二 大晦日の伊勢参り 藁屋の琴
女郎請け出すと言ふも、少しの張り合ひなり。
近き頃、京の三木といへる男、島原に通ひての物好きに、「一文字屋の唐土よりは。」と上林の金太夫にあひぬ。嫌ともおうとも言はれぬ程、美しき者なり。二、三座首尾して後、乱れ酒の上にて、一歩一つ大事さうに取り出し、女郎に贈れば、「これは。」と嬉しき顔つきにて、ひそかに頂きけるを、何が都のしやれ者、ちらりと見て、さもあるまじき事なれど、この太夫のすたる程、さもしく見えける。それより四、五日も過ぎて、熊谷の大ぶりなる金の盃と珊瑚珠の盃と重ねて、太夫に取らせければ、更に喜ぶ気色もなく、金盃は庭掃く男に取らせ、玉の盃は双六盤の下に敷きて、微塵に砕き捨てける。罪も欲も無きこの心を感じ、こればかりの思ひ入れ、何の子細も無く請け出しける。この大尽は、太夫の五人七人我が物にして、少しも痛まぬ身代なり。
この前、長崎の鹿といふ大尽は、さのみ手前のよろしきにもあらずして、この先の吉野にあひ馴れ、そもそも日言ひかはして、「追つ付け根引きして、我が本妻にせん。」と思ひ込みし。女郎の仕合せなり。この男、三条の唐人屋といふ両替に銀三百貫目預け置き、都に良き所を見立て、家屋敷を求め、「一生の身過ぎ、これにて成るやうに。」と思ひし銀子取り返し、吉野を千三百両に請け出し、万事の付け届けを仕舞へば、三百貫目も残つて七貫目ありけるとなり。この内証にて請けけるは、好色第一の男なり。されば、この太夫は、かつて遊女の風俗なくて、さのみ物言ふにもあらず。弱々と見えて強く、しかも情け深く、たまたまにあへる男も、心を残さぬは無し。「首尾見合はせて根引きにせん。」と思ひし男、その数を知らず。人の物にして後、これを歎きて、島原通ひをとまるもあり。又は騒ぎ替へて、「この里、面白からず。」と色河原の野郎に乗り替ゆるもあり。吉野、廓を出し後、京中の恋を悩ませける。
その後、この太夫を地女房に姿を作り、難波の梅の頃、天王寺の花の昼、谷町の藤の黄昏に、御所かづきの内深く、随分身の振りやめて、男は恐ろしき風情して、黒羽二重の紋無しの小袖に、竜門の帯も目に立たぬ仕出しなれど、数千人の形自慢の女中も、吉野が忍び出立ちに気おされて、「いづれの細工人の、かくは作りける。」と外を見る人はなかりき。さては、世の中の人も、目利きは賢し。わづか五尺に足らぬ身を、小判で延べたる上作物を見分け侍る。
それより生国長崎へ舟路にて連れ下りしに、讃州泊の磯といふ所にて、夏の夜、月、平砂に輝きて、竜女も浪間より顕はれ、「出京の吉野見ん。」と言ふ声、虚空に聞こえし。美形、これにて見ぬ人は思ひ合はせ給へ。たとへ分限なればとて、七厘釜にて洗足を沸かし、刺し鯖を霜月頃に食ふ人の目からは、たはけのやうに思ふべけれど、既に人間と生まれ、日本稀なる女郎を手池にするより外に、何楽しみあるべし。この大尽の逃れぬ人も、太夫の野風を請けて、伏見の里にしやれて住みける。
吉野は東山の片蔭、粟田口のほとりの草屋、少し都を離れての住まひ。男盛りに法体して、月にも花にも吉野を眺め、朝夕の楽しみに、太夫が手づからの煎じ茶を汲ませ、よろづに他の人をまぜず、碁相手、楊弓の友、暮には女鞠も色あり。風待つ涼み床に名の木を薫らせば、初雪の朝は歌に心を成し、世にある華奢遊びを尽くし、雨の折節は、ほととぎすも鳴けかし。蛍も数見る夜の慰み。又或る時は、夫婦、水菜など拵へて、寝酒の種となす事、ひとしほ酔ひも面白かるべし。
或る年の暮に、五条の市といふ大尽、左門といふ女郎を請けて、その花盛りより今に契りを重ね、随分世を楽自慢して、このよねを連れて、年籠りの伊勢参り。何の信心にはあらず、栄耀ばかりの旅出立ち。「世間の忙しき折りなるに、恐らく京都に我一人。」と粟田口を行くに、小家がちなる所にて、正月の事どもやかましき二十九日の宿に、豊かなる琴の音。「唐弓の弦音か。」と疑はれ、笹戸を覗けば、吉野が美しさ、昔よりまされば、面影を見忘れて、「いかなる公家の、身を隠しては住み給ふぞ。」と東隣の火縄して売る者に問ひ寄れば、「長崎の大尽、吉野が連れ弾き。」とあらましを語るに、五条の市も我を折りて、「このゆるりとしたる世の暮らし。我らは、いまだせはしき所あり。」と伊勢へ参らず。粟田口より帰りて、大晦日に女のかぶきものを揃へて踊らせける。人の気に移し心も可笑し。
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