一 江戸の小主水と京の唐土と

 関東の奥に、今でも米一石につき十八匁する所あり。そこにも朝夕送りかねての乞食もあり。御江戸に住みても、身の一代に小判といふ物、手に持つた事の無い者あり。又、一日に五両づつ悪所遣ひして、命を六十五歳に積もり、「我から二十八代は、事を欠かず。」と御町を我が内にして、親の日ばかり宿に戻る人もあり。無用の身代自慢、算用違ひに成つて、追つ付けすり切りに成らるる事、疑ひ無し。
 昔と変はり、人皆せち賢く成つて、今程、銀の儲け難い事は無し。近き頃、金竜山の茶屋に、一人五分づつの奈良茶を仕出しけるに、器物の綺麗さ色々調へ、さりとは末々の者の勝手の良き事と成り、中々上方にも、かかる自由は無かりき。まだこれよりは、清水町の隠しよね、百で酒肴もてなし、様々なるも可笑し。又、深川八幡の茶屋者は、本所、築地よりは格別見良げに、京の祇園町のしかけ程ありて、鳥居の内は二人一歩、外は三人一歩と極め置きしも物堅し。江戸には女の少なき所かと思へば、行く先々に名所あり。三野は難しき女郎ばかりかと思へば、新町河岸の柿暖簾の分は、銀では一匁、銭で遣れば百に定めける。これも、女郎の意気地は更に変はる事無し。湯具も絹物して、端切りの鼻紙、口すぼめて楊枝くはへたる風情。末々にても、御町の仕出しは格別なり。
 或る時、揚屋町に行きて、髭の長兵衛が端居して、「久しぶりにてここを見しに、御内儀、又美しうなられた。亭主、人の身は養生が大事。」と悪口の後は大笑ひに成して、酒呑む内に、「小主水様が見えました。」を幸ひに、何やかや取りまぜての情け話。「我らが男は、上方にて無事かえ。」「成程成程、息災なるが、所々で恋をやめぬ奴。京では一文字屋の今唐土、大坂では扇屋の荻野、あへり。追つ付け帰らば穿鑿なされ、少し身の痛い程、つめつめして置き給へ。」と言へば。
 「その唐土、荻野様は、我らの指図して、合点合はせます太夫様なり。今日も、伝馬町の清様より、唐土様の文を我方へ御届けなされまして、珍しく拝し参らせけるに、『少しの内、大事の殿様を預かりまして、たんといとしく思ふに候。この程、あだ惚れあそばし、是非に誓紙書けとて、誠らしくいぢられ、少しは小面憎う、その方様へ言ひ遣ると言へば、主水は相果てけると、作り戒名書きて、まざまざと見せ給ふを、余り腹立ちて、さもあらば、せめて三十五日は御精進なさるべしと、同じ床にて肌を許さねば、いかい御詫び、可笑し。そなた様御扱ひの書簡参るまでは、いかないかな、帯解く事にあらず候。いかにしても捨てられぬ男。年を重ねての御懇ろ、羨ましく思ふに候。さて又、本町の井筒屋の二六様に、はや六、七度も御会ひあそばし候由。これは、我らの深う思ひし男なれば、そこ元に逗留の内は、首尾悪しからぬやうに頼み参らせ候。』誠に、山川百里を隔て候も、勤めの身は、肌にあるほくろまで知れて、恥づかしきものぞかし。京の事も、ここに居ながら知るは、蛇の道を上戸。」と。
 「口添へ酒の、常よりは旨し旨し。とかく、しやれたる物語、聞くさへ面白し。いづれ女郎も勤めに拵へ物ながら、折節は忘れぬ程の男もあれば、又頼もしき事もあり。何につけても馴染が本なり。我も、角町の青木屋の小藤に、春、深く思ひ入りて、請け出す談合もせしが、さる事あつて延び延びに成りし内に、小市といふ男に出し抜かれ、『今一たび、町のおか様姿を見たし。』と思へど、行き方の知れぬ事よ。」と歎きぬ。時に、いつも正月の道安といへる按摩取り、「いまだそれを御存じ無きは、遅蒔きなり。その恋種のゆかり、尋ねて存じたり。その君恋しくば、柳原の、そのそこに、豊島屋。」と語る。
 その後、よそながら見に行きけるに、「今は、世帯持ち。」とて、昔は手に触れざるを、塩買うて銭渡すなど可笑しかりき{*1}。「この亭主が身にして、今の楽しみ深かるべし。自然、あの男がいつぞ持ち飽きて、去る事あらば、その時はこの方へ取りたし。」と無理立願を浅草の観音に懸くれども、さらにそのしるしもなかりき。或る人、これを聞きて、「さりとては、たはけたる願ひ。言はれざる太夫、格子の望みなり。成らぬ時は成らぬやうに、散茶も暫くの慰み。」と異見すれば。
 聞かぬ気の大尽なれども、銀詰まり程口惜しき事は無く、その後は、忍び忍びに行き通ひ、昔は、「中橋の隠れ笠。」と言はれし諸分け知りなれども、いつも有る物のやうに遣ひ捨て、差し引き残らぬ揚屋町も、この体にて通りかね、やうやうこまがねの勢ひ。行く人を笑ひし本町河岸の悪よねにかかり、又その時の気に成つて、俄雨の帰さには、草履を紙に包みて腰に差し、足袋脱ぎて懐に入れて、柄漏りの唐傘貸すも、「せめては君が情けなり。」と土手の暗がりを帰るに、揚屋の男を三人連れて花菱の二つ提灯、さしかけ傘に大袖の合羽豊かに、羨ましくも行く男を光に透かして見れば、親仁使はれし喜平次といへる手代なりしが、「我ら、気に入らぬ。」とて追ひ出せしが仕合せと成つて、太夫にあふ程の全盛。男振りも今ぞかし。
 是非もなき世の中、さても生きては甲斐もなかりき。「この悲しさに、この道のやまぬは、大方ならぬ困果ぞ。」とよくよく得道して、「もは、今晩切り。」と誓文立てしが、明くれば又、身を掴み立つるやうに思はれて、人目も恥ぢず通ひけるに、吉之丞といへる一匁のよねも、以前の太夫狂ひよりは、しみじみと互に見捨て難き内に、無事に年も明きて、礼奉公も一年勤めて、身は自由なれども、久しき買ひがかり四十六、七匁にさし詰まりて、とやかく物思ふを、「ここは。」と取り持つて、不思議に残る寝覚提重を売り払ひて、吉之丞が万事を仕舞はせ、「今日よりは、私の女房ども。」と手前に引つ取り、横山町の裏棚に、「夫婦。」と言ふを楽しみに、紙の煙草入を縫ひ習ひて、かすかなる煙を立て、夏は蚊帳無し、冬は綿入無しに月日を送り、年を重ねし内に、三つ違ひに四人まで娘の子を儲けしは、これ程成らぬ世帯の中に、さりとては情け無し。
 「『遊女は子の無いもの。』と聞きしに、何事も偽りの世や。」とその後は子の事をうたてく、同じ枕を並べながら、人は知らぬ事。もはや十一年、何の事もせざりき。「婦夫。」と言うたばかりに、世に住む楽しみの一つ、欠けたり。

  三ノ巻よりこれまで、西鶴正筆なり。

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校訂者註
 1:底本は、「をかしかり。」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。