三 算用して見れば一年二百貫目遣ひ

 商売の店つき良きは、酒質を取りて、南都東大寺門前に住みて、仙人坊と異名呼びて隠れも無き大尽、我が里の木辻、鳴川にはまりて、世を夢より夢に暮らし、いつ夜の明くるも知らず、算用なしに遣ひけるに、この所は女郎の高下も無く十五匁に極め置きしは、申せば軽い事ながら、これにも奢れば、はかの行くものぞかし。
 この男、島原も新町も見ずして、所遊びの五とせ余り、何か勘定になる事も無く、宵に酒呑みて、夜更けて女郎と同じ枕に寝て、張り合ひも詰め開きも、敵に嬉しがらする事も無く、「銀に売る身なれば、是非も無き勤め。」といづれの女郎にもうとまれ、可笑しからぬ遊興に土仏の水遊び。いつとなく身を崩して、「高十五匁の女郎に有り銀七百貫目。遣へば遣ふものかな。」と内証知つた人あつて、我を折りける。
 「毎日この里のよねを残らず買ひ上げてから、囲女郎十八人、やうやう二百七十目。見世の女郎、一匁から二分まで九十七人、惣高合銀五百目にて一日買へば、一年中を百八十貫目にて仕舞はるる事なるに、この大尽の銀積もり、一年に二百貫目余づつは、何として遣ひけるぞ。」と団扇屋権七といふ太鼓持が、何の役にも立たぬ不思議。これに身を染むる粋程にも無い奴かな。色里に銀のすたるは、その算用とは格別の違ひあり。惣じての人の世帯に、飯米よりは小遣ひの要るに同じ。女郎狂ひも、揚銭よりは外の物入り、数々なり。霊地の仏前に石灯籠を立て、神前に水鉢を切り据ゑて名を記し置くは、末々までも残る世語り。傾城狂ひに金銀入れても、名の残しやうなければ、一万貫目遣へばとて、人の知る事にはあらず。
 この仙人坊も、世のせはしからぬ時を得て、奈良より忍び篤籠を続けて、女郎一度に十人ばかりも連れて京に上る事、幾度といふ限りも無く、世間に知れぬ大騒ぎ、ひと道中にも百両にてはとまり難し。同じ春日の里にも、黒米のうち込み茶を呑み、病中の願ひに、「鱶の刺身を食うて死にたい。」と思ふ心、又は大坂の勧進能に雇はれて、地謡の帰りさまに塩買うて行くなど、こんな小道なる所を見ては、一日も中々暮らさるる所とは思はれず。奈良も又、奈良によるべし。かかる大尽もあれば、いづれ、いにしへの都の人心ぞかし。
 仙人坊、次第に有る程は皆になして、財宝も残らず。昔の名残には、請け出して寵愛せし小野島といふ女郎一人ならでは、召し使ひの者も無く、その後は元興寺の東町に身を隠し、「今日を暮らするため。」とて灯心を引きて、細き世を送りしに、小野島もこれを見捨てず。昔の形をやめて、継帯の襷に古風呂敷を前垂に直し、下子の手業、いつからも成るものぞかし。琴、三味線を弾きし指に石臼の挽き木もついて廻り、さりとては悲しき世渡り。折節は煙を立てぬ日もありける。これを少しも歎かず、男を大切にして、その心を背かず。今にこの男、日に三度の酒を呑まぬといふ事ならず。その時その時に欠け徳利を提げ、一度に六文づつが酒、この女郎、買ひに行くを見し人、そしりをやめて涙をこぼさぬはなかりき。
 かく月日を重ねし内に、好まぬ恋種留まりて、産月近づきしに、いかにとしても、その用意も成らず。「さあ今ぞ。」と、しきりは来れども、取り上げ婆の約束も無く、腰を抱いたり湯沸かしたり、まんまと一人して万事の埒をあけて見るに、初声の上げやうから、賢さうなる男子なれば、夫婦喜ぶ事限りなく、末の頼みを懸けける。
 人の仕合せは定め難し。この子、一両年あとに生まれ出でなば、抱守、付き付きを綺麗に、小袖の錦をひるがへし、宮参りなどいかめかしくあるべきを、今の身と成る宿に生まれ来て、改めての産着は思ひも寄らず。肌には紙子、切れ切れなるを継ぎ集め、上には神祭に拵へし子供細工の具足を着せ、いまだ忌みもあかぬに鎧の着初め、可笑し。今は世上を恥づる事も無く、その子を肩車に乗せて、春日の社に参りける。
 「明神も、かれが全盛の時を御存知なれば、さぞさぞ不憫に思し召すらん。」と顔見知る八百八祢宜、「これはこれは。」と手を打つも構はず。「思はく女郎が胎内より出でし若君。」と具足の草摺を上げて、各々に指似を見せて、息子を知らせて帰る。
 猶又小野島、この男を見捨てずして、請け出されし恩の程を忘れざる名女、万人憐れみ懸けて、後は二人共に発心して、秋志野の里の片蔭に住めり。

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