで、終に揚屋の畳を踏みし事も無く、七歳の時、かき初めに絹のふんどし買うて、中橋の叔母より贈り給はりしを、今にその一筋にて埒をあけ、世渡りの事のみ大事にかけ、わづかなる請け酒、今では江戸に並びなき酒棚と成りしは、この一子が働きなるに、親に大分使ひ果てられ、内証の続かぬ所を歎き、駒込の旦那寺、念仏講中を頼み、『息子が言ふ所、一つとして道理なり。世には不孝の子ども、親の死一倍といふ銀借る事は聞きしが、親の身として子を追ひ出し一倍といふ銀を借り給ふは、ためしなき仕方。向後、色町やめ給へ。』と様々の御異見聞かず。『いかないかな、この道とまり難し。両方思し召しての御扱ひならば、只今金子千五百両、倅が手前より貰うて給はれ。あの家を罷り出、一生親子不通の手形。』と望めば、願ひの通りに扱ひ済まし、小判渡して親仁を追ひ出しける。これらは、広き世界に又もあるまじきたはけなり。
「これを思ふに、大伝馬町の綿棚に色好ける亭主ありしに、しかもこの内儀、美女なるに、外に又、手かけを拵へしを、内儀、情けにて、『男の通へるも、気尽くし。』と我が宿に呼び入れられしに、後には本妻を悋気して、色々に迷惑がらせ、程なく去らせける。さても珍しき、あちらこちらの世の中や。」
「その大盃といふ大尽の収まりは。」と尋ねしに。
「その大盃といふ大尽の収まりは。」と尋ねしに。
「千五百両を手の物にして、角町の万字屋小薩摩買ひしが、後先の思案無しに、いかないかな、金子一両も残さず。これ程見事にすり切る事、たぐひ無し。今見れば、麹町の六丁目の横町にあはれなる借り棚して、鯉の刺身を造りて盛り売りに廻りぬ。『因果は皿の縁。』と人の笑ふも構はず。色里の文どもを包丁の包み紙にして見せけるも、この身にも贅をやめざる親仁。『いまだ心残りは、三浦の花紫に逢はで果つべき事の口惜し。是非この思ひ入れ、一生の内にあだには成さじ。我らはこの無事なれば、まだ三十年などは、たとへ不養生しても、長生きをおぼえあり。倅は追つ付け女房を持つと、三年五年の内に命勝負、見え透きたり。子の物は親の物なれば、この跡を丸取りにして、再び花紫の願ひなり。とてもの事に、一日も早く息子めに、逞しき嫁を授け給はれ。』と無理に結ぶの神を祈る、可笑し。この諸願成就の時もあるべきか。」
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